12. 琥珀色の追憶②
部屋に戻ると、大きな窓から差し込む陽光が、白いレースのカーテンを透かして柔らかな模様を床に描いていた。
窓辺に立ち、私は通りを見下ろした。馬のいななきや蹄の音が耳をくすぐり、商人たちの威勢のいい掛け声が響く。路地からは子供たちの楽しげな笑い声が聞こえてくる。
けれど、それらの音は窓ガラス一枚を隔てることで不思議と遠く、まるで異世界の音のように感じられた。
代わりに、この部屋の静寂が重く耳に響く。
ふとベッドに目が留まる。朝、レザト様の温もりに包まれて眠っていた場所。
今はシーツの皺一つない、冷たく整然とした佇まいを見せている。
まるで、さっきまでの温かな記憶さえ拒むように。
私は思わず窓を開けた。街の賑わいが風に乗って部屋に流れ込み、カーテンが大きく揺れる。
風に乗って、パン屋の甘い香りと、市場の活気ある匂いが漂ってきた。
その生命力に満ちた空気が、部屋の虚ろな静けさを少しずつ押し流していく。
このままじっとしていては、寂しさに飲み込まれそう。
私は深く息を吐き、通りの喧噪に身を委ねることにした。
人々の声に耳を傾け、街の息遣いを感じていれば、少しは心が紛れるかもしれない。
「ルチカ様! 今日はワタシとデエトしませんか~?」
「カイさん……⁉」
突如響いた声に、私は思わず身を乗り出した。
窓の真下、日陰になった石畳の上にカイさんが立っていた。
狐のような切れ長の瞳が楽しげに輝き、深緑色の尾が軽やかに揺れている。
その姿は突然現れたというのに、まるでずっとそこにいたかのような自然さがあった。
「え……デート、ですか?」
私の戸惑いの声に、カイさんは片耳をピクリと動かした。
彼は優雅な仕草で通りの方を指差すと、甘い香水の香りが風に乗って漂ってきた。
「リタクロスの街をご案内させていただきたいと思いまして! レザト様も会議でお忙しいことですし……」
確かにレザト様は今、イリアナ様との会議で不在だ。けれど、一人の男性と街を歩くなんて……。
婚約者としての立場を考えると、胸の内に小さな重みが沈んでいく。
「あ、そうそう!」
カイさんの声が、まるで銀の鈴のように澄んで響く。
彼は意味ありげに口元を歪め、尾を優雅に揺らした。
「レザト様の昔話、お聞きしたいんですよねェ?」
その言葉が、私の心を強く揺さぶる。
獣人の森での日々——父との出会いより前の、私の知らない時代のレザト様。
その一言で、さっきまでの躊躇いが、まるで溶けていくように消えていった。
知りたい……もっとレザト様のことを。
エマさんとギデオンさんの自然な会話が、まだ耳の奥で温かく響いている。
何気なく笑い合える関係。ただ愛し合うだけじゃなく、お互いを本当に理解し合える深い絆。
私とレザト様は、まだその入り口にも立てていないのかもしれない。
彼の優しさに包まれていても、その心の奥底にある何かは、まるで手の届かない場所にある。
獣人の森の話題が出る度に、彼の瞳は影を落とす。
父のことを語る時の、まるで遠い海を見つめるような眼差し。レザト様の心の奥には、まだ私の知らない深い森が広がっている。
それは、彼が私に見せたくない過去なのかもしれない。
でも、私は知りたい。たとえそれが茨の道だとしても、その森の奥まで歩いていきたい。
私も、レザト様の全てを受け入れたい——。
その想いが、胸の中で炎のように燃え上がる。
「……はい、ご案内をお願いできますか?」
石畳に立つカイさんは、ゆっくりと満面の笑みを浮かべた。
陽光を背に、彼の姿が長い影を落とす。
にやりと開いた口の端から覗く犬歯が、一瞬だけ白く光った。
カイがルチカに接触してきた真意は…次回に続きます!




