12. 琥珀色の追憶
イリアナ様の執務室から宿へ戻る頃には、街は朝の涼やかな空気から一変していた。
石畳を踏む足音が響き、商人や職人たちの活気に満ちた声が混ざり合い、通りは人々の熱気で満ちている。秘石ランプ工房から漂う金属と油の匂い、パン屋の甘い香り、馬具職人の革の匂いが入り混じり、街全体が目覚めたような活気を帯びていた。
「私、ギデオンの様子を見てきますわ」
エマさんが小声で告げ、優雅な足取りで去っていく。
その背中には普段の凜とした美しさの中に、どこか切ないものが漂っているように見えた。
「オレも~!」
レオもエマさんの後を追いかけ、小鹿のように駆けていく。遠のいていく足音に少し寂しさを感じてしまう。
エドウィンさんも何やら書類を抱えて、影のように静かに立ち去っていった。
彼の足音は猫のように微かで、まるで存在そのものが空気に溶けていくかのようだった。
一人残された私は、窓辺に立ち尽くしていた。
太陽の光が埃を舞い上がらせ、それはまるで金色の星屑のように輝いている。
窓ガラスは冷たく、私の指先がそっと触れると、小さな震えが走った。
みんなそれぞれの場所へ、自分の役割へと帰っていく。
その確かな足取りを見ていると、まだ自分の居場所が定まらない私は、ぽつんと取り残されたような気持ちになる。
窓の向こうでは街が生き生きと息づいているというのに、この廊下だけが異様な静けさに包まれていた。
私は窓辺から街を眺めながら、これからどうしようかと考えを巡らせた。宿で一人レザト様の帰りを待つだけだと思うと、胸が締め付けられる。
そうだ……エマさんのところに少し顔を出してみようかな。
先日、レザト様が宿の手配をしてくれた時のことを思い出す。
「ギデオンの回復には、家族の温もりが必要だ」と言って、リタクロス滞在中はエマさんとレオと一緒に過ごせるよう取り計らっていた。
今頃エマさんは、部屋でギデオンさんの治療をしているかもしれない。
あの豪快な騎士様が魔獣との戦いで負った傷……どれほどの重傷なのだろう。
私にもできることがあるなら、何か力になれたらいいのに。
それに、ギデオンさんなら街のことや騎士団のこともよく知っているはず。
少しでもお話を聞かせてもらえたら……。
冷たい空気が肌を撫でる中、私は決意を固めた。エマさんの部屋へ行こう。
家族水入らずの時間の邪魔になってしまうかもしれない。
でも……ほんの少しだけなら、様子を見に行ってもいいよね?
「……母様、お父様の傷、いつ治るの?」
扉の向こうから漏れ聞こえる声に、思わず足を止める。
レオの心配そうな声音には、幼い震えが混じっている。
それに応えるエマさんの優しい声と、ギデオンさんの少し強がった笑い声。
短い言葉のやりとりだけれど、そこには長い年月をかけて育まれた絆が、温かな光のように溢れていた。
その光は眩しすぎて、私の胸の奥が熱く痺れる。
まるで遠い日の記憶が、その光に溶けていくように。
子供の頃、私も両親との団らんを夢見た。
でも、記憶の中の父の笑顔は、いつも霞んでぼやけている。
母の声は、もう思い出すこともできない。
ただ温もりの残像だけが、心の片隅でかすかに息づいている。
「心配するな。この程度の傷、我輩が……いぎぎ!」
「もう、ギデオン! 無理は禁物ですよ」
エマさんの声には、叱咤の中にも深い愛情が滲んでいるように感じた。
――私も……いつかレザト様と、あんな風になれるのかな。
けれどその想いは、すぐに恥ずかしさに変わる。
エマさんとギデオンさんの関係は、きっと長い時間をかけて育まれたもの。
ただ愛し合うだけでは生まれない、家族という絆。
「お父様、早く治して……また一緒に遊ぼうよ!」
「ああ、約束だ」
父と息子の約束。その何気ない会話が、私の心をさらに深く揺さぶる。
レザト様との関係は、まだ始まったばかり。
結婚を約束してはいるけれど、こんな何気ない会話も、自然な触れ合いも、まだおぼつかない。
そっと、手を握りこむ。やっぱり、お邪魔するのはよそう。
私は静かに自分の部屋へと戻ることにした。
エマさんたちの幸せそうな声が、背後から追いかけてくるように聞こえる。
それは優しく、温かで、だからこそ切ない音色だった。
結構間が空いてしまいました…。二月以降はこっちにも時間をもっと割けるので更新を頑張りたいと思ってます!…と意気込みだけ書いておきます。




