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0012 絶対音感について

↓2012.11.20

   絶対音感について


 絶対音感とは、聴いた音の正確な高低をとらえることが出来る能力だされている。そして、絶対音感のある人が、聴いた音を瞬時に「ド」とか「レ」とかであると言い当てられることを、すばらしいことだと思っている人も多いのではないかと思う。

 しかし、音楽を純粋に楽しむには、絶対音感は邪魔でしかないと思う。


 私は、絶対音感を、音の高低をとらえられる能力というよりは、音を「ド」とか「レ」とかの「言葉」に置き換えられる能力であると思っている。音楽を単に音として聴くのと、「言葉」として聴くのとでは、音楽のとらえ方が大きく異なっているはずである。おそらく、音を処理する脳の部位と「言葉」を処理する脳の部位も異なっているだろう。「言葉」を処理する脳の部位がどれだけ音楽を味わう能力があるかは分からないが、基本的には邪魔になるだけだろうと考えている。

 音楽を聴いて本当にすばらしいと感動するときには、音楽に没入していて、余計なことを考えないのが普通だろう。音楽を聴くたびに、「ド」や「レ」の「言葉」が頭の中にあふれていたら、安心して音楽に浸れないだろう。


 そういうことを考えていたら、ある日本人音楽家(オペラ歌手)が絶対音感があることを嘆いているのを耳にした。その方は、プライベートで音楽を楽しむときは、音階の境がはっきりしないような楽器の曲を好んで聴く、と話されていた。

 絶対音感を持っているということを自慢している音楽家がときどきいるが、私はそのような人は、音楽家として感性が乏しいのではないかと疑っている。


 そうは言っても、音楽家は絶対音感を持っている方がよいとされているのは事実である。それは次のようなことではないかと思っている。

 例えば、全く未知の言語を聞いたとき、それをほとんど記憶できないという経験をした人は多いのではないだろうか。未知の言語では、自分の知っている言語では使わない音(及び単語)を使っているので、それを「言葉」としてとらえることが普通は出来ない。そして、単に音としてとらえた場合、それを処理する脳の部位の能力に限界があって、ほとんど記憶に残らないという現象が発生するではないかと思う。(いろいろな情報が含まれている音それ自体より、置き換えられた「言葉」の方が情報量が少ないということもあるだろう。)

 よく知っている言語については、話された音を「言葉」としてとらえることが出来るので、その意味を理解したり、記憶したり、どう受け答えればよいか考えたりするといった、様々な処理が容易に出来るようになるではないかと考える。


 絶対音感を持つ人の頭の中でも、それと似たようなことが起っている、というのが私の考えである。つまり音を「言葉」として聴くことによって、今どのような音がしたかを判断し、次はどのような音にすればよいかなどと、効果を計算することが容易になる、ということではないかと考えている。だから、絶対音感を持っている音楽家は高い表現能力を習得しやすくなり、すぐれた音楽家であると評価されることが多くなるのだろう、と推測している。(絶対音感が音楽家として必須の能力だとは考えないが、有利なのは間違いないだろう。もちろん、音楽を音楽として聴く能力もあるからこそ、有効なのだろうが。)


 というようなことを考えたことがあったが、そもそもほとんどの音楽が決められた音だけを使い、その音と音の間に何もないようなふりをしていることはおかしなことなのかもしれないとも思っている。決められた音と音の間にも、豊かな音が隠されているかもしれないし、それを知らずにいるのはもったいないのでは、と思う。





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