第1話「先達たるあたしに敬意の奉仕を続けなさい」
子猫が皿からミルクをこそげ取るように、黒を基調とした修道服に身を包んだ、金糸の髪を持つ女――ヴィオラ・エーデルシュタインはその赤い舌先で、差し出された足の指をなぞった。
蒸れた汗の匂いを舌で感じ取りながら、指の間までも丁寧に掃除をする。
「うふっ……そうよ、新入り。あんたが修道院に来る前、どれだけ偉かったかなんて知らないわ。ここではあたしのほうが上なのよ」
仄暗く揺れる燭台の明かり。
簡素な椅子に腰掛けた修道女――エルザは、頬を赤らめ、うっとりとした目で床に這いつくばるヴィオラを見下ろす。
エルザは頬にかかる甘茶色の髪の毛を、神経質そうに払い、かすかに口元を緩めた。
「はい、エルザ先輩……」
「素直な子は嫌いじゃないわよ。さ、神の教えに従って、先達たるあたしに敬意の奉仕を続けなさい」
ヴィオラはその言葉に、一度あげた顔を伏せ、奉仕活動を再開する。
足指の一本一本を、その舌と唇を使って、丹念に磨き上げていった。
「……そうよ、これは、やらなきゃいけないことなのよ」
何かに取り憑かれたかのように、エルザは小声で呟く。
ヴィオラは、それをぼんやりと霞がかった頭で聴きながら、
――女の子の足舐めとか! 神様、これはなんのご褒美ですかぁ!?
ヴィオラの魂である三十代素人童貞にとって、これはもはや金を払う価値のあるプレイでしかなかった。
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TS追放令嬢修道院無双百合ざまぁ(えちちは控えめ?)
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ヴィオラ・エーデルシュタイン公爵令嬢が、修道女として生きるよう父に言いつけられたのは、破談となった婚約発表パーティから、一月半ほど経ったある日のことだった。
事実上の追放――それを言葉少なに告げた父たる公爵の表情は、どこか疲れが見えていた。
ヴィオラは心労をかけたことを申し訳なく思いつつ、粛々とそれを受け止める。
元々、修道院行きは可能性の一つとして考えていたので、驚きもない。むしろ、よい機会だとさえ思う。
――公爵令嬢という地位が、あの娘たちの自由意思を奪っていたのなら、一介の修道女として自分を見つめ直しましょう。
そう決意して、送られた地――オーウェン辺境伯領。
そこにある女子修道院では自給自足が基本であり、身の回りのことは自分ですることが当たり前である。それはこれまでしてきた、公爵家の生活とはまるで違う、過酷なものであった。
――過酷なものである、はずだった。
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木桶に汲まれた水に手を浸すと、針で刺すような冷たい刺激があった。
修道服の袖を捲くり上げたヴィオラが雑巾を絞ると、黒っぽい汚水が滴り落ちる。木桶の水も、見れば同じく汚れていた。
ヴィオラは手の甲で額に浮いた汗を拭い、先ほどまで磨き上げていた燭台を手に取り、回して眺める。
燭台には煤の一つも付着していない。それを見て、ヴィオラは満足気に深く頷いた。
「いやー、いい汗かきましたわー」
皮肉でも何でもない、本心からの笑顔が窓から差した光に照らされる。
ヴィオラに課せられていたのは礼拝堂にある燭台の手入れ。家から出されたとはいえ、およそ公爵令嬢には相応しくない仕事である。
それをヴィオラは嬉々としてこなしていた。掃除はすればするだけ、本来の美しさを取り戻す。
そうやって成果が目に見えて表れるのは、嫌いではなかった。
――日本人だった頃は掃除好きだったけど、ヴィオラにはさせてもらえなかったからなあ。
「ヴィオラ様、人には人それぞれの役割というものがございます」
そう幼い頃のヴィオラに教えたのは、側付きの侍女リネットだった。
――元気にしているかしら。シーナと仲良くやってくれているとは思うけど、離れてみるとやはり寂しいものね。
声には出さず、ひとりごちた。
朝の静謐な空気。それを吸い込んで郷愁を振り払う。
そも、自分は彼女たちへの贖いのために、ここへ来たのだ。寂しい、などと思うこと自体思い上がりに過ぎない。
それに、と――ヴィオラは思う。
「こら、新入り! サボってるんじゃないわよ!」
礼拝堂の入口から、同室の先輩修道女、エルザが腰に手を当てて叫んでいる。
ぷりぷりした態度がどこか微笑ましく、ヴィオラはついつい綻んだ顔を向けた。
「はい、エルザ先輩。ちょうど今、仰せつかりました燭台磨きが終わったところですの」
「はあ?」
と、エルザの眼尻が吊り上がる。エルザは鋭い目で近くの燭台を睨みつけ、
「あんた、たかが燭台磨きだなんて思ってるんじゃないでしょうね。新人のうちはね、大抵拭き残しが……?」
エルザの語尾がだんだんと小さくなる。ヴィオラが磨き終えた燭台に、なんの瑕疵も見当たらなかったのだろう。
そして、エルザは礼拝堂を一周してすべての燭台を同じように確認していく。
ヴィオラはそれを見ながら、
――新人の監督って大変だよね。きちんと仕事終わらせたかも、見なきゃなんないんだもん。
三十代元会社員としての共感を覚えた。
そのうちに戻ってきたエルザが、居心地悪そうに、忙しなく視線を行き来させる。
「お、終わったのならすぐに報告なさい! 石畳の拭き掃除だってあるんですからね!」
苛立たしげにそう吐き捨てて、礼拝堂から足早に去っていく。
ヴィオラは遠ざかっていくその背を見ながら、昨夜の奉仕を思い出し、熱を帯びた頬に手を当てる。
――それに、こんなにかわいらしい先輩がいるのですもの。寂しいなんて思う暇もありませんわ。
そう、赤い唇をほころばせるのだった。
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