第2話「エーデルシュタインの名を名乗ることはありません」
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ヴィオラが修道院に着いたその日、院長である年嵩の修道女――カミユ・オーウェンは、
「ヴィオラ・エーデルシュタイン。ここで貴女が公爵家の出自であることを知る者は、私しかありません」
そう、修道院長室でヴィオラに告げた。
焚かれた香の甘さが、鼻につく。
ほんの少しだけ、ヴィオラはその意味を咀嚼した。そして、
「オーウェン院長。それはつまり、ここでは公爵家の権威など通用しない――そう、おっしゃりたいのですか?」
「話が早くて助かるわ、シスター・ヴィオラ。そして貴女自らが、公爵家の人間であると公言することも禁じます」
カミユの言葉に、ヴィオラは我が意を得たりと深く頷いた。
「もちろん、そのつもりですわ。――私がこの修道院に来た理由は、ご存知でいらっしゃいますか?」
「ええ、おおよそのところは」
「なるほど、だからなのですわね。――はい、ご心配はもっともです。
私が語らずとも、私が公爵家の人間であるという事実は消えません。
そして、人はその威に抗えなくなることもある――そのことを、私は学び、反省いたしましたの」
――だから、私が自らエーデルシュタインの名を名乗ることはありません。
そう、きっぱりと、ヴィオラはカミユの前で宣誓した。
「思ったより素直な娘ね。貴女の所業を聞く限り、もっと傲慢な性格をしていると思っていたわ」
「いいえ、傲慢だったのです。だからこそ、私は取り返しのつかない過ちを犯したのです」
カミユは嘆息を一つし、憐れみを込めた瞳をヴィオラに向ける。
「ひとつ、忠告をいたします。貴女はエーデルシュタインの名を名乗ることはなくとも、エーデルシュタインの名を背負っていることを忘れてはなりません」
「ええ、名乗ることは許されなくとも、私はヴィオラ・エーデルシュタイン。公爵家の誇りにかけて、この名をこれ以上汚すことなど、決していたしません」
「よろしい」
カミユが立ち上がり、ヴィオラの前に立つ。部屋の香と同じ香りが、カミユから立ち上っていた。
「貴女に指導役をつけます。彼女は男爵家の出ですが、幼い頃からこの修道院で修行を積んでいるベテランです。下級貴族だと見くびらず、先達であると心得て尽くしなさい」
「承知いたしましたわ」
その時、低い鐘の音がヴィオラの鼓膜を震わせた。それが九度。
――聖印があしらわれた大鐘楼。
この地に来た時、見上げたその姿が、脳裏をよぎる。
「ちょうどいいわね。三時の鐘が鳴ったら来るように言いつけていたの」
カミユの言葉から程なくして、扉を叩く音がし、その向こうから「シスター・エルザです」と名乗る声が聞こえた。
カミユが入室を促すと、扉が軋んだ音を立てて開く。
「失礼いたします」
深く礼をし、室内に入った修道服の女――エルザが、ちらりとヴィオラに横目を送った。
エルザがヴィオラのそばに来た時、ちょうど彼女の髪が鼻の下を横切った。
甘い香の匂いに、わずかに石鹸の香りが混じる。
「時間通りね。規範となるべき行いだわ、シスター・エルザ」
「ありがとうございます。オーウェン院長」
エルザはカミユに褒められ、わずかに頬を赤らめた。その様にカミユは目を細め、口元を緩める。
「シスター・エルザ。こちら、今日からこの修道院で勤めに励むことになりましたシスター・ヴィオラです。貴女には彼女と同室になって、公私ともども指導をしていただきます」
「ヴィオラ、と申します。ご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたしますわ」
染み付いた習慣がカーテシーの動作を取ろうとし、それを留める。結果としてぎこちない礼をすることになり、若干顔に熱を感じた。
一瞬だけ、エルザは戸惑ったような表情を見せたが、すぐに顔を引き締める。
「はい、承知いたしました」
「よろしい。では、シスター・ヴィオラ、彼女の言う事をよく聞き、精進なさい」
「ええ、改めてよろしくお願いいたします。シスター・エルザ」
「こちらこそ、シスター・ヴィオラ。ここでの生活が実りあるものになるよう、私も精一杯力を尽くします」
それが、ヴィオラとエルザが初めて交わした会話だった。
そして、二人が院長室を退室し、少し離れたあと、エルザはキッとヴィオラを見上げながら睨む。
「あんた、いいこと? あたしが指導役になった以上、あたしの言うことは絶対! ここでは世俗の地位なんて何の意味もないんだからね!」
カミユの前とはまるで違う態度に、ヴィオラは顔にこそ出さないものの、戸惑いがあった。
エルザは、まくし立てるように言葉を続ける。
「それから、敬意を持ってあたしのことは『先輩』と呼ぶ事。わかった!?」
「ええ、承知いたしました。エルザ先輩」
「よろしい! それじゃ、ここの中を一通り案内してあげるわ。ついてきなさい!」
まるでカミユのような口ぶりをして、エルザは鼻息も荒く、ヴィオラの前を行く。
ずんずんと大股で進んでいくエルザの後ろ姿を見て、ヴィオラはつい含み笑いを漏らしてしまい、気づかれなかったかしら? と胸中で心配した。
これが、ヴィオラとエルザが交わした二度目の会話であり、
――つ、ツンデレ? いや、デレはないけど、これ、ツンデレパターンじゃね?
ヴィオラの中の精神年齢三十代男性が、エルザを「今まで周りに居なかったキャラ」と認識した瞬間でもあった。
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