0038 情けないと思えばいい
↓2019.03.03
情けないと思えばいい
世間では、世の中が悪いとか誰が悪いとか、自分以外を責めてばかりの人がいる。そんなに自分のことを純真で間違いのない存在だと考えているのだろうか、と私は不思議で仕方がない。
自分のことをとやかく言うなと言いつつ、人を強くののしってばかりいる人もいる。自分は特別な人間だからと、何をやっても許されると思っているのか。それとも、自分がどんなに矛盾したことをやっているかに、まるで気づいていないのだろうか。
私は駄目な自分が、情けなくて仕方がない。私は今の自分でいいとは思わないし、もっとましな存在になりたいと常日頃から思っている。自分を情けないと考えることは苦しいことではないかと問われれば、苦しいに決まっている。しかし、情けなくて当たり前だとも思っているから、仕方ないとも思っている。
人は一人一人が違っていて、高いレベルの人もいれば低いレベルの人もいる。それぞれの人がそれぞれの情けなさを持っているのは、その人が完全に無謬な存在でない限り、当たり前だと考えている。だから、情けない存在であることを必要以上に嘆く必要はなく、それぞれの人がそれぞれのレベルで折々に情けないと思えばいい、と考えている。そして、自分を無条件に肯定することは間違っている、とも考えている。
↓2019.03.04
よく、幽霊やUFOなどの不思議な現象の……
よく、幽霊やUFOなどの不思議な現象の全てが、幻覚や思い違いの類であると主張する人がいるが、あまりまともに相手にする必要はない、と思っている。事例の何割かが幻覚や思い違いの類である可能性を否定するものではないが、全部がそうだと結論づけることは不可能だと考えているからだ。
不思議な現象の全てが幻覚や思い違いの類であるというのは、それを言っている人の単なる思いこみであり、完全に証明された事実であるというわけではない。
確かに、幻覚や思い違いの類であることが確認された事例もあるようだ。しかし、論理的に言って、それが全ての現象を説明するものであると証明された、ということには決してならない。
そんなことも分からない人と議論しても不毛だと思うし、そもそも議論で結論が出るようなことでもないだろう、と思っている。
(私は、たぶん存在しているだろうとは思っているが、絶対に存在していると主張しているわけでもない。)
↓2019.03.14
「間接法」洗脳の一つ
日常的に言葉を漠然と使っている人は、一つ一つの言葉に観念的な(思いつきの)意味づけを定着させる傾向があり、その結果、読んだり聞いたりする文章や会話(言葉の集合体)を常に捻じ曲げて解釈することになる。
また、そのような人は、言葉を通じて観念的な(しばしば感情的な)概念に誘導されやすく、気づかないうちに簡単に洗脳される。
と、私は考えている。
↓2019.04.28-05.10
スケッチの効用
スケッチすることには少なくとも二つの効用があるだろう、と私は(現時点で)考えている。
その一つは、意に沿うように線を描く技能を高める、ということである。
例えば「円」を頭の中に浮かべて、それを紙の上に描こうとしたとすると、ある一点から初めて、常に均等に角度を変えながら線を引き続けなければならない。偏りがあってはいけないし、線が震えてもいけない。
頭の中には、比較的はっきりとした「円」のイメージがあるはずだ。しかし、線を描く腕の筋肉やその他もろもろを使いこなせなければ、イメージ通りに描くことは難しい。
スケッチは、様々な線を何度も描くことによって、線をイメージ通りに描く能力を高めるものでありうるだろう、と考えている。
もう一つは、観察力を高める、ということである。
スケッチは、目の前にあるものを描き移すことだと言えると思うが、より正確に言えば、自分が見たと思ったイメージを描き移すことだ、と考えている。
見たままを描いたつもりでも、目の前のものとよくよく比較してみると、短すぎたり長すぎたり、傾いていたり歪んでいたりしていて、不正確であることに気づくことが、私は多い。それは、自分が見たつもりでいるイメージに、誤りや見落としが多いせいだろう、と考えている。
目から入ってくる情報には、線や色や陰影など、様々な要素がある。訓練が十分でなければ、その膨大な情報を頭が処理しきれず、ついつい恣意的に簡略化されたイメージで把握してしまうのだろう。普段の生活では、それほど詳細な情報が必要ではないせいでもあるのだろう。
スケッチは、注意深く観察することによって、正確で詳細な情報を頭の中に入力し、なおかつ、頭の中で総合的なイメージを構築する能力を高めるものでありうるだろう、と考えている。




