第7話「嫌なら嫌と言ってくださいね」
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ヴィオラはエルザに「オーウェン院長が呼んでいるわ」と、伝えられ院長室へと赴いていた。
その時のエルザの目が、まるで泣き腫らしたように赤くなっていたが、こちらが何か問いかけるより早く、エルザはその場から立ち去っていた。一度もヴィオラと目を合わせることなく。
――院長から何か言われたのかしら?
ノックをし、カミユの「入りなさい」という促しの声に扉を開く。
「来ましたか、シスター・ヴィオラ」
疲れ切ったカミユの顔を見て、ヴィオラは一瞬戸惑う。しかし、表面にそれを出すことなく、すぐに切り替えた。
「お呼びでしょうか、オーウェン院長」
「ええ、シスター・ヴィオラ。まずは、貴女に謝罪を」
言って、カミユは椅子から立ち上がり、深く腰を折った。
「私がシスター・エルザを指導役として任命したばかりに、貴女には辛い思いをさせてしまいました。大変申し訳ありません」
ヴィオラは、カミユの言葉に思わず首を傾げた。カミユは頭を下げたまま、続ける。
「シスター・エルザは今日限りで貴女の指導役から外し、部屋割りも変えます。その後のことは、貴女や御実家と話をしながら――」
「し、失礼ですが、オーウェン院長っ!」
カミユの言葉を遮り、ヴィオラは我知らず一歩前に出る。カミユはそこで顔を上げ、ヴィオラと視線を合わせた。
そして――、
「先ほどから、一体何のお話をされているのでして?」
言葉遣いも乱れたまま、疑問を投げかけるのだった。何より、看過できない発言があった。
「シスター・エルザは、私の良き先輩です。時に厳しい指導はありますが、それを辛いなどと思ったことはありません。
それに、同じ部屋だからこそ公私ともに、私を導いてくださっています。部屋を変える必要などありませんわ」
「シスター・ヴィオラ、貴女は……ご実家に窮状を訴えられたのではなくて?」
「窮状……ですか? 近況を知らせる文をしたためてはおりますが、窮状と思うようなことは特にありませんし、充実した日々を送っているとしか」
ヴィオラはカミユが何を言いたいのか、まるでわからなかった。
困惑したヴィオラに、カミユもまた戸惑いを浮かべた。
「ですが、貴女はシスター・エルザから、指導と称して修道女たちの面前で激しく叱責を受けたり、その、頭を踏まれたりしていたのでしょう。それについて、思うところがなかったとでも言うの?」
そこでようやく、ヴィオラはカミユが勘違いしていることに気がついた。
「ようやく、オーウェン院長がおっしゃりたいことがわかりましたわ。なるほど、傍から見れば行き過ぎているように感じるのかもしれません。
ですが、指導とは、そのようなものでしょう?」
――生まれ変わったこの時代を考えても、体罰なんて当たり前だろうしなあ。エルザ先輩に踏まれるのも、普通のことと思ってた。
しかしカミユの態度からすると違うらしい。自分が思っていたより、人権は保障されているようだ。
空気を求める魚のように、カミユは口を開け閉めするも、そこから声が出ることはない。
「私自身、過ちを犯した身です。エルザ先輩のご指導は私にとって必要な厳しさですし、指導役や同室を変更されてしまうのも、その、困りますわ」
毎夜の奉仕活動《楽しみ》に思いを馳せ、仄かに熱を帯びた頬を抑える。
なぜか、カミユの顔から血の気が引いた。
「あ、貴女は、シスター・エルザを求めるというのですか?」
「え? ええ、傍にいて欲しいと思いますわ」
ふと、泣き腫らしていたエルザの顔を思い出した。ああ、それはこういうことだったのかと腑に落ちる。
「私は全く気にしておりませんので、どうかシスター・エルザを咎めることのないよう、お願い申し上げます。もちろん、私への謝罪も不要です」
そして、ヴィオラは深々と腰を折った。表情こそ見えなかったが、カミユが息を呑む音がした。
「わ、わかりました。シスター・ヴィオラ。シスター・エルザは、これまで通りの処遇といたします」
「ああ! ありがとうございます。オーウェン院長! 私も、より一層の精進を誓いますわ!」
自分への指導が原因で、エルザに累が及ばないことを確約させることができ、ヴィオラは胸をなで下ろす。
カミユから話は以上であると退室を促され、ヴィオラは一礼して部屋を辞した。
固く閉ざされた扉の向こうから、「ごめんなさい」という声が聞こえた気がした。
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それからというもの、エルザの苛烈な指導は鳴りを潜めた。むしろ、ぎこちないながらも態度は軟化の一途をたどっていた。
はじめはカミユに注意を受けたからかと思い、寂しさを覚えていたものだが、それにしては乱れた襟を正してくれたり、髪を梳いてくれたりと甲斐甲斐しく世話を焼いてくる。
その事実に、ヴィオラは一つの結論を得た。
――デレ期だ!
確かめなければならない。そう、思った。
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その夜も、エルザはヴィオラの髪を梳いていた。はじめは慣れていなかったからか、手が震えて金糸の髪が櫛に絡まりもしたが、今ではそのようなこともない。
替えたばかりのポプリが、清冽な香を放つ。それを鼻腔で捉えながら、ヴィオラは早まっていく鼓動を制御しようとしていた。
その様子が奇妙に映ったのか、エルザが手を止め問うてくる。
「シスター・ヴィオラ? どうかされ……どうかしたの?」
最近では、一人前の修道女と認めてもらえたのか、ヴィオラに対する言葉掛けが敬語になりかけることがあった。
ヴィオラから「未熟の身ゆえ、それはやめてほしい」とお願いし、これまで通りの話し方としてもらった。
――本当は、エルザ先輩から敬語は寂しいからなんだけど。
ヴィオラは一つ大きく深呼吸をし、エルザの手を握る。
あかぎれが目立つその肌に触れた時、エルザの肩が小さく跳ねた。
――ああ、温かい。
「し、シスター・ヴィオラ?」
無意識のうちにエルザの手を、自分の頬へと当てていた。しかし、それを自覚してなお、ヴィオラは離さなかった。
「ねえ、エルザ先輩。私、先輩に伝えたいことがあるのです」
頬に触れたエルザの指が、かすかに強張る。それを、ヴィオラは慈しむようにそっと撫でた。
「尊敬しております、エルザ先輩。貴女のその厳しさは、私の慢心を正してくださいました。
感謝しております、エルザ先輩。貴女のその優しさは、私の支えとなりました」
エルザは何も答えなかった。ただ、浅く、速い息遣いが耳元で聞こえる。
「そして、エルザ先輩。私、貴女のことを好きになってしまいました」
聞こえていた呼吸音も止まる。普段なら気になるべくもない、燭台でろうそくの芯が燃える音が、やけに大きく聞こえた。
「嫌なら嫌と言ってくださいね」
その指先に、軽く口づけを落とす。ひときわ強く、一度手が震えた。硬い音が床で跳ねる。エルザが持っていた櫛だった。
しばし、時が止まる。
早鐘のごとくヴィオラの心臓が鼓動を刻む。
――ああ、駄目だったかしら。
そんな思いが脳裏をよぎった頃、
「――嫌なんて、言うわけないじゃない」
絞り出すような、エルザの声だった。
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