星読みの塔
突然現れた皇子ミハイルに、大使夫人たちは丁重な礼をしているが、エカテリーナは深く頭を下げることはない軽い礼を選択した。
ミハイルとは友人同士であり、ここは皇后主催のお茶会の場で、ミハイルの登場はイレギュラーだ。きちんとした儀礼の場ではないので、堅苦しいのはそぐわないはず。そういうことが、感覚的に身についてきたのを実感する。
一同の中にエカテリーナを見付けたミハイルの表情が、ロイヤルスマイルから親しい相手への笑みに変わった。エカテリーナも笑顔を返す。なにしろ、会う約束をしていた友達なので。
「皆さん、お楽になさって」
エカテリーナと大使夫人たちにそう声をかけたのは、皇后マグダレーナだった。皇子ミハイルに対する礼であっても、この場で最も身分が高いのは彼女であるため、皇国の礼儀ではそうなる。
一同は揃って席に着いたが、突然の皇子の登場に驚きというか軽く興奮している雰囲気があった。
そりゃそうなるよね、とエカテリーナは納得する。
なんといっても皇子は、次代の皇帝陛下。今からよしみを通じておけたら、国家間の関係性も変わってくるのだろう。君主制における君主個人の価値って、あらためてすごいものがあるなあ。
いやでも、単純に、皇子がイケメンだからかも。ここにいる奥様たちは、有能な影の外交官揃いなのだろうけど、イケメン皇子にきゃっきゃするミーハー心はきっとあるはず。
もしや皇子、皇国の外交のために夫人たちを篭絡しに現れた?
いつもながら、これだけ考えられるのになぜ何かにだけ気付かないのか、という思考を展開するエカテリーナである。
「そろそろ終わりにしようと思っていたの。でも、少し早くてよ」
マグダレーナが息子に言い、ミハイルは一礼した。
「申し訳ありません。『星読みの塔』がしばらく空いていることがわかったので、エカテリーナを案内したいと思ったものですから」
ふ、とマグダレーナが微笑む。
「そう。天文官が塔を空けるとは珍しいこと。滅多にない機会ね」
そして、隣のエカテリーナを流し見た。
心得て、エカテリーナは立ち上がる。その動きに合わせて、完璧なタイミングで椅子を引いた侍従は、さすがであった。
エカテリーナはマグダレーナに向けて、淑女の礼をとる。
「皇后陛下、このように素晴らしい機会をいただき、ありがとう存じました」
マグダレーナは微笑んでうなずく。エカテリーナはさらに、大使夫人たちへも礼をとった。
「皆様のお国の文化の素晴らしさに感じ入りましたわ。わたくしのような若輩者をお話に加えていただき、ありがとう存じました」
祖国である皇国の外交のため、そして公爵家とムラーノ工房の家の商機のため、エカテリーナは丁重かつ優雅に挨拶をする。
夫人たちからは、大変好意的な笑顔が返った。皇后マグダレーナの手前というだけでなく、エカテリーナ個人ともこれからも交流してもらえそうだと、期待の持てる空気だ。
ふふふ、ガラスペンと『天上の青』の売り込み、まずは上々だね!
内心にんまりしているエカテリーナは、やはり何かにだけ気付かないのであった。
「途中退席にさせてしまって、ごめんね」
連れ立って部屋を出たところで、ミハイルに言われてエカテリーナは微笑んだ。
「そのような。歓談は充分にできましたのよ、むしろわざわざお迎えに来てくださり、ありがとう存じます」
「楽しかった?」
そう訊かれて、ぱあっと笑顔になるエカテリーナ。
「はい、たいそう楽しゅうございました!学園で皇国内のさまざまな文化に接しておりましたが、国外のさらに多様な文化に触れることができ、学ぶことが多うございましたわ」
なんといっても、ファンタジー世界のファンタジー文化だもの。ラジャ夫人が話してくれた鳥人族もそのひとつだったけど、会話の中にいろんな不思議が見え隠れしていて楽しかった。
釣られるように、ミハイルも笑顔になる。
「君はすごく、冒険心が旺盛なんだね」
少し意外な表現に、エカテリーナは目を見張った。
好奇心ではなく冒険心かあ。ちょっと面白い言い回し。
でも確かに、生まれ変わってファンタジー世界を生きているこの人生は、ただ生きているだけでちょっぴり冒険かも。
「生きることは、すなわち冒険なのですわ」
エカテリーナが澄まして言うと、ミハイルは笑った。
「そうかもしれないね。君はきっと、『星読みの塔』も気に入ると思う。案内するよ」
『星読みの塔』の名前は、エカテリーナも知っていた。皇国の歴史書に書かれていたからだ。
とはいえ詳しい記述はなく、気象予測についての報告が星読みの塔から上がってくる……くらいにさらっと触れられていただけだ。ただロマンチックな名前だから、記憶に残っていた。
歴女の知識として、天文官といえば最も主要な業務は暦の作成。
洋の東西を問わず、農業・航海・軍事・祭礼・政治日程の基盤となる暦は、国にとって超重要なものだった。
ちなみに平安時代の陰陽師は、史実では国家の暦と天文・占候を司る官僚だったんだよね。吉凶の占いはしたけれど、怪異とバトルするお仕事ではなかったです。
そんな知識から、『星読みの塔』というロマンチックな名前であっても、官僚による天文観測の資料がぎっしりつまった通好みなサイエンスロマンな場所ではないかなー、と予想していたエカテリーナだったが。
ミハイルの案内でそこに足を踏み入れて——エカテリーナは、絶句した。
夜だった。
満天の星空が広がっていた。
本当の夜にさえ、これほどの星は見たことがなかった。
雲ひとつない。空気の揺らぎによる、またたきもない。むきだしの星の光が、無数の目のようにこちらを見つめている。星の光だけで、満月ほどにも明るかった。
実際には、夜空と見えるのは半球状の天井であるはずだ。しかしどう見ても、輝く星々は天井に描かれた絵ではない。
星の光と呼応するように光るものが、床に設置されていた。
エカテリーナには抱えきれないほど大きな、金属製と覚しきどっしりとした、神秘的な形状で天体の動きを表す天球儀だ。
この星空は、プラネタリウムのようにこの天球儀から投影しているもの?
そう思いかけたが、天球儀は全体がぼうっと光るばかりで、天井に向けて光を放っているようには見えない。
「ミハイル様、これは!……これは、一体?」
思わず大きくなりかけた声を、エカテリーナは自らひそめる。星々の静謐を乱してはならないと、感じたので。
ミハイルは微笑んだ。
「ここは、皇城で一番冒険的な場所かもしれないね。天井に見えている星々は、もしも今太陽が世界を照らしていなかったら見えるはずの星だそうだよ」
なんですと!
真昼の星!?地上ではなく宇宙ステーションにいたら常に星が見えるだろうけど、そんな感じの光景だということ!?
凄すぎる!
「この天球儀が受けた天空神の祝福の力のおかげで、この『星読みの塔』では常に星の動きを観察できるんだ」
なるほど神様か……思えば神様って、最強チートな存在よね。
「天空神様の御力は大変なものですのね……この天球儀は皇国の至宝と言えましょう」
「本当にそうなんだ。見て」
ミハイルが天球儀に歩み寄り、すっと撫でる。
わー!
なんと!ズームアップしたー!!
この世界に天体望遠鏡が発達していないのって、こういうものがあるせいなのかも……人間のテクノロジーがこれに追いつくのって、まだ先だわ。ていうか、これに対抗してテクノロジーを磨く意欲を持てないかも。
半球状の天井には今は、青白く輝く星々の群れが大きく見えている。前世のすばる、プレアデス星団によく似た、清冽な光の集まりだ。
ふと、レフの女神像を思い出す。
その時、ミハイルが言った。
「ここで渡したかったんだ……誕生日プレゼント、受け取ってくれるかい」
お読みくださってありがとうございます。
浜千鳥です。
星読みの塔、書いていて楽しかったです。この天球儀が自宅にあったら素敵ですね。
次回更新は5月10日とさせてください。
北海道東北の皆様、どうかご安全でありますよう。




