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「もっとしっかり捕まらないと落ちちゃいますよー」
「分かったわ」
一頭の馬に一緒に乗ったわたくし達は、夕暮れの街道を走っている。レイラは馬の扱いに慣れているようで、乗り心地は悪くない。
なぜこんなことになったのかしら。
わたくしはレイラの腰に回した腕に力を込めて、経緯を振り返った。
三十分前。
名残惜しそうなセオドアを見送り、レイラはにこやかに言った。
「私の家に行きましょう」
「えっ、なぜ?」
「ここから近いんですよ。すぐ着きます」
レイラに手を引かれながら部屋を出ると、廊下の窓から夕日が差し込んでいた。
まだ夕方だったのね。空腹で軽く痛むお腹をさする。ぐう、と腹の音が鳴った。
「レイラさん、お帰りですか」
通りかかった神官がわたくし達に気付き声をかけた。
「良い時間を過ごされたようですね」
「はい! とても充実しています!」
「それは良かった。白の部屋の片付けはこちらでしておきますよ」
「ありがとうございます」
レイラは神官に感謝を伝え、ペコリと頭を下げた。言葉通りとても満足した顔をしている。
わたくしは去り際に神官と目が合った。可哀想なものを見るような顔をしていたけれど、見なかったことにする。
「パトリツィアさん、こっちです」
「ちょっと待ちなさいよ」
神殿を出ると、帰り支度を済ませた人々が忙しなく行き交っていた。
この世界では馬車の乗り方も、道の歩き方も分からない。帰りたい気持ちを抑えて、仕方なくレイラの後ろを歩く。
「なぜレイラの家へ行くのかしら。理由くらい教えて欲しいわ」
「あははは、嫌ですー」
「はあ? 何よ、それ」
神殿を出て左へ進み、二つ角を曲がった所でレイラは立ち止まった。目の前には周りの家と似た雰囲気の庶民の家がある。
レイラはその家に鍵を開けて中へ入り、わたくしを手招きする。
「玄関で申し訳ないんですけど、ここで待っていてください」
「えっ、ここで?」
「ただいまー」
返事も待たずにレイラは中へ入って行く。わたくしは狭い玄関に一人取り残された。
バタバタとレイラの足音が響く。
何を急いでいるのかしら。いい加減説明して欲しいわ。
イライラして口を開きかけた時、レイラが戻ってきた。右手に食べ物を乗せたトレー、左手に服を持っている。
「パトリツィアさん、どうぞ」
「え、ちょっと待っ……」
レイラは服を収納棚の上に無造作に置き、トレーの食べ物をわたくしの口の中にねじ込んだ。
口の中に甘さが広がる。何の香りかしら、ショコラ?
「まずは腹ごしらえです。チョコチップ入りのショートブレッドですよ」
わたくしは嫌な予感がした。
ホロホロと口の中で崩れるショートブレッドを急いで噛み砕く。バターとチョコチップの香りと甘さで口の中がいっぱいになり、口の中の水分を奪う。何度か咀嚼し、どうにか飲み込んだ。
本当はゆっくり味わいたかったけれど、それどころではないわ。
わたくしはおずおずと尋ねる。
「わたくしが空腹なこと、よく分かったわね。も、もしかして、聞こえて、た?」
「ん? ああ、お腹の音ですか? 結構大きな音でしたね」
「いつもは! 鳴らないのよ!? 今日はなぜか早くお腹が空いて!」
「空腹で胃が動くのは生理現象ですよ」
「い?が動く? せいりげんしょう?」
「魔法を使うとお腹が空きやすいですから。気にしない、気にしない。はい、飲み物です」
話の半分も意味が分からないわ。この世界が魔法の世界だからかしら。それとも前の世界では分からなかったことなのかしら。
渡された水を飲みながら、この世界について考える。多分わたくしは、ここの常識を全く分かっていない。このままここで生きていけるのかしら。
「次はこれを着てください」
レイラに空のコップを渡すと、かわりに黒のコートを出される。
「これ、着るの?」
「着ないと寒いですよ」
いぶかしみながらコートを羽織る。袖が少し短いけれど、上品で着やすい。
「小さいですが我慢してくださいね」
「それで、次は何するの」
「ふふ、話が分かってきましたね」
「今はレイラについて行くしか、できることがないもの」
レイラは若草色のコートを羽織って、ニッと笑った。
「次は馬に乗ります」
そしてわたくしは馬上で手綱を持つレイラに捕まり、街道を走っている。
リピラスの街の向こう、進行とは反対方向に茜色の夕日が見える。
「レイラ、この世界は西に日が沈むのかしら」
「そうですよ」
「それならわたくし達は東へ向かっているのね」
「はい」
「街から東の方角に魔物が出たのよね」
「よく覚えていますね」
わたくしにはレイラの顔が見えない。どんな表情をしているか分からないけれど、きっと楽しんでいるわね。
「目的の場所はどこかしら」
「もうすぐ着くはずですよ。ほら、見えてきました」
レイラの見つめる先に噴煙が上がる。
空には大きなナニカが飛びまわり、地上へ火を吐き出す。人間が水魔法で応戦しているけれど、足元に気を取られているのか上手くいっていない。
「あれー、市役所からは五人しか来てませんね。全員で十一人だと、ちょっと分が悪そうです」
のほほんとした声でレイラは言った。
大変なことが起こってるんじゃないの? 問題ないってことかしら。
状況を把握しようと目を凝らす。
「遠くてよく見えないわ。レイラはあれが見えるの?」
「望遠魔法です。補助魔法の一つですよ」
補助魔法ならわたくしにも使えるかしら。
魔力を集め、目に移動させる。けれど魔法を使う前に、状況が分かるほど近くに着いた。
レイラは古びた小屋の陰で馬から降り、わたくしを手招きする。もたつきながら馬から降りたわたくしも、レイラに倣ってそっと戦況を伺った。
「空を飛んでるのは昨日見たスカイリザードね。足元を張ってるのは何?」
「牛喰いセンティピードです。簡単に言うとでっかいムカデです」
「牛を、食べるの?」
「食べますよ。いつもは森から出ませんし、数も多くて数体です。最近魔物の出現率が高いんですよー」
背筋がゾッとして、レイラの説明が入ってこない。
人よりも大きいムカデが牛を食べる姿を想像した。
こわい恐い怖い! この世界は恐いわ!!
食事が美味しくて、便利で、人々が生き生きとしていて、食事が美味しいだけの世界なら良いのに!!
牛喰いセンティピードの赤黒い体が、遠目からでも分かるほどに艶やかに光っている。
ここから離れたい。
帰るわよ、と言う言葉はレイラの笑顔で引っ込んだ。
「さあ、パトリツィアさん! 魔法強化を使って、火魔法も水魔法も風も雷も力いっぱいぶつけましょう!」
「あああああ! やっぱり! そうよね! そうだと思ったわ!!」
わたくしはこの世界に来て二日目に、魔法での戦闘を経験することになった。




