第5話:魔王の聖域〜おじいちゃんと子ども達には勝てません〜
子どもは無条件に守られる存在。高齢者は敬うべき存在ですね。
「な、なぁ料理長……。本当にあれは、僕たちの皿にフォークを突き立てたエレノアなのか?」
「若様、私に聞かないでください。私の目がおかしくなったのでなければ……あそこにいるのは天使です」
カトリーヌ伯爵家の美しい庭園の陰から、兄ジュリアンと料理長がガタガタと震えながら様子を伺っていた。
彼らの視線の先。
そこには、腰の曲がった老庭師のトムが、庭のベンチに腰掛けていた。年齢のせいで手が震え、せっかくエレノアが作った特製のサンドイッチをポロポロとこぼし、半分ほど残してしまっている。
(あ、アカン! 食べ残しだ! トムの命が危ない……!)
ジュリアンたちが息を呑んだ、その時。
ゆっくりと近づいたエレノアは、般若のオーラを放つ……どころか、満面の、それはもうひまわりのような優しい微笑みを浮かべて、トムの前に膝をついたのだ。
「トム、無理して全部食べなくていいのよ? お腹が苦しくなっちゃうものね」
「お、お嬢様……。せっかく作っていただいたのに、申し訳ねぇだ。最近は胃袋が小さくなって、仕事も昔のように完璧にはこなせねぇし……」
申し訳なさそうに身を縮める老庭師の背中を、エレノアはそっと、聖母のような手つきで撫でた。
「何を言うの、トム。貴方がこれまで何十年もこの庭を守ってくれたから、今の美しいカトリーヌ家があるのよ。手が震えて雑草が少し残ったって、私が生活魔法で一瞬で終わらせちゃうから大丈夫。残したサンドイッチは、お家に持って帰って夜食に食べてね?」
「おお……お嬢様は、まるで本物の女神様のようだ……」
涙ぐむトムに、エレノアは「ふふ、お大事にね」と手を振っている。
その様子を見ていたジュリアンは、思わず物陰から飛び出した。
「おいエレノアァァァ! 理不尽だろう!! 僕は朝食を一口残そうとしただけで『次はお前を調理する』って脅されたのに! なんでトムが残すのは良くて、僕が残すのは死罪なんだよ! 仕事の雑さだって、僕は昨日、野菜の収穫の手伝いを少しサボっただけでシーツを氷漬けにされたんだぞ!?」
涙ながらに叫ぶ兄を、エレノアは一瞬でスン……冷たいた『ガチの冷徹な目』で見下ろした。その温度差で空気が凍りつく。
「お兄様。お黙りなさい」
「ひっ!?」
「トムは長年、この国と我が家のために働き、命を繋いできた功労者です。おまけに高齢で胃腸が弱っている。そんな方に完食を強要するなど、悪鬼羅刹のすることですわ。……それに対して、お兄様。貴方は五体満足、血気盛んな若者。食べられない理由がどこにありますの? 時間に余裕があるなら、今すぐトムの代わりに裏庭の開墾へ行ってきなさい」
「理不尽すぎるぅぅぅぅ!!」
ジュリアンが泣きながら裏庭へ走っていくのを見送り、エレノアはふぅ、とため息をついた。
(まったく、お兄様は何も分かっていないわね。年長者は敬うものよ。何より、あの細い身体を見るだけで、前世のひもじかった自分を思い出して胸が締め付けられるんだから……!)
◇◇◇
午後になり、エレノアは更生したジュリアン(泥まみれ)を伴って、領地の街へと視察に出かけた。
伯爵令嬢の登場に街の人々が緊張する中、トコトコと走ってきた数人の幼い子どもたちが、エレノアのドレスの裾を掴んだ。
「あ! 綺麗なおねえちゃん! これ、あげる!」
差し出されたのは、子どもたちが野原で摘んできたであろう、少し萎びた野イチゴだった。
それを見た瞬間。
「まぁ……! まぁぁぁぁぁ!! なんて可愛らしいのかしら……!!」
エレノアの顔が、一瞬でデロデロに、形を保てないほどに蕩けた。
令嬢のプライドもどこへやら、泥んこの子どもたちを躊躇なく抱きしめ、頬ずりをし始める。
「ありがとう、ありがとうねぇ! 貴重なおやつなのに、私にくれるの? なんて良い子たちなのかしら! 汚れちゃって……お腹は空いていない? ちゃんとご飯は食べている?」
「うん! でも、お野菜はにがくて残しちゃうの……」
男の子がバツが悪そうに言うと、背後にいたジュリアンは(終わった……! このガキども、エレノアの逆鱗に触れたぞ……!)と身構えた。
しかし、エレノアは怒るどころか、さらに甘い声をだした。
「いいのよ、いいのよぉ! 子どもの舌は敏感だから、苦いものは無理して食べなくていいの! 残した分は、大人が美味しく食べればいいだけだもの! 大きくなったら自然と食べられるようになるから、今は好きなものをたくさん食べて、いっぱいお眠りなさい!」
そう言うと、エレノアは無限収納から、先ほど料理長に作らせた「野菜くずの出汁で煮込んだ、コンソメスープ」を取り出し、子どもたちに配り始めた。
「わあーい! おいしい!」
「おねえちゃん大好きー!」
子どもたちに囲まれて、「うふふ、あはは、可愛いわねぇ」と完全に正気を失ったレベルでデレデレになっている妹を見て、ジュリアンは遠い目をした。
「……料理長。僕、今日から子どもに戻りたい。なんなら老人でもいい」
「若様、諦めましょう。お嬢様にとって、老人と子どもは『守るべき聖域』。私たちのような元気な大人は『一粒の無駄も許されない労働力(家畜)』なのです……」
老人と子どもには無限に優しく、食べ物を無駄にする大人にはどこまでも冷酷。
そんな超極端なマイルールを持つエレノアの、異世界食育レボリューションは、今日も周囲を翻弄しながら突き進むのだった。
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