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0028 「頭が良い、頭が悪い」と「賢い、愚か」について(再考)

↓2017.03.20-04.13

   「頭が良い、頭が悪い」と「賢い、愚か」について(再考)


 以前にも書いたことがあるが、私は昔から、「頭が良い(⇔頭が悪い)」と「賢い(⇔愚かな、だ)」という言葉を、異なる意味で使っている。新たに考えたことがあるので、再度整理してみたい。ただし、完成した考えではなく、途中経過である。


 私の定義では、「頭が良い」とは、記憶力が良いとか思考速度が速いといったようなことである。(コンピュータで言えば、記憶容量が多く計算速度が速い、というようなことだろう。)学校で教わるような机上での勉強について、学習能力が高く、テストでも高得点が取れる、と表現することも出来るかもしれない。あるいは、何かの問題に対して、学習した方法を適用して解答する能力が高いこと、としてもよいだろう。(いずれも、間接的な説明であって、本質的なものではないかもしれないが。)

 普通人々は、「頭が良い」ということを、脳を活発に使っている状態だと解釈する、ようだ。私も基本は同じ解釈だが、ただ大きく違っているのは、「頭が良い」からといって、論理的な考えを組み立てていくことが出来るとは限らない、としている点だ。(コンピュータで言えば、マシンの性能は高いけれど、プログラムが正しいとは限らない、というようなことだろう。)既存の解決法を当てはめることは出来るけれども、自分で独自の解決法を考えられるとは限らない、ということでもある。


 ちょっと話がそれるが、脳の識域下(無意識の領域)での処理は速い、ということを以前書いたことがある。関係があるので、まとめておきたい。

 人が「意識」して考えたり体を動かしたりする場合、その処理速度は非常に遅い。それは、「意識」自体の処理が重くて、速度に限界があるからだ、と考えている。

 しかし、「意識」を必要としないような能力を使う場合は、処理速度を速くすることが可能になるようだ。例えば、コンピュータのキーボードを叩いてデータを入力する場合、初心者は「意識」して指を動かす必要があるので、処理が遅い。それに対して習熟者は、指の動きを「意識」してないので、処理が速い。それは、訓練によって、識域下の領域に「キーボードを叩いてデータを入力する」ための回路が形成され、「無意識」に処理出来るようになっているからだ、と考えている。

 「頭が良い」人間の脳でも同様のことが起こっているというのが、私の仮説である。つまり、学習を積むことによって様々な事例に対する回路(解決策)がたくさん識域下に組みこまれているので、問題に直面したときに、回路を活用して迅速に問題に対処出来る、ということではないかと考えている。

 ただし、その回路が問題に対して、正しい解答を与えてくれるかどうかは、別の話である。


 次に、「賢い」について。

 私の定義では、「賢い」とは、自分で「意識的に」、しかも「論理的に」考えを組み立てられる、ということである。(これも、いくぶん間接的で、本質的な説明ではないかもしれないが。)

 「意識的に」とは、学習によって蓄積した知識や能力を自動的に(「無意識に」)引き出して、考えたと称することではない。人から学んだことのみならず、自分が過去に考えたことであっても、(なるべく)再度検証して採用する、ということである。(限度というものはあるが。)

 「論理的に」とは、基本的には、頭の中だけで成り立つのではなく、現実に適応してもうまくいくように考える、ということだと見なしていいと思う。ただ、人間は現実の全てを把握しているわけではないし、完全な判断力を持っているわけではないので、一度うまくいった考えであるからといって、その他のケースでもうまくいくとは限らない。様々な現実に直面し、繰り返し検討していくことで、より多くの場面で役に立つ考えを組み立てられるようになる、のだと考えている。つまり、ごく一部の現実しか見ない人は「賢く」ならない。(コンピュータで言えば、机上で書いたプログラムがそのまま使えることは稀で、実際に様々なケースで実行して不具合を一つずつ潰していかなければならない、というようなことだろう。)

 私はときどき、基礎的なレベルの「賢い」を、「明々白々なことが分かる」と言い換えることがある。「賢く」ない人達は、往々にして、自分の観念や信条に合わせて現実を決めつける強固な癖があるので、「明々白々なこと」さえ分からない、と思っている。


 私は、「頭のいい」人はそれなりに存在している(全体の三割くらい?)が、「賢い」人はあまり存在していない(全体の1%未満?)、と感じている。全くの当てずっぽうの数字だが。

 普通、「頭のいい」人は社会で評価されやすく、それなりの責任を受け持つことが多いのだが、必ずしも「賢い」とは限らない。既存の問題に対してなら、それなりに対応出来るかもしれない(それすらも怪しい事例がたくさんあるのは、単に分かったつもりになっているだけの場合があるからだろう)が、知識や経験がないことについては、途端にとんでもない行動に出る人々が少なくない、と感じている。

 しかし、そういうことは社会で認知されてないので、しばしば大きなリスクを生み出しているようだ、と私は考えている。

 (これも仮説に過ぎないが、「頭のいい」人ほど「賢い」人になるのが難しい、のかもしれない。「頭のいい」人ほど識域下の回路に頼る傾向があるので、「意識」して考えない傾向があり、その部分に大きな穴があるのに「論理的に」考えているつもりになっているだけ、ということに気づいてないということが起こりやすい、かもしれない。)


 ちょっと話がずれるが、もう一つ付け加える。普通、何かの刺激を受けたとき、識域下でまず処理して、ある程度の分析が済んでから、「意識」に上ってくるとされている。(上ってこない場合もある。)「無意識」の領域での反応が先で、「意識」するのはその後だというわけだ。だから、「無意識」が「意識」を支配しているのだ、と主張する人もいる。

 私は、「意識」のある状態で学習を繰り返すと、「無意識」の領域に回路ができる、と考えている。なおかつ、「無意識」の領域の回路を「意識的に」改善することも出来る、と考えている。また、「無意識」の領域をある程度は「意識」することも可能だ、とも考えている。つまり、「無意識」の領域に対して「意識」して働きかけると、「無意識」をより有効に活用することが出来るので、「意識」が「無意識」の支配下にある状態を脱することは可能である、という考えだ。

 「無意識」の暴走を防ぎ、「無意識」を有効に活用するためには、「意識」して「無意識」に働きかけなければならない、と考えている。



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