1.それぞれのリタルク・ルミナリア <レザト>
七章第2話はレザト視点。
華やかな祝祭の裏で動く、権限と計略。
剣の届かぬところで進行する駆け引きの中、
レザトの「静かな怒り」と「ひとつの願い」が浮かび上がります。
祭りの朝、エドウィンが神妙な面持ちで持ってきた書類を見て、私は眉を寄せた。
「副領主権限による告知……?」
手渡された文書には、イリアナの流麗な署名が明確に記されていた。民間防衛隊の強化、騎士団業務の一部委譲、特別警備権限の付与、防衛隊所属証明書の携帯義務化——すべて私の知らないところで進められていたことだ。
背筋に冷たいものが走る。領主でありながら、自分の街で何が起きているのか把握できていない現実が突きつけられた。
「……イリアナがここまで動いていたとはな」
エドウィンが慎重に言葉を選んでいる。
「だ、団長、報告が遅れて申し訳ありません。副、領主が…独断で進められた部分も多く、私も把握が遅れて……」
彼の言葉を聞きながら、私は内心で深く自嘲した。この数日間、私は剣を握り締め、外からの脅威ばかりに目を向けていた。見えない敵、魔獣の動向を追うことに集中するあまり、自分が守るべき街の内側が、こんなにも複雑に絡み合っていることを見落としていた。
剣で斬れない敵は、時に最も危険だ。
「わかった。イリアナと話をしてくる」
私は書類を手に、足早に執務室へ向かった。
執務室に入ると、イリアナがいつも通り堂々とした佇まいで机の前に立っていた。彼女からは常に自信に満ちた威厳が漂っている。
「塔周辺の警備を民間防衛隊に任せるとは、どういうつもりだ?」
私の声は低く、しかし力強く響いた。
イリアナは、平然とした態度で微笑んだ。彼女の瞳の奥には、計算高い光が宿っている。
「騎士団は外縁部の警戒に手一杯でしょう? 民の目に触れる場所で『守られている』という安心感を与えることが必要なのです。実際に戦闘を任せるつもりはありませんわ」
彼女の声は穏やかだが、言葉の裏に隠された意図が見え隠れする。私は唇を噛んだ。
「あの連中は戦えない。中にはノーマンの息のかかった傭兵がいる。そんな者たちを都市の心臓部に置くのは危険すぎる」
イリアナは穏やかに首を振った。彼女の髪が揺れ、光を受けて紫の輝きを放つ。
「ご心配には及びませんわ。防衛隊所属証明書の携帯を義務づけていますから、素性の確認は万全です。ノーマン商会に関わる者は中央からは外しております」
「だが、それはあくまで表面上だろう」
私は一歩近づき、声を落とした。
「本当にそれで奴らを防げると思うのか? 紙一枚で、人の忠誠心は買えない」
イリアナの瞳が鋭く光った。彼女からは、恐れではなく、むしろ挑戦の気配が感じられた。
「塔の中に魔獣は湧きません。民に安心を与えることが私の責務。剣だけが守りではありませんのよ、レザト様」
静かな対立が部屋の空気を張り詰めさせた。私は深く息を吐き出し、冷静さを取り戻そうとした。イリアナの言葉にも一理ある。だが——
「イリアナ、見せかけの守りじゃ、本当の危険は防げないぞ。私が懸念しているのは、ノーマンの動向だ。あの男は何かを企んでいる」
私の言葉に、イリアナは僅かに唇を噛んだ。
その瞬間、彼女の目に浮かんだ複雑な感情を見逃さなかった。彼女にも迷いがあるのだ。だが、彼女はそれ以上何も言わなかった。
私は執務室を後にすると、胸に重いわだかまりが残った。自分が守るべき街で、自分の意見が通らない皮肉。それは領主としての責任と、その責任を全うできない現状との間の埋めがたい溝だった。
そして夕方、商人ギルド塔前の広場には既に多くの市民が集まっていた。
華やかな装飾が施された屋台が並び、色とりどりの旗やリボンが風に揺れている。夕陽が街並みを金色に染め上げ、祭りの始まりを美しく演出していた。
人々の笑顔、子供たちの歓声。彼らが守るべき光景だ。しかし、私はその笑顔の奥に潜む不安も感じていた。噂は広まっている。
魔獣の襲撃、不安定な状況——それらは市民の心に影を落としていた。
塔の頂上には、まだ点灯されていない巨大な秘石ランプが設置されている。私はそのランプを苦々しい気持ちで見上げた。
あれはノーマンが設置したもので、魔獣を引き寄せる危険性があることを私は認識している。だが政治的な駆け引きやイリアナの判断に阻まれ、私は手を出すことができずにいる。直感が危険を告げているというのに。
「皆様、本日はお忙しい中お集まりいただき、誠にありがとうございます!」
芝居がかった大げさな口調でノーマンは話し始める。
「塔の上に設置された新型秘石ランプの点灯式ですが……皆様、明日をお楽しみに!」
ざわつく空気に、彼は満面の笑みで続けた。
「リタルクルミナリア二日目の夜、こちらのランプが皆様の祝祭をさらに華やかに彩ります! 本日は前夜祭として、光と音楽のひとときを心ゆくまでお楽しみください!」
ノーマンの演説が響き渡り、その声には隠された勝利の色が混じっている。イリアナも彼の隣で微笑み、市民は拍手喝采している。
その光景を見ている私は、まるで自分の警戒心や苦悩が、舞台の裏に押しやられた道化のように感じていた。
人々の期待に満ちた眼差しに応えるため、私は意識して堂々とした態度を保つ。
壇上に立ち、私は声を響かせた。
「色々と騒がしい噂も耳にしますが、祭りの期間中は我が騎士団が警備に当たります。我が国境騎士団はあなた方の安全を全力でお守りします。領主の名に懸けてお約束しましょう」
自分自身の言葉が、どこか空虚に感じられた。胸の奥底には不安が渦巻いている。言葉とは裏腹に、自分が最も信頼すべきはずの副領主との間に生じた溝。それは取り返しのつかない亀裂になりかねなかった。
スピーチを終えるとすぐにその場を離れ、警備のために移動した。
歓声が遠ざかり、再び重い沈黙が私を包み込む。背後からノーマンの視線を感じたが、振り返らなかった。彼が何を企んでいるのか、この祭りで何が起ころうとしているのか——それを察知できない自分の無力さが歯痒かった。
「レザ、レザト様、大丈夫ですか?」
追いかけてきたエドウィンの声に、私は無理に笑顔を作った。
「ああ、大丈夫だ。ただ、ここからが本当の勝負だ」
再び塔の頂点を見上げると、まだ光を放たないランプが、まるで私の心情を見透かすように冷たく佇んでいた。その影が、不吉な予感を運んでくる。
内心の苛立ちを抑え込み、私は再び剣を握りしめた。
——ルチカ。
心の中で、彼女の名を呼んだ。祭りの喧騒の中、ルチカへの思いだけが、この混沌とした状況の中での私の希望だった。




