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2.花の香りに誘われて <ジョシュア>

七章第4話は再びジョシュア視点。

祭りの喧騒の中、香りが導く“記憶”と“今”が交差します。

懐かしい香りに立ち止まり、彼が出会ったのは——

夕暮れが街を金色に染める頃、俺は祭りの賑わう路地をゆっくり歩いていた。

色とりどりの屋台が軒を連ね、王都の市場すら顔負けの活気に満ちている。


焼き菓子の甘い香り、異国から届いた香辛料の鮮やかな刺激、秘石細工が放つ静かな輝き——どの店先も、見事な品々を並べ、華やかな夢のような賑わいに満ちていた。


その美しい騒めきの中で、ふいに柔らかな香りが記憶を掠めた。

——ラベンダーに重なる、甘く儚げな花の香。


足先が意志を持ったように、自然にその場所で止まった。

眼差しの先に、小さな石鹸屋の屋台が佇んでいる。

丁寧に並べられた石鹸は、木箱の中で整然と並んでいた。その中にただひとつだけ、淡く紫と白が溶け合った、小さな石鹸が目を引いた。


あの時、幼いルチカへ初めて渡した石鹸と同じ香りだ。

当時はこんな風に心を揺さぶられるとは思いもよらなかった。


「……変わってないな」


微かな呟きは、人波にさらわれてすぐに消えた。

胸が締めつけられる。あの時、彼女が初めて浮かべた微笑み。

その儚くも温かな表情が、俺の胸に忘れがたく刻まれている。

どんな高価な品物よりも大切な記憶。


無意識に、胸元のポケットにあるブレスレットへ指先が伸びる。

まだ渡せないままの贈り物。


「ジョシュア様~!」


背後から明るい声が響き、振り返るとトビアスが風車と串焼きを手にして立っている。

あいつの単純さは、時に羨ましいとさえ思える。


その隣ではリュミセラが、祭りの灯りを受けて静かに佇んでいた。


「こんなところでお会いするなんて! リュミセラちゃんとデート中なんです」

「……そうか」


余計な話には興味がないという態度で短く応じる。


「はい! あ、さっきルチカさんも同じ石鹸を買ってましたよ!」

「何だと?」


名前を聞いた途端、思わず声が上ずってしまった。


「いやあ、声掛けようと思ったんですけど~ほら僕、デート中だったから…へへ、えへへ」


心臓が、深い鐘のように重く鳴った。


その時だった。リュミセラがトビアスへ向けた視線に、鋭く冷たい刃のような感情が煌めいたような気がした。一瞬の閃光にも似たその目の光に、俺は息を呑んだ。


「……どこで見かけた?」


かろうじて落ち着いた声色を保ちながらトビアスに尋ねると、彼は無邪気な明るさで指差した。


「あっちの通りの先、角を曲がった宿の方ですよ。領主様が泊まってる宿らしくて、さっき出店のおばちゃんが教えてくれました!」


俺はその一瞬の不穏な余韻を振り切れずにいた。視線をリュミセラから引き離すことができないまま、短い言葉を吐き出した。


「……そうか。お前たちも楽しんでこいよ」


トビアスとリュミセラの笑い声を背に受けながら、俺は示された方向へとゆっくり歩き始めた。


さっきのリュミセラの表情は何だ……? 嫉妬なんて言葉では生ぬるい何かを感じた。

あれはまるで殺気のような……。いや、今はリュミセラの事は後だ。

ルチカを探そう。


通りを進むにつれて、人々の声も楽器の響きも遠ざかり、やがて祭りの喧騒から切り離された、小さな路地へと辿りついた。そこはまるで、世界から忘れ去られた静寂そのもののようだった。


その静かな空間の片隅に、ルチカが立っていた。


彼女の手には、淡く花香る石鹸。夕暮れの微かな光が彼女の姿を儚く縁取り、まるで繊細な水彩画のように揺らめいている。


胸の奥が深く締めつけられる。


名前を呼ぼうとした瞬間、彼女はふと俺を振り返った。

目が合う。時間が、溶けて流れる蜜のようにゆっくりと止まった。


俺はただ心の中だけで、その名を囁く。

——ルチカ。


唇が動いたが、音にはならなかった。

彼女の瞳は驚きを宿して微かに揺れ、やがて、そっと昔と同じ柔らかな微笑みが浮かんだ。


それは決して忘れることのできない、俺だけが知るあの笑顔だった。

ルチカが俺だけに見せる、傷と思い出が混ざった少し寂しい色の笑顔。


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