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11. 紫の微笑み、支配の影②

「お待ちしておりましたわ、レザト様!」


執務室の重厚な扉が開いた瞬間、凛とした声が石造りの床に響き渡った。

その声にはどこか冷たさと余裕があり、まるでこの場を一瞬で掌握するかのように感じられた。


私の目に映ったのは、まるで絵画から抜け出してきたかのような美しい女性だった。

熟成されたワインのように深みのある艶やかな紫紺の髪が、優雅に結い上げられている。

身にまとった衣装も、その色調に合わせられ、彼女の貴族的な気品を一層引き立てている。


彼女がこちらに近づくたび、ほのかに香るのは高価な香水の香り。

スッと鼻を通る、上品な甘さと木々の香りが微かに混じり合い、空気を包み込む。


私は無意識のうちに背筋を伸ばし、その存在感に圧倒されていた。

どこかで感じたことのある、この威圧感――そうだ、ローレンス家のアデリーヌ奥様に似ているんだ。


この圧倒的なオーラに、私は思わず冷たい風が背を撫でたかのように感じ、身をすくめてしまった。

でも、次の瞬間、イリアナ様の表情がぱあっと明るくなった。


「エマ! 久しぶりですわ! あら、後ろにいるのはレオなの⁉ 少し見ないうちにこんなお兄さんになって~! ほほほ、エマ。あなたによく似てますわね」

「うふふ、イリアナ。元気そうね。もう最後に会ってから三年も経つのね……」


エマさんが優しく微笑む。レオは少し困ったような顔をして言った。


「え~誰、このおばちゃん? オレ、知らな~い」

「まあ~、あんなに抱っこしてあげたのに薄情ですこと! ほほ! そのしかめっ面はギデオンにそっくりですわねぇ」


はしゃぐイリアナ様とエマさんを見て、私は少し面食らってしまった。

想像していたのとは違う雰囲気に、少し緊張が解けた気がする。


でも同時に、この人たちの長年の絆を目の当たりにして、自分の立場の不安定さを感じずにはいられなかった。

しばしの再会を喜んだ後、レザト様が頃合いを見てイリアナ様に話しかけた。


「イリアナ。訪問が遅れてすまなかったな」


レザト様の声には、いつもの落ち着きがあった。でも、その目には僅かな緊張が宿っているように見えた。


「とんでもありませんわ! レザト様が騎士団の哨戒に参加された件、報告が来ております。リタクロスでのレザト様の公務に支障が出ないよう、最大限、こちらも助力致しますわ」


にこやかに答えるイリアナ様の視線が私に移った。その射るような視線に、私の体に緊張が走る。


「まあ……こちらが噂のルチカ様ですね」


その言葉には、柔らかな微笑みが添えられていたけれど、どこか計算高さも感じられた。

イリアナ様は優雅に私に近づいてくる。


「お会いできて嬉しいですわ! レザト様の婚約者として、どのようなお方なのかと、興味津々でしたの!」


イリアナ様の目が、私の全身を隈なく観察している。

その視線の重さに、思わず身を縮めそうになるのを必死で堪えた。


「ルチカ」


レザト様の声が、私の緊張を和らげるように響く。

彼の大きな手が、そっと私の肩に置かれた。レザト様の優しい温もり。


「イリアナを紹介しよう。彼女は…….」

「レザト様」


イリアナ様が、レザト様の言葉を柔らかく遮った。


「わたくしの事は、わたくし自身の言葉で紹介致しますわ。ルチカ様。わたくしはイリアナ・ヴァレンドールと申します。リタクロスの副領主としてレザト様と共に政務に携わらせて頂いておりますの。末永く、お付き合いお願い申し上げますわ!」

「こ、こちらこそ。ルチカと申します。どうぞ、宜しくお願い致します」


私は精一杯の笑顔を作って答えた。イリアナ様の態度が柔らかくなったことに、少し安堵を覚える。

でも、その裏に隠された本当の感情を、私は探ろうとしていた。


「ほほほ! どうか緊張なさらないで下さいまし。何も取って食べたり致しませんわ。ルチカ様、リタクロスでのご旅行、楽しんで下さいね。わたくしの作り上げたこの街の魅力を、ルチカ様にも存分に味わって頂きたいですもの」

「はい、私もリタルク・ルミナリアのお祭り、楽しみです」


私は少し勇気を出して、自分の気持ちを伝えた。リタルク・ルミナリア。

レザト様から聞いた、この街の誇りであり希望の光。

私もその一員として、何か役に立てたら……。


「ほほほほ! そうでしょう、そうでしょう! 今年は特に力をいれておりますの。何と言っても今年はリタルク・ルミナリアから五年。さらなる飛躍へ向けた節目でもありますの。たった五年でここまでの規模にまで拡大したのも、一重に街の市民や商人。安全を守る騎士団の活躍があってこそ。今年はテーマに団結を掲げて、改めて街の調和と一体を図るために、秘石ランプも……」


イリアナ様の熱心な説明に、私は少し圧倒されながらも、この街への彼女の情熱を感じ取った。同時に、自分がまだこの街のことをほとんど知らないという事実に、胸が痛んだ。


「イリアナ。それくらいにしないか。興奮すると会話が止まらなくなるのはお前の悪い癖だぞ。今日はそのリタルク・ルミナリアの件でお前に進言したいことがあってな」


レザト様の声が少し緊張を帯びる。イリアナ様も、その変化を察したようだった。

空気が一瞬で変わり、重みを帯びる。


「まあ、何でしょう? カイからも報告があったかと思いますが、祭りの準備は完璧に整っております。レザト様にご心配をお掛けする点はないかと」


イリアナ様の声には、わずかな警戒心が混じっていた。

私は思わずレザト様の表情を窺う。その眉間には、わずかに皺が寄っていた。

レザト様は静かに、力強く語り始めた。


「昨晩の哨戒で、魔獣の襲撃がこれまで以上に激化しているのを感じた。危険な個体も確認されている。騎士団の疲弊も深刻な状況だ」


レザト様の言葉に、私は思わず昨夜の彼の疲れ切った姿を思い出していた。常に冷静で余裕のあるレザト様が、あんな状態になるということは……。


「幸い、エマの治癒魔法のお陰で持ち直しているが、それも一時的な解決でしかない」


その言葉と共に、レザト様の肩が僅かに沈む。

彼は一瞬だけ目を伏せ、まるで次の言葉の重みを量るかのように静かに息を整えた。

やがて、決意に満ちた眼差しでイリアナ様を見据える。


「そういった状況を鑑みて、イリアナ。リタルク・ルミナリアの開催延期を提案したい」


その言葉が執務室に響いた瞬間、イリアナ様の微笑みが砕け散ったように凍りついた。


「……今、なんとおっしゃいまして?」


イリアナ様の声が低く鋭く、まるで凍てついた刃のように広がる。隠しきれない怒りが、彼女から滲み出てくる。


「延期など論外です。レザト様、準備は既に整っております。延期などすれば、この街全体が混乱に陥るでしょう。リタルク・ルミナリアは、街にとって経済的にも政治的にも重要な意味を持っているのです」

「分かっている。だが、市民の安全が最優先だ」

「もちろん、市民の安全が最優先なのはわたしくも同意見です。その点は冒険者ギルドから増援を頼めば十分対応できますわ」

「冒険者の忠誠心や規律には問題がある。彼らは金で動く。緊急時に頼りになるとは限らない」


二人の言葉の刃がぶつかり合う中で、私は息をするのさえ忘れそうだった。


レザト様を支えたい、けれどこの場で何を言えばいいのか分からない。

ただ、彼のそばにいることしかできない無力さが、胸を締めつけるようだった。


そんな中、イリアナ様の表情が一層厳しさを増した。


「……これはあくまで【噂】ですが、王族も今年はお忍びで視察に来るらしいのです」


その言葉が執務室に落ちた瞬間、空気が凍りついた。レザト様の表情に、一瞬、何かが走ったように見えた。まるで誰かの顔を思い浮かべたかのように。


「この噂が何を意味するか分かりますか?」


イリアナ様の声が低く、けれど力強く響く。


「私たちは試されているのです。リタクロスは今、重大な岐路に立っている。この祭りの成功が、街の未来を左右するかもしれない。ですから……」


イリアナ様の言葉には、単なる焦りを超えた切実さがあった。まるで彼女には、私たちの知らない何か、大きな計画が見えているかのかもしれない。


「延期をすることは自分たちの無能をさらすようなものなのです! リタクロスの未来がかかっているのですよ」


レザト様は深く息を吐き、眉間にしわを寄せた。


「だが、イリアナ。市民の安全も無視できない」

「もちろんです。でも、この機会を逃せば、リタクロスの発展は大きく後退します。レザト様、わたくしたちにはこの祭りを成功させる義務があるのです。わたくしはこの街の将来を見据えて動いておりますの」


イリアナ様の声に、わずかに苛立ちが混じり始めた。

それは単なる理屈ではなく、彼女自身が感じているプレッシャーが形となって現れたようだった。


「イリアナ、お前の情熱はよく理解している。しかし、今、我々が優先すべきは――」

「……市民の安全、ですって?」


イリアナ様の表情が硬くなり、言葉が冷たく響いた。


「ええ、ええ。それも大切ですわね。ですが、レザト様……ここに来て、あなたがそればかりを口にされるのは少し残念ですわね」


深くため息をつきながら、イリアナ様が答える。


「かつて、あなたはこの街の成長に対してもっと情熱を持っていましたわね。私たちは共にこのリタクロスを築き上げてきました。それを……いえ、今は違いますわね。最近のあなたは、私の知っているレザト様ではない気がしますわ」


この言葉は、単なる街の自治に関する議論ではなく、イリアナ様自身の失望や苛立ちが混じっているように感じた。その視線が、次第に私に向けられていく。


「そして、そんなあなたが選ばれたお相手が……」


イリアナ様は、まるで私を品定めするように、ゆっくりと視線を這わせた。


「まさかこんなにも若い娘だなんて。ルチカ様。失礼ながら、私は驚きを隠せませんでしたの」


彼女の言葉が鋭く、胸に突き刺さる。まるで私がレザト様の変化の原因であるかのように――。

私は思わず顔を伏せそうになった。

でも、そうはしない。今の私には、レザト様を支える覚悟がある。ぐっと堪えたまま、顔を上げる。


「あなたがこの街の未来を背負っているにもかかわらず、こんな【支配的】な婚姻をなさるなんてね」


その言葉が、氷のような静寂を部屋に広げる。


「レザト様、かつてのあなたなら……このような選択はされなかったのでは?」

「イリアナ」


レザト様の低い声に、警告めいた響きが混じる。私を守ろうとするレザト様。

言葉が喉の奥で詰まる。それでも、引き下がるわけにはいかない。

私の中で何かが燃え上がるのを感じた。レザト様のため、そして私自身のために――。


「イリアナ様。【支配的】という言葉の真意を、もう少し詳しく教えていただけませんか?」


私は一歩前に出て、イリアナ様と向き合った。

レザト様の驚きに満ちた視線が、私の背中に注がれるのを感じる。


自分の口から出た言葉に、私自身も戸惑いを隠せなかった。けれど、この問いかけには意味がある。

イリアナ様の言葉の奥底に潜む、本当の感情を探りたかった。


【支配的】という言葉の選択には、何か理由があるはず。

もっと他の言い方があったにもかかわらず、あえてこの言葉で批判するイリアナ様。

その言葉の裏側に、何だか苦々しい思いが隠れているような気がする。

まるで、イリアナ様自身の過去の選択と、私たちの関係を重ね合わせているかのような。


イリアナ様は目を見開き、一瞬、言葉を失ったようだった。

予想外の質問に戸惑いながらも、その瞳の奥には別の感情の影が揺らめいているように見える。

けれど、次の瞬間には、その表情も優雅な笑みの仮面に隠されてしまった。


「ルチカ様。あなたはまだ若く、何もご存じないかもしれませんね。ですが、20も年下の女性との結婚など、本来なら白い目で見られてもおかしくありません。はっきり申し上げます――この婚姻は、歪んでますわ」


私たちの愛が歪んでいる?  

その言葉にふつふつとした怒りに似た気持ちが湧き上がってくる。


「そんなこと、ありません! レザト様と私は、互いを心から愛し合っています!」

「ほほほ、健気で純粋なこと。まるで、夢見る少女のようですわね」


イリアナ様は冷たい微笑を浮かべた。


「でもね、ルチカ様。若さゆえの純粋さというのは、時に盲目となるものです。そして、純粋な想いは、残念ながら時として簡単に操られることもあるのですよ……殿方の手によって」

「イリアナ」


レザト様が再び静かに口を開いた。


「お前がこのような結婚に対して嫌悪感を抱くのは理解している。しかし、私はルチカを愛している。この婚姻を覆す気はない」


レザト様の声には、いつもの力強さと共に、私を守ろうとする優しさが混ざっていた。

その言葉に、私は心が温かくなるのを感じた。


「ええ、ご自由にどうぞ。わたくしは口を挟む立場ではありませんからね」


その言葉には、明らかな皮肉が込められていた。

そして、彼女はゆっくりと私の方を向いた。


「でも、ルチカ様……もし、この結婚に少しでも疑問が生じたときは、どうかわたくしに相談してくださいませ。迷える女性を正しい道に導くのも、わたしくの使命ですから」


イリアナ様の声は穏やかだったけれど、その裏には鋭い刃のようなものを感じた。

彼女の言葉は、私の心の奥底にある小さな不安を、再び揺さぶろうとしているようだった。


私は深呼吸をして、勇気を振り絞った。

こんな私でも、レザト様のために、この街のために、何かできるはず。

その思いが、不思議な力となって湧き上がってくる。


「イリアナ様、ご心配ありがとうございます。でも、私はレザト様を信じています。そして、自分の気持ちも信じています」


私の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。


「確かに経験は少ないかもしれません。でも、だからこそ学んでいきたいんです。レザト様と一緒に、この街のために。そして、私自身のために」

「まあ、なんて……」


彼女の言葉は、途中で途切れた。

部屋の空気が、微妙に変化したのを感じた。レザト様の表情が、誇らしげに和らぐ。

エマさんも、優しく微笑んでくれている。


そんな中、イリアナ様は優雅に肩をすくめた。


「ほほほ。さすがレザト様が選ばれた方ですわねぇ。なんて素晴らしい視野をお持ちなのでしょう。どうかわたくしの期待も裏切らないで下さいね」


イリアナ様の声から、先ほどまでの敵意がなくなっていた。

代わりに浮かんでいたのは、複雑な色を帯びた微笑みだった。


「さ、次の会議が控えております。レザト様もご参加願いますわ」


イリアナ様は、ドレスの裾を軽やかに翻しながら、窓辺へと向かう。

その動作には、つい先ほどの緊迫した雰囲気を感じさせない優雅さがあった。


「次の会議で、レザト様のお考えを商人ギルドの方々も交えて、建設的に議論致しましょう……ね?」


その声音には、かすかな挑戦的な響きが残っていた。


「……ああ、わかった。皆は宿に戻ってくれ。私はここに残る」


レザト様が静かに頷き、重々しい足取りで窓辺へ向かう。

その姿を追う私の目に映るのは、リタクロスの街を見下ろしながら佇む二人の背中。

まったく違う背中のはずなのに、どこか漂う雰囲気に同じものを感じて、思わず息を呑んだ。


――二人は、この街の未来を共に背負っているんだ。


イリアナ様もレザト様も、それぞれ違う方法でこの街を守ろうとしている。その使命感は同じ。

二人の間に漂う静かな緊張感が、私にその事を教えてくれた。


ふと、執務室を出ようとした瞬間、イリアナ様が振り返り、私に穏やかに声をかけた。


「ルチカ様。このリタクロスという街が、あなたにとっても、かけがえのないものとなりますように……」


イリアナ様の言葉はただの挨拶ではなく、もっと深い意味が込められているように感じた。

どこか、私の中に隠れた不安を見透かすような、そんな含みがあった。


私には分からない。彼女がどんな思いで、この街を守ってきたのか。

でも、はっきりと感じた。

イリアナ様の中に、この街への深い愛情が確かに存在していることを。


新キャラクターのイリアナです! しょっぱなからレザト団長とバチバチやりあってますが、色んな視点を持ったキャラクターを出していきたいと思ってるのでイリアナ様のようなキャラは必須の存在ですね。

今後をお楽しみに!  今年もよろしくお願いします!

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