第2話:お兄様、今日から貴方は「残飯以下」です
兄の調教中です。食べ物は大切にしましょう。
「う、うぷっ……も、もう食えない、お腹が裂ける……!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、兄ジュリアンは皿を綺麗に舐めあげた。
あれほど傲慢だった伯爵家の跡取り息子が、今はテーブルに突っ伏してハァハァと荒い息を吐いている。
「よくできました、お兄様。やればできるじゃないですか」
私は優雅にパチパチと拍手を送る。
もちろん、これで終わりなわけがない。
出されたものをただ無理やり詰め込ませるだけでは、本質的な「調教」にはならないのだ。食べ物のありがたみを知るには、『飢え』と『労働』の痛みをセットで学ばなければ意味がない。
「さて、お兄様。美味しくいただいた後は、お片付けのお時間ですわ」
「な、何を言っている……! 片付けなど下男やメイドの仕事だろう! なんでこの僕が――」
言いかけた兄の言葉は、私の笑顔(ただし目は一切笑っていない)によってピタリと止まった。
「お兄様。お皿洗いを完璧にこなすまで、お部屋に戻れるとは思わないことです。あと、本日の昼食と夕食のメニューですが」
私はトントン、と人差し指でテーブルを叩く。
「**『お兄様が残そうとした、あの冷めたスープと硬い肉』**です」
「な、なんだと!? あんな出来損ないの料理を、昼も夜も食えというのか!?」
「ええ。味付けの修正は私がいたしますが、食材は同じものです。……まさか、一度吐き出した言葉を忘れたわけではありませんよね? 『今日の朝食はもういらん』。ご自分で不要と言い放った食糧です。その重みを、今日一日かけて胃袋に刻み込んでいただきます」
「狂ってる……! お前、本当にエレノアなのか!?」
ガタガタと椅子を鳴らして逃げ出そうとする兄の襟首を、私は前世で培った「暴れる大型犬を片手で抑えるプロの技(生活魔法による身体強化付き)」でガシッと掴み、厨房へと引きずっていった。
◇◇◇
伯爵家の厨房は、突如として連行されてきた跡取り息子の姿に蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「お、お嬢様!? 一体これは……!」
料理長をはじめとする使用人たちが青ざめる中、私は兄を流し台の前に放り出す。
「料理長、気になさらずに。この生ゴミ(兄)の再教育中です。……さあお兄様、袖をまくりなさい。まずは油汚れの予洗いから。生活魔法『洗浄』に頼ってはいけません。自分の手で油のしつこさを知りなさい!」
「く、クソッ……! 覚えていろよエレノア、父上に言いつけてやる……!」
ぶつぶつと呪詛を吐きながら、お坊ちゃまの白い手がギトギトの鍋に触れる。
当然、まともに皿など洗ったことがない兄だ。ガシャーン!とさっそく高価な磁器の皿どうしがぶつかり割れそうになった。
「あっ」
その瞬間、私の手が電光石火の速さで動き、落ちる寸前の皿をキャッチする。
同時に、私の冷徹な声が厨房に響き渡った。
「生活魔法『固定』――お兄様、手元が狂うなら、その両手を流し台に直接縫い付けましょうか? それとも、前世……いえ、私の夢に出てきた**『リボ払い』**という、使えば使うほど人生が破滅する呪いの魔術について、じっくりお聞かせしましょうか?」
「り、リボばらい……? いや、何だか分からんが、その言葉は不吉すぎるからやめてくれ!」
本能的な恐怖を察知したのか、兄は必死に皿を洗い始めた。
「料理長」
私は怯える料理長に歩み寄る。
「先ほどのスープですが。出汁を取る際の火加減が強すぎます。アクがスープに回って、雑味になっていましたわ。肉も、筋繊維の断ち方が甘いから硬くなるのです」
「えっ……? あ、いや、しかし……」
令嬢からの専門的なダメ出しに、料理長が目を見張る。
「道具と食材は一級品。なれば、これらを無駄にするのは料理人の怠慢です。——今から私が、この食材を『極上のリメイク料理』に変えてみせます。よく見ておきなさい」
私はドレスの袖をまくりあげ、包丁を握った。
元スーパー家政婦の血が騒ぐ。冷蔵庫(魔力冷却箱)の中身を一瞥し、頭の中で一瞬にして最高の方程式を組み立てた。
◇◇◇
数時間後。昼食の時間。
食堂のテーブルに並べられたのは、朝の残り物だったはずのスープと肉。
だが、その姿は劇的に変貌していた。
雑味のあったスープは、細かく刻んだ香味野菜と卵白を使って完璧にクラリフィエ(清澄化)され、宝石のように澄み切った黄金色のコンソメへと昇華している。
硬かったロースト肉は、細かく叩いて自家製のハーブと混ぜ合わせ、サクサクのパイ包み焼き(ミートパイ)へと生まれ変わっていた。
「……美味い……なんだこれ、めちゃくちゃ美味い……!」
朝から強制労働をさせられ、極限まで腹を空かせていた兄は、出された料理を貪るように口に運んだ。
労働の後のメシ。そして、完璧に計算されたプロの味。
五臓六腑に染み渡る美味さに、兄の目から自然と涙がこぼれ落ちる。
「分かりますか、お兄様。これらが朝、貴方が『いらん』とドブに捨てようとした食材の本来の輝きです」
私は静かに微笑みながら、最後の一口を飲み込んだ兄を見つめた。
「食べ物に困ったことがないお兄様には、これがどれほど贅沢で、有難いことか分からなかった。……でも、もう分かりましたよね?」
兄は皿を見つめ、小さく、けれどしっかりと頷いた。
その目は、朝の傲慢な貴族のそれではなく、食べ物への敬意を宿した人間の目になっていた。
「よし。調教の第一段階はクリアですわね」
私がパチンと指を鳴らすと、背後に控えていたメイドたちが一斉に動き出す。
「さあお兄様! 食べ物のありがたみが分かったところで、午後は**『領地の畑の肥溜め汲みと雑草むしり』**のフェーズへ移行しますわよ! 自分が食べるものがどうやって作られるか、その泥の味を知るまでが遠足です!」
「ひ、ひいいぃぃぃぃぃ!?」
こうして、カトリーヌ伯爵家のクズ長男は、妹によって完璧に『更生』させられていくのだった。
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