第6話「踏まれるのも正直嫌いじゃないんだよな」
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エルザの指導は、日が経つに連れて苛烈さを増していった。
日中のお勤めの時に、なにか不始末があれば、それが公衆の面前であろうと叱責を受ける。
石畳だろうと、土の上だろうと構わず、そこに跪いて祈りの言葉を奉じさせられた。
それが足りないと告げられれば、頭を踏みつけられもした。
居室に戻れば、あの夜以来もはや日課となったエルザへの奉仕活動の時間で、ヴィオラは毎日エルザの足を清めている。
「ね、ねえ、ヴィオラさん? 大丈夫なの? オーウェン院長……ううん、親御さんにお手紙でも書いて、相談した方がいいんじゃないかしら」
シスター・アリサがその細目を見開き、ヴィオラを慮った。
だが――、
「シスター・アリサ。ご心配ありがとうございます。ですが、これもエルザ先輩の愛の鞭ですわ。全ては私が未熟者故。正しい道に導いていただけることに感謝しかございません」
ヴィオラは、この言葉を心からアリサに告げた。
ただ、
――踏まれるのも正直嫌いじゃないんだよな。SMバー、一時ハマってたの思い出すわー。
強いて言うなら生足だとなお嬉しいです――なんて言葉は、三十代素人童貞の胸中にのみ留め、改めてアリサに心配は不要であることを伝える。
アリサは納得がいかない表情だったが、これ以上食い下がることはなかった。
ただ、胸元で握りしめた拳が震えているのを見て、ヴィオラはほんの少し申し訳なさを感じた。
□
エルザの生家はソーン男爵家である。オーウェン辺境伯の遠い縁戚ではあるものの、領地の規模も財力も比べるべくはない。
そも、エルザは口減らしのために修道院へと送られ、幼少期から神に仕える生活をしていた。
故に、男爵家の人間という意識は薄く、この修道院こそが家であり、カミユ・オーウェン院長こそが敬愛しべき母と疑うことなく生きてきた。
だから、
「シスター・エルザ。貴女は……やりすぎてしまいました」
院長室に呼び出され、開口一番聞かされた台詞に、思考が追いつかなかった。
「お、オーウェン院長、申し訳ありません。なんのお話でしょうか?」
動揺が、舌の動きを鈍くする。
カミユは苦虫を噛み潰したような顔をし、エルザから視線を逸らせた。
「シスター・ヴィオラのことです」
「あ、あいつ――いえ、シスター・ヴィオラへの指導のことでしょうか。た、確かにこれまでよりは強い指導をしていますが、しかし、成果は出ています!」
踏まれても、足を舐めさせられても、ヴィオラは反抗一つせず、エルザの言うことに従う。これは、ヴィオラの意識を貴族から修道女へと変革せしめたに違いない。
そうでなくては、ならない。
「――エーデルシュタイン公爵家から、秘密裏に莫大な寄付が届けられました」
「は……?」
院長室の甘い香の香り。エルザの好きなカミユの香りが、動くのをやめた脳を刺激する。
「……これは、私が判断を誤った話です。貴女に指導を任せたシスター・ヴィオラが何者であるのか、私は予め貴女には明かしておくべきだった」
「あ、あの。一体、何を」
「シスター・ヴィオラ……いえ、ヴィオラ・エーデルシュタイン。彼女こそはエーデルシュタイン公爵家のご令嬢です」
貴族社会に疎いエルザでさえ、公爵という爵位がどれほど重いものかはわかっていた。
少なくとも領主であるオーウェン辺境伯家よりも、自分が今まで指導をしてきた貴族のどの家よりも、家格が上であることも理解してしまった。
カチカチと、どこからか音がする。
――エルザ自身の、歯の根が噛み合わない音だった。
「公爵令嬢という背景は、修道女としての修行の妨げになると判断し、貴女に伏せていました」
カミユが続ける。歯の震えは身体に伝わり、足腰がおぼつかなくなっていた。
「ですが、それが貴女のやりすぎを招いてしまったのです。……これが、今回、寄付とともに届けられた親書です」
エルザはカミユから渡された書簡を何とか開き、目を落とす。
貴族特有の迂遠な修飾がされた文言は難解ではあったが、それでもこれだけは読み取れた。
――娘が世話になっているようだが、くれぐれも無碍にはしないで頂きたい。
「この意味が、わかりますか? シスター・エルザ。公爵家が、釘を刺してきたのです。貴女が彼女にしてきたことについて」
「で、でも、あれは、必要なことで……」
「……これも貴女には伝えていませんでしたが、ヴィオラ・エーデルシュタインはここに来る前、多くの令嬢たちと度の超えた好ましくない関係を重ねてきました。
それが公に知れ渡り、彼女は修行の名目でここに送られたのです。私はそれを、彼女を矯正してほしいという公爵家の意志と解釈しました。
故に、厳しい指導は必須である。そう考え、シスター・エルザがしてきたことに口を挟みませんでした」
一息に言葉を立て並べ、カミユは紅茶が入ったカップを口に運んだ。
湯気が出てない、冷めてる――と、エルザは今気にするべきではないことを、気にかけた。
「ですが、彼女を他の修道女たちの前で踏みつけたのは、やりすぎだったのです」
「あっ……!」
「私も言わなかった。エーデルシュタイン公爵令嬢も自分の身を明かさなかった。だから、貴女が知らないのは仕方ないことです。しかし、それはエーデルシュタイン公爵家には通用しません」
――貴女は、公衆の面前で、公爵家の権威を踏みにじったのです。
そう、カミユに告げられた瞬間。ふと、意識が遠のく。しかし、崩折れた膝が床を打った痛みで、強制的に現実へと引き戻される。
「あ、ああ……お、オーウェン院長。あたし、そんなつもりじゃあ……」
「わかっています。これはすべて、貴女なら全てを伝えずとも上手くやってくれると思ってしまった、私の思い上がりです。
……ごめんなさい、エルザ。私がきちんと貴女に伝えておくべきだったのよ」
幼い時以来の「エルザ」呼びに、エルザは気づいてしまった。
視界が歪む。目の端々から止め処無く熱いものがこぼれる。
「ごめんなさい、ごめんなさい、お母さん。期待に応えられなくて、ごめんなさい。大変なことをしてしまって、ごめんなさい」
それからしばらくの間、院長室に子供のような泣き声が響いていた。
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