0024 洗脳について(密教系)
↓2016.04.29
洗脳について(密教系)
西洋式の洗脳が西洋心理学や精神医学を基盤としているように、密教系カルトの洗脳は古代インド哲学を基盤としている、と私は推測している。西洋のものと同様に、古代インド哲学には無意識や集団無意識という概念が存在している。(密教系カルトは密教の知識を悪用している、ということだろう。)
↓2016.05.02
識閾を超える効果
以前、「自分の識閾下を常に意識して推理していれば、洗脳は解けやすくなる」と書いたことがある。(「自分の識閾下を日常的に意識して推理していれば、洗脳されにくくなる」ということでもある。)
実は、「自分の識閾下を意識して推理する」ことによって得られる効果はそれだけではない、と私は考えている。
ひとつには、「識閾下の領域の一部を意識出来るようになる」ということが言えると思う。別の言い方をすれば、「無意識の領域が縮小し、意識の領域が拡張する」ことになる。それは、無意識と意識の境界があいまいで、はっきりと区切られているわけではないからだ。
そうなれば、意思決定などの過程では、様々な選択肢を識閾下で検討していて、その一部しか意識に上ってこなかったことに気づくようになるだろう。そして、何かを選択するとき、それが論理的に選択されているとは限らず、様々な利己的な動機に影響されている場合が多いことにも気づくようになるだろう。それに気づくと、意識的に、合理的な判断をするように軌道修正することも出来るようになる。
さらに、様々な発想が関連性や重要性などに関係なく次々に湧き上がってきて、半ば機械的に除外され、そのほとんどが意識されることがない、ということにも気づくだろう。機械的な除外の基準の一つには、例えば「常識」と呼ばれるようなものがあって、その発想が重要な意味を持っていたとしても考える前に捨てられることがある、ということに気づくかもしれない。(勿論、気づいたとしても、柔軟さがなければ役に立たない。)
次の結論については、私にしても推測の度合いが高くて、必ずしも確信しているわけではないのだが、そのことが分かるレベルになると「直感的発想」を引き出せる確率が高くなるのではないか、と私は考えている。(私が念頭においている「直感的発想」は、コリン・ウィルソンの『賢者の石』という小説におけるようなものである、とだけ書いておく。)
さらに仮説をあげると、アスペルガー症候群を持つような人々が一般的な人より優れた能力を発揮する場合があるのは、本来識閾下に留まるように制御されている脳の機能が、うまく制御出来ずに意識の領域に上ってくるからなのかもしれない。逆に、一般的な人でも、自分の能力を引き出そうとして識閾下にアクセスしすぎて、識閾の制御をうまく出来なくなってしまう場合もあるかもしれない。
↓2016.05.16
私は、他人の思いつきであろうが……
私は、他人の思いつきであろうが、自分の思いつきであろうが、とりあえず仮説に過ぎないと決めつけることにしている。しかし、世の中には、自分で思いついたことは真実だと思いこむ傾向の強い人がいて、そういう人はえてして自信満々で発言するのだが、私には単なる妄想だとしか思えないことが多い。




