02/03. 元少年の思い出(3)
教会堂に、子供たちの弾んだ声が流れている。
耳が心地よい中で、クレマンス夫妻が語る。
「建国の時代があり、人間と魔族、さまざまな争いを経て、この今日がある。幸い、当時のナコタ村はその侵略を免れたが、あのケルギジェに怯えていたような日々は、もう訪れて欲しくはない」
「未来ある子供たちのためにも、そう願いたいわね」
歴史として刻まれた遠い昔、そして、実際に記憶に残っているであろう数年前に思いを馳せるような二人。
その瞳は、穏やかに、幼い背中を見つめていた。
「種族が何であれ、他の誰かと仲良くしたいという気持ちは、当たり前の感情のはず。けれど、世の中は……ずいぶんと難しくなっちゃってるんですよね」
俺も、子供たちをながめながら言う。
「あの子たちにとって、魔法が使えるリリウやフィンネは、ちょっとしたヒーローなんですよ。偏見なんかなくて、単純に好奇心で魔族を――というより、その個人を受け入れられる……この国の全員が、彼らのように考えることできれば、きっともう、争いの日々なんてなくなると思います」
魔族を恐れる人間。
人間を敵視する魔族。
両者が歩み寄ることで、本当の平和が実現できるんだ。
「その割には、私へのリスペクトが足りないみたいだけど――『ヒーロー』である私に対してのっ」
フィンネのやつ、まだ納得してないのか。
根に持つなよな、そんなこと。
「いやいや、フィンネちゃん。間違いなく子供たちは、君のことを『かっこいい』って考えているよ」
「い、いいですよ、クレマンスさん。そんなフォロー入れなくても。こいつは、ただちょっと――」
「違う違う、フォローなんかじゃないさ」
俺の指摘をさえぎり、クレマンスさんが続ける。
「すごい怪力や、不思議な魔力を持つ魔族――もちろん、リリウちゃんやフィンネちゃんみたいな優しい魔族に対してだけど、あの世代の子供が憧れる気持ちは、俺にもわかるんだよ」
クレマンスさんが、どこか懐かしむような表情を示す。
「俺がまだ、カッタくんよりも幼かった頃の話さ。木こり見習いだった少年時代の俺は、もう亡くなってしまった祖父の手伝いで、よくオドニオ森林に入らされていたんだ。もちろん、村に近い安全な範囲でね」
クレマンスさんの家は、昔から木こりの家系だと聞いている。
仕事を体で覚えられるよう、修行を兼ねて働いていたんだろう。
「でもまぁ、森での作業なんて、遊びたくてしょうがない当時の俺にとっては、もう最悪の時間なわけだよ。だから祖父の目を盗んで、ちょくちょく逃げ出していたものさ」
わからなくもない。
俺も、教会施設での勉強や奉仕活動が嫌になった時、大人たちから隠れてやり過ごしていたから。
木こりと牧師――立場は違うけど、みんな似たり寄ったりなんだな。
「そんなこんなで、上手い具合に祖父から逃げ出した秋のある日、俺は森の中で、どうにもおかしな現象に遭遇したのさ――落ち葉や枯れ枝が、まるで意思を持っているみたいに、空中を漂っていてね。驚いたなぁ、あれには」
少し興奮しているようなクレマンスさん。
当時を思い出して、その感情がよみがえったのかもしれない。
「どうやら風に流されているらしいと考えた俺は、浮かぶ葉や枝を、無我夢中で追いかけて……気づけば、ずいぶんと奥まで入り込んでしまっていたんだよ」
オドニオ森林には、野犬はもちろん、あのタキシムなんかも出没する。
腕に覚えのない子供が一人で進むのは、あまりほめられたものじゃない。
「ふと我に返ったものの、周りは木々で覆われていて、右も左もわからない。すると茂みの向こうから、何かの気配が近づいてくるのを感じたんだ」
「だ、大丈夫だったの、あなた……」
妻であるハミーヌさんも、この話は初耳だったんだろう。
当時の夫を心配するようにつぶやいた。
「正直、俺もビビっていたが、そこに現れたのが、あのキルムーリだったんだ」
その言葉に、俺とリリウは顔を見合わせた。
「知ってるよね、キルムーリ? 外部との交流を避ける、オドニオ森林の魔族さ」
俺の反応を認識したのか、クレマンスさんが尋ねてくる。
「ええ。実は先日、俺もキルムーリと出会っていて……それに昨日も森で」
「ああ、そうだったのか。俺らの世代でも、キルムーリと遭遇した村人は少ないからね。そういう種族が森にいるっていう話しかしらない者も多いんだ」
そうか。
クレマンスさんも昔、キルムーリと会っていたんだな。
「鼻が大きくて、口のない種族のキルムーリ――うわさには聞いていたけど、実際に目の当たりにした俺は、固まってしまってね。逃げるでも叫ぶでもなく、ただ、たたずんでいたよ」
どうしたらいいのかわからなくなるのも当然だ。
おそらく、クレマンスさんにとって初めての出来事だろうから。
「一方、相手は二人だったんだけど、向こうは向こうで、俺と同じように固まっちゃってさ。お互いに目は合っていたから、もう二対一のお見合い状態で」
「……相手がキルムーリなら、向こうから逃げ出しそうなものなのに」
クレマンスさんの状況説明に、リリウが感想をもらす。
確かに、大半のキルムーリならそうするだろうな。
「たぶん、相手も混乱していたんだと思うよ。まさか、人間と出会ってしまうなんて――とね」
クレマンスさんが補足する。
なるほど。
そのキルムーリにしてみても、予想外の出来事だったわけだ。
「風の流れも止まり、葉や枝も地面に落ちて――そこで俺は、これがキルムーリの魔法による現象だったんだと気づいたのさ。オドニオ森林のキルムーリは、風の魔法が得意だという話を、村の老人たちから聞いていたからね」
「ふーん、風の魔力ね。やっぱりキルムーリも、魔法が使える魔族ってことよ。私に忠誠を誓うなら、喜んで部下にしてあげてもいいわ――ふっふっふ」
気分が復活したらしいフィンネが都合のいいことを言い出したけど、無視だ、無視。
「想像するに向こうも、集落の大人たちに与えられた仕事をさぼって、魔法で遊んでいたんじゃないかな? 兄妹なのか、友人同士なのか……そのキルムーリは二人とも、当時の俺と同じくらいの背丈だったんだが、両者の服装は異なっていてね。一方はゆったりとしたシャツスタイルで、他方はシンプルなワンピースを着ていたよ。おそらく、十代前半の少年と少女だったんだ」
俺はふと、先日と昨日の二回も遭遇した、あの彼のことを思い出していた。
種族の違う同世代の相手との、予期しない偶然の邂逅――今も昔も、似たようなことが起きていたみたいだ。
「相手は魔族だし、しかも二人。当然、恐怖心もあった。けれど、どうにも悪い相手には思えなくてね。何より、不思議な風を操っていたその魔力に魅せられた俺は、自然と声をかけていたんだ――『こんにちわ。すごいね、その魔法』って」
「それで、いったいどうなったの?」
俺たちの思いを代弁するように、ハミーヌさんがうながした。
「『言葉』を返してくれたんだよ。口がないせいか、何を伝えてくれたのかはわからなかったんだけど、俺に興味を示しているのは何となく理解できたんだ」
うれしそうなクレマンスさん。
「お互い、仕事を抜け出した者同士――ってのは俺の決めつけでしかないが、とにかく二人と波長が合った感じでさ。俺が魔族に好奇心を抱いたように、相手も人間に接してみたかったんだと思うんだ。向こうの集落は、全体として他種族との関わりを避けているけど、個人個人の本心としては、窮屈だと考えているやつだっているだろうし」
子供の頃は特にね――と、当時を振り返るように、クレマンスさんは笑った。
「それから俺たちは、日が暮れるまで遊んだよ。男の子とは、向こうが風の魔法で浮かせた落ち葉を、俺が石で撃ち落としたり、単純に枝で剣士ごっこをしたりね。女の子の方は、俺に草の冠を作ってくれたりもしたな――いやぁ、覚えているものだね、あははっ」
話しているうちに、記憶が、より鮮明になってきたんだろう。
クレマンスさんの脳裏には、きっと当時の光景が、まるで昨日のことのように描かれているんだ。
「夜になるのはさすがにまずいから、名残惜しくも俺たちは別れた。それとなく『さよなら』を告げると、彼らは俺の安全のためにと、魔法の風で、森を抜けるまでの誘導をしてくれたんだよ。そのおかげで、俺は無事に村まで戻ってこられた。けれど、家族からは当然のように大目玉で……あれから、もちろん何度も森の中に入ったけれど、そのキルムーリたちと出会うことはなかったな」
クレマンスさんは、どこかさみしそうだった。
もちろんそれは、手伝いをさぼって怒られた記憶のせいじゃないだろう。
「あ、ごめんごめん、変な感じになっちゃったね――要するに、きっと子供たちは、リリウちゃんやフィンネちゃんに、少なからず憧れを抱いているってことさ。この『元少年』が実際にそうだったんだから、それは間違いないよ」
恥ずかしそうに、クレマンスさんは思い出を締めくくる。
教会堂の前方では、アミカちゃんを中心に、子供たちの話し合いが続いていた。




