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0061 風邪をひいたら風呂に入るな(?)

↓2024.06.12

   風邪をひいたら風呂に入るな(?)


 自分が子供(50年以上前)の頃、「風邪をひいたら風呂に入るな」とお医者さんたちが言っていたが、私は「風邪をひいたら風呂に入るべきだろう」と思っていた。それは経験的に、風邪をひいたときに運動して汗をかくと風邪の直りが早いと気づいていたからだ。

 今なら、体温が上がると免疫の働きが強くなるとか、汗をかくと新陳代謝がよくなるとか、等々の理由をあげることが出来るが、当時はそこまで考えてなかったようだ。(付け加えれば、「体力とか風邪による病状とかも考えて風呂に入るべきかそうでないかを判断すべきだろう」と今は考えている。)

 最近になって、「風邪になっても風呂に入ればよい」とある医者がテレビで話しているのを聞いたので、やっと気づいたのかと思った。(そういうことは何度かある。)

 ただ、「昔は、風呂に入った後、湯冷めしやすい環境(例えば銭湯からの帰り道とか)が普通だったから、風呂に入っては駄目だと言われていたのだろう」という説明には首をかしげた。そんなことは工夫(厚着とか)次第で防げることだから、判断の根本に関係するような問題ではないはずだと思った。

 以前の言動(あるいは昔からの理論とか)の言い訳をするために、反射的に何とか説明しようと話をずらす人たちがいる。追求されると言い訳をどんどん重ねていくものだから、最後は壮大な馬鹿々々しい理論に達することもしばしばだ。そんな思いこみに固執するような習性にとらわれているから、いつまでたっても自分の頭でちゃんと考えることが出来るようにならないのだ、と思った。




↓2024.07.05

   「言葉」と脳みその回路


 端正に整えられた「言葉」であっても、それを発した人が期待するほど的確な効果をもたらさない(意図が伝わらない)ことがあるのは、それを受ける一人一人の脳みそにそれぞれの過去の経験や思考によって形成された回路が存在していて、その回路が「言葉」の意味やその背後の現実などを直視させなかったり歪曲したりするように常習的に作用しているからである、と考えている。(言葉自体はただの観念であるから、現実と照らし合わせて解釈しなければ無意味であるが、ほとんどの人はそれすらまともに出来ない。)

 その回路の呪縛からある程度逃れられるように自らを訓練した人々も存在しているが、それは極めて僅か(全体の1%未満だと思っている)で、ほとんどの人は自分の脳みそに振り回されている、と私は認識している。(「言葉」は人の意識から無意識までの様々な部位に作用し、極めて複雑な反応(反射)をするが、そのことを分かっている人自体が極めて少ない。)




↓2024.07.06

   基本的には、同じ意味を表そうと……


 基本的には、同じ意味を表そうとするのならば同じ言葉を使った方が合理的である、とは考えている。

 しかし、過去から現在までのその時々に書いた別個の文章であれば、同じ意味で異なる言葉を使っていても(あるいは漢字やカナなどの表記が異なっていても)問題はないと考えている。

 私は自分自身が時間とともに変化していっていると承知している。過去に考えていたことを、今も全く同じように考えているとは限らないと分かっている。過去の自分は、厳密に言えば、現在の自分とはある意味別人なのである。過去から現在までの文章において、内容はもちろん、文章のスタイルや言葉の使い方にも、その時点の自分が表れていると考えている。

 異なる時点で書いた文章であるにもかかわらず言葉を統一しようとすることは、本来異なる存在である過去から現在までの自分の全てを同一の存在であると捏造することである。それはその文章を書いた時点の自分を抹殺し、存在しなかったことにしようとすることでもある。許容し難い異常な行為だと感じる。

 だから、私は過去の文章に手を入れるということを、誤字やケアレスミスでもない限りまずしない。何かを変更したり追加したりしたいことがあるのならば、新たな文章を書くことが多い。




↓2024.10.27

   何かの問題に対して単純な……


 何かの問題に対して単純な(しばしば美しい言葉の)解決策を思いつき、現実をほとんど考慮せず、それを絶対的な真理だと思いこみ、その独りよがりな観念(妄想)を人々に強要し、否定的な人々には憎悪をぶつけ、自分たちは最大限に正しいと思っている集団がこの世界中に溢れかえっている、と私は考えている。

 彼ら自身はその観念を容易に妄信することが出来るが、現実を観察し様々な事例を考慮し解決策を熟考するような人々はそうではない。彼らはそのことが理解出来ないし、理解しようという気になることさえない。

 それで、彼らは全体主義に邁進し、その観念を人々に強制し、従わない者たちを排除することこそを活動の支柱にすることになる。



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