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0014 国立博物館で火焔土器を見た時……

↓2012.12.15

   国立博物館で火焔土器を見た時……


 国立博物館で火焔土器を見た時、右回りのものと左回りのものがあることに気がついた。どちらが右でどちらが左だとは言えないが、土器の縁の模様の方向が正逆2種類あった。そして、炎というより何かの動物をかたどったものであるような印象を受けた。




↓2013.01.07

   古い心理学についての個人的な見解


 フロイトに感化されて、人間というものを決めている根本は、生まれるときのトラウマだ、いや向上心だ、集合的無意識だ、と様々な説を主張する人たちが出現し、フロイトの周りでなかよく議論するようになった。

 しかし、エイブラハム・マズローが出てきて、「いや、人によって違うのだよ」と言って、ばっさり切ってしまった。彼は、下位の欲求が満たされれば上位の欲求を持つようになるという階層構造を示し、様々な説を統合出来ることを示した。しかし、下位の欲求が満たされていなくても高次の欲求を持つ人たちが存在することにも気づいていた。

 フロイトの周りでわいわい言っていた人たちは、フロイトに感化されてフロイトの論法で考え、無理やり単純な(自分の好みの)見方で一律に人を解釈しようとしていた、と思う。


 (ユングの日本への紹介者の一人であるトマス・インモースは、フロイトを「当時の自然科学に影響されて、人間を性衝動からエネルギーを得る機械のようにみなした」と評した。私は、人間はもっとわけの分からないものだ、と思っている。)




↓2013.01.25

   中学生のとき、人は言葉に誘導されて……


 中学生のとき、人は言葉に誘導されて(あまり考えることなく)考えを固定することに気づいていた。(言葉の持つ性質から来ている構造的な問題があると気づいていた。)それは洗脳と言うほど強制的なものではないが、効果は同じだし、日常的でもある。

 高校生のとき、一般意味論を知ったときには、同じようなことを考えている人がいると思った。




↓2013.02.15-25

   偽っている人


偽っている人(1)

 高校生の時に、意識して自分を偽っている人より、無意識のうちに自分を偽っている人の方が見抜きやすいと気づいた。

 無意識のうちに自分を偽っている人は、識閾下ではそのことに気づいているので、知らず知らずのうちに態度に出る。しかし、意識して偽っている人は、ばれないように注意しているので態度に出にくい。

 ということであろうと考えた。


偽っている人(2)

 そもそも、人が意識しない領域、つまり識閾下は何のためにあるのか。私は少なくとも3つの機能があると考えている。

 (補足:識閾下は意識出来る領域より遥かに広大であり、おそらく単一の領域ではないだろう、とも考えている。ここに挙げた以外の機能も当然存在すると思っている。)

 その1:自動化

 例えば、コンピュータのキーボードで文字を入力する場合、最初のうちは指をどう動かすかいちいち意識しなければならない。しかし、それを何度も繰り返すうちに頭の中にパターンが形成され、自動的に指が動くようになる。私は識閾下でそのようなパターンが無数に形成されていると考えている。

 その2:高度な処理の実行

 人間が意識している範囲はそんなに広くない。あまり複雑なことは考えられないし、速度もゆっくりしている。しかし、人間は自分が意識しているより高度な能力を持っている。(例えば、外国語を勉強していると、母語を使うことがとても高度な能力であることに気づく。)ただ、意識がついていけないからその能力は識閾下にあり、その存在に気づいていない人が多いだけなのだと考えている。

 その3:目隠し

 意識することが辛いことや面倒なことなど、意識したくないことを人はある程度無視することが出来る。その場合、情報を識閾下で処理することによって、自分の意識から締め出しているのではないかと考えている。

 自分を偽っている人は、識閾下で情報を受け取り自動的に(正直に)処理してしまうので、無意識の内に本当の気持ちが態度に出してしまうのではないか、と考えた。


偽っている人(3)(了)

 自分のことは自分より他人の方が案外よく分かっているということを言う人がいるが、そのような人は識閾下に隠れている自分のことを見ようとしない人なのだろうと思う。

 確かに、識閾下で行われていることを意識しようとしても、意識出来る範囲は限られている。しかし、折々の自分自身の態度を見れば、識閾下で何が起こっているのかを推測することは出来る。また、様々な想定をして自分がどう行動するかを考えてみることで、自分の中(識閾下)にどういう偏りがあるかに気づくことも、ある程度は出来るだろう。

 その気になれば、識閾下の自分を知ることは案外易しい、と思っている。


(応用編、つまり洗脳の解き方とか、も書こうと思ったが、いろいろ関連することが多すぎて、今はうまく書けそうにない。)




↓2013.02.19

   言葉には厚みがあるが……


 言葉には厚みがあるが、ごく表面をなぞることしか出来ない人の方が多い。



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