第7話:行き倒れの天才と、恐怖の強制給餌
少しは恋愛も。
学園の時計塔の裏。そこは一般の生徒が滅多に立ち入らない、研究棟へと続く寂れた裏道である。
「……いた。またいたわ」
夕暮れ時、友人令嬢たちの食べ残しを(こっそり)回収するために学園の裏手を歩いていたエレノアは、植え込みの影に『それ』を見つけて、ピキリと足を止めた。
人間が、倒れていた。
ぼさぼさの癖のある銀髪に、泥に汚れた白衣。線の細い身体は、まるで魂が抜け出たかのようにピクリとも動かない。
エレノアは無言で近づき、その少年の首筋に指を当てた。
微かだが、脈はある。しかし、呼吸は浅く、肌は冷え切っていた。そして何より、彼の腹の底から、エレノアが決して忘れることのできない「あの音」が聞こえたのだ。
――ぐぅ、と。内臓が己を削り取るような、絶望の飢餓の音。
(この、餓死寸前の感覚……! 間違いないわ。私と同じ、極限の『飢え』の苦しみ……!)
前世のトラウマがフラッシュバックし、エレノアの瞳にガチの炎が灯る。
目の前の少年がなぜこんな目に遭っているのかは知らない。だが、自分の目の前で人が飢えて死ぬなど、エレノアのソウルが絶対に許さない。
「おい、起きなさい! 死ぬならせめて、満腹の時にしなさい!」
エレノアは少年の胸ぐらをガシッと掴み、強引に上半身を起こした。
「……う……あ……」
薄く開けられた少年の瞳は、焦点が合っていない。アメジストのような美しい瞳だが、完全に光が消えかけている。
「……もう、魔力が……切れて……研究の、計算が……パン、食べ、たい……」
掠れた声でそう呟く少年の口元へ、エレノアは迷わず、無限収納から取り出したボトルを突きつけた。
中身は、先ほど幕間でマルタに淹れ方を指導した、あの柑橘のピール香る特製ハーブティー。に、料理長が仕込んだ「蜂蜜」と「ブドウ糖(生活魔法で抽出)」をこれでもかと溶かし込んだ、**エレノア特製の『超高カロリー・エナジードリンク』**である。
「喋る元気があるなら、これを飲み干しなさい!!」
「んぐっ!? ぶはっ、ゲホッ……!」
エレノアは少年の顎を掴んで固定し、ボトルの中身を容赦なくその口へと流し込んだ。上品な令嬢のすることではない。完全に、限界集落で遭難者を救助するベテラン救急隊員の動きだった。
「ゲフッ……! な、何をするんだ、僕は繊細な……ん? あ、熱い……? 頭が、冴えていく……!?」
脳へダイレクトに届く圧倒的な糖分と、生活魔法によって温められたハーブの成分が、少年の全身の細胞を叩き起こしていく。みるみるうちにその頬に赤みが差し、瞳に知性の光が戻ってきた。
「……信じられない。僕の枯渇していた脳細胞が、一瞬で再起動した。この最適化された成分配置は一体何なんだ……!」
少年はガバッと起き上がり、自分の手を凝視した後、目の前にいるエレノアを凝視した。
「君が僕を救ってくれたのかい? 僕はエリオット。魔導具研究科の特待生だ。いやあ助かった、新型の魔導通信機の回路計算に夢中になっていたら、気づけば三日間何も食べていなくてね。人間、食べないと死ぬんだね! 勉強になったよ!」
アハハと暢気に笑うエリオット。
その言葉を聞いた瞬間、エレノアの顔から一切の感情が消え失せた。
「……は? 三日間、研究に夢中で、何も、食べていない?」
「そうなんだよ! いやあ、効率的な魔力還流の数式を組み立てていたら、食事なんていう非効率なタスクは後回しにしたくなっちゃって――」
ドンッ!!!!
エリオットのすぐ真横のレンガ壁に、エレノアの拳がめり込んだ。
パラパラと崩れ落ちるレンガの粉。
「ひゃいっ!?」
エリオットの短い悲鳴が響く。
エレノアは、地獄の底から響くような地声(ワントーン低い声)で、エリオットの胸ぐらを再び掴み、限界まで顔を近づけた。その瞳は完全に般若のそれだった。
「ふざけるのも大概に。物理的な制裁を下しますわよ、このド阿呆(天才)が。……『システム』ですって? 『非効率なタスク』ですって? 食べることが後回し? 食べ物に困ったことがないから、そんなナメた口が叩けるのですわ!!」
「君、令嬢だよね!? なんでそんな魔王みたいな圧を――」
「良いですか、エリオット。人間、一日に必要な摂取カロリーを怠る者は、生きる資格がありません。仕組み(システム)を弄ぶ者が、生命の仕組みを軽視するなど万死に値します! 次に私の前で行き倒れてみなさい。貴方のその優秀な脳みそを、生活魔法で直接ジャガイモのようにマッシュして差し上げますわ!」
「マ、マッシュ……っ!?」
あまりの恐怖と、しかしそれ以上に、自分を「餓死」から救ってくれた圧倒的な料理の味、そして自分をここまで本気で(物理的に)叱ってくれる規格外の令嬢の存在に、エリオットの胸の中で、未知の回路がパチパチと音を立てて繋がり始めた。
(なんだ、この感覚……。僕の脳内の計算式が、すべて彼女の『怒り顔』で埋め尽くされていく……。この未知の熱量は、まさか……!)
「……素晴らしい」
「は?」
キレ散らかしていたエレノアが、不審そうに眉をひそめる。
エリオットは頬を紅潮させ、エレノアの手をガシッと握りしめた。その目は、世紀の発明を成し遂げた時以上の輝きを放っている。
「君、名前は!? 伯爵家の令嬢だよね? ああ、僕の人生の最適解がようやく見つかった! 君のその『生活魔法』と『家事の数式』、僕の魔導具で世界最高のエコ効率にしてみせる! だから……だから毎日、僕の口にその恐ろしい重圧を突っ込んでくれないか!?」
「…………は?」
元スーパー家政婦、異世界に転生して初めて、ガチの「変態(天才)」に出会ってしまい、本気で困惑するのだった。
お読みいただきありがとうございます。




