0043 理工系の勉強をした人間は……
↓2019.12.03
理工系の勉強をした人間は……
「理工系の勉強をした人間は、論理的に考えることが出来る」、ということに一応なっているが、そういう人が書いた本を読むと、論理的で分かりやすい文章であることは、そう多くない。
文章を書くには、それなりのテクニックが必要で、論理的に整理された文章を書くのは簡単ではない。しかし、整理された分かりやすい文章を書けないような人間が、自分の頭の中を整理出来ているはずもない、と私は考えている。
何かの知識を理解して覚えている、あるいは、ごく限られた範囲の研究を一定の手順で実行出来る、という理工系の人々は大勢いる。もし、それだけのことで、本人たちが自分のことを論理的に考えることが出来ると考えているのなら、大きな間違いだと思っている。
(逆に、文系の人々は、たとえ文章がうまくても、あれこれに触れないで都合のいいことだけに言及する人が非常に多い、と思っている。故意あるいは無意識に、考えたくない現実を無視していて、うまく誤魔化しているようだと思う。それもまた、全く論理的に考えることが出来ないということだ、と私は考えている。)
↓2019.12.09
洗脳を目的にした思想を信じている人々……
洗脳を目的にした思想を信じている人々、あるいは洗脳であると意識されていないが実際には洗脳の効果で成り立っている思想を信じでいる人々には、下記のような特徴があると私は考えている。(それが真実であるかどうかに関係なく、人にそれを信じこませるようなシステムが組みこまれている思想を、私は洗脳思想と定義している。)
(1)単一の見方を絶対視し、それが妥当であるかをじっくりと考えることが出来ない。(いくら考えているつもりであっても、単一の見方しか出来ないのはじっくり考えているということではない。)
(2)自分の主張を押しつけることを何より優先し、異なる意見を持つ人々の話に耳を傾けることが出来ない。(たとえ耳を傾けるようなふりをしていても、実際には頭に入っていない。)
(3)自分の主張を受け入れない人々はまともな人間ではないと信じこみ、ののしるのが当然だと思っている。
(4)物事を考えていない人々に対して、一定の感染力がある。
異なる意見を怒鳴って黙らせるのは全体主義の常道だが、どのような全体主義であろうと例外なく洗脳思想である、と私は考えている。(ここで私が言っている全体主義とは、無条件に単一の考えに従わせようとすることである。柔軟で有意義な協議や討論を許容しない思想である。)
↓2019.12.29
単眼的な主張について
私は単眼的な主張は好ましくないと思っている。単一の視点だけで考えて、それで十分考えたと判断し、自分は正しいと主張する人々が非常に多い、と感じている。
そう感じた事例の一つを説明してみたい。
最近、発汗によるデトックスにはあまり効果がないという主張を読んだ。その理由は、汗で排出される毒素の分量はほんのわずかで、尿や便で排出される量と比べればとるに足らないから、ということだった。
発汗によるデトックスにはあまり効果がないという判断が本当に正しいのかどうかは、実際に調査している研究者ではないのだし、私は断定的に言うことが出来ない。ただ、もっといろいろな視点で考察すべきだろう、とは思った。
自分がちょっと思いついただけでも、様々な視点がある。キーワードだけを挙げれば、量と作用の関係、効用と阻害の違い、排出器官の分担、水の場合、体温の上昇、など。考察すべきことは、もっと他にもあるに違いない。
視野の狭い人ほど、自信満々で断定的な主張をする傾向があるのは、考えてみれば当たり前だと思っている。そして、視野の狭い人ほど、断定的な表現に影響を受けやすいようだ。単眼的で断定的な表現は洗脳の一種であり、非常に危険だと私は考えている。
「もう結論を出したのだから、もうこれ以上考える必要はない」というような人は、自分を洗脳して満足と安心を得ているのだと考えている。




