第4話「あたしの前に跪きなさい」
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「シスター・ヴィオラ、真面目に勤めに励んでいるようですね。評判は私の耳にも届いていますよ」
カミユ・オーウェン修道院長に呼び出されたヴィオラは、室内に入るなりそう労いの言葉をかけられた。
「まだまだ未熟者の身、汗顔の至りですわ。ですが、そのような評価を頂けているのだとすれば、私を助けてくださる周りの皆様や、ご指導くださるシスター・エルザのお力があってこそと存じます」
ヴィオラはゆったりと微笑み、そう返す。しかし、対照的にカミユの表情はどこか曇りを見せていた。
そして、しばしの逡巡の末、口を開く。
「その、シスター・エルザのことです。最近のあの子は、どこか思い詰めた顔をしています。シスター・ヴィオラ、何か心当たりはありませんか?」
「シスター・エルザがですか? そう、ですわね。強いて言うのであれば、前以上にご指導に厳しさが増したように感じますが……」
流石に「ツン期では?」などという軽口は発しなかった。カミユは「ふむ」とおとがいに手を当てる。
「貴女がエルザに無理矢理悪さをしたなどということは、ないのですね?」
「そのように疑われるのも当然の身ではありますが、誓っておっしゃるような悪さはいたしておりません」
――もうちょっとデレはじめたら口説いてみようかなぁ、とは思ってたけど。先輩後輩から恋愛関係に発展とかあるあるよね。うん、全然《《悪さ》じゃない。
エルザ先輩なら「嫌なら嫌」ってはっきり言ってくれるだろうし――なんて思っていることは、おくびにも出さずヴィオラは答えた。
「シスター・ヴィオラ、無用に疑ったこと、謝罪いたします」
「受け入れます……というのも、おこがましい身ですわ。お気になさらず」
カミユは静かにため息をつく。
「シスター・エルザからも、すでに話は聞いていたのです。貴女からそのような無体を受けてはいないと」
「あら、そうでしたの」
「ええ、貴女の勤勉さもね。ただ……」
と、そこで止まる。
院長室に仄かに焚かれる甘い香りが、ひときわ鼻腔を刺した。
「貴女には、これまで培ったやり方が通用しない――とも、少し悩んでいたわ。思い詰めているのも、その辺があるのかもね」
優秀すぎるというのも考えものなのかしらね、とカミユが苦笑した。
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「新入り、あんたには謙虚さが足りないわ」
エルザが、居室で久しぶりに口を開いたかと思えば、出てきたのはそのような言葉だった。
「謙虚さ……ですか?」
「そうよ。あんた、まだ貴族気分が抜けてないんじゃない?」
「いえ、そのようなつもりは……」
「見ればわかるのよ!」
否定しようとするヴィオラを遮り、エルザが声を荒げる。
「これまで何人ものお貴族様を指導してきたわ。みんな泣き喚いたり、無気力になったり、逆ギレしたり、何かしらの変化を経て、一人前の修道女となっていった。ヴィオラ、あんたにはその変化が見られない!」
ヴィオラはその言葉に衝撃を受けた。
公爵家という地位から抜け出し、誰とでも対等であることを望んでいたはずだった。しかし、エルザの指摘通りなのかもしれない。
なにせ自分は対等であるというつもりで、ずっといたのだから。
「そ、そうだったのですね……」
「ええ、だから、あたしはあんたに機会をあげる」
エルザは口元を歪め、簡素な椅子に腰掛ける。そして、
「あたしの前に跪きなさい」
そう、ヴィオラに命ずる。
「はい」
そしてヴィオラは素直に従い、その場に正座した。反省しろと言うことなのだな、と日本人の魂は解釈した。
きょとんとしたエルザと視線が合った。
――沈黙が流れる。
ポプリの清涼な香りが、夜の澄んだ匂いと混ざる。ポプリ作りもやってみたら意外と楽しいのよね、なんて的外れな事を考えた。
ぎりと、歯が軋むような音。エルザが片眉を跳ね上げ、ヴィオラを睨んでいる。
「あ、そう。このくらいは何ともないって言うのね」
「え、はあ」
「わかったわ」
エルザがおもむろに履いている右足ごと、革靴をヴィオラに突き出した。
靴底が木製の、使い込まれた安靴である。
「脱がせなさい」
唐突すぎる命令に、ヴィオラは動揺した。
靴を、脱がせろと言ったのか?
「神はおっしゃられた。『先達によく従え』と。つまり、先輩に対する奉仕は、徳を積むことに他ならない。そうでしょ?」
それとも、とエルザは続ける。
「あんた、結構良いところの家の出みたいね。仕草でわかるわ。そんなお偉い貴族様が、弱小男爵家の娘なんかに、奉仕するのは苦痛かしら?」
「いいえ、そんなことはありませんわ。エルザ先輩、お御足に触れさせていただきます」
ヴィオラは微笑み、エルザの革靴に手を伸ばす。木の底に鋲で革を打ち付けただけの代物。サイズも微妙に合っていないのか、するりとエルザの足から抜ける。
「あっ」
ヴィオラの声が漏れた。
空気に晒されたエルザの素足は、じっとりと汗ばんでいて、革と汗と入り混じった濃厚な香りが、ヴィオラの鼻先に立ち込める。
――あ、これ好き。
まるで麻薬のように脳髄に響く。いつまでもこの香を味わっていたい。
「手が止まっているわよ。当然、反対もよ」
――おかわりの許可だと?
エルザからもたらされた報に、ヴィオラは一瞬目を剥いた。脊髄反射だけで「はい」と返事をし、左側足の靴も脱がせた。
エルザの香りが二倍になった。もう、しばらくの間、恋人たちとの触れ合いがなかったヴィオラには、強すぎる刺激だった。
「ようやく、あんたも普通っぽい反応をしたわね。でも、まだ安心できないわ。念入りに奉仕の精神をたたき込んであげる」
「ほ、奉仕の精神ですか……?」
エルザが、つま先でヴィオラの顎を持ち上げる。「あんっ」と、つい変な声が漏れた。
「舐めなさい。あんたの舌と口で、あたしの足を清めるのよ」
電撃が走った。その言葉を噛み砕き、消化するまで数秒の時間を要した。
「な、舐め清めろと仰られましたか? エルザ先輩のお御足を」
反芻するように、確認する。エルザが不適に笑んだ。
「そうよ。あんたはこの耐え難い屈辱を乗り越えることで、貴族の精神から解き放たれるの」
実際のところ、ヴィオラは「そうよ」しか聞いていなかった。ただ、エルザの足に口づける許可を得たとしか、解していなかった。
「承知いたしました。誠心誠意、エルザ先輩にご奉仕させていただきますわ」
ヴィオラは三つ指をつき、エルザの足に礼をする。そして震える手で踵を持ち上げると、恐る恐る赤い舌を伸ばし、親指に触れた。
まるで子猫が皿からミルクを飲むように、小さな水音を立て、足の指をなぞる。
蒸れた汗の匂いを舌で感じ取りながら、指の間までも丁寧に清めていった。
「うふっ……そうよ、新入り。あんたが修道院に来る前、どれだけ偉かったかなんて知らないわ。ここではあたしのほうが上なのよ」
どこか悦に浸った眼差しで、エルザはヴィオラを見下ろす。ヴィオラは一度奉仕の手を休め、「はい、エルザ先輩……」と返答した。
エルザが意を得たりと、満足気に微笑む。
「素直な子は嫌いじゃないわよ。さ、神の教えに従って、先達たるあたしに敬意の奉仕を続けなさい」
ヴィオラはその言葉を奉仕活動の継続許可と理解し、その舌と唇を使って、丹念にエルザの指を清めていく。なんとなく、燭台磨きを思い出した。
「……そうよ、これは、やらなきゃいけないことなのよ」
エルザの何かに取り憑かれたような呟き。
切羽詰まった響きを含んだそれを、奉仕に夢中になりながらぼんやりと聞き流す。
――女の子の足舐めとか! 神様、これはなんのご褒美ですかぁ!?
この夜、ヴィオラは久しぶりに味わう、女性の肌を堪能し尽くした。
……足だけとはいえ。
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