鵺退治⑥
猛スピードで迫り来るそれを目にした燎子は、踵を返して走り出した。
かつて瞬く間に人一人を食い尽くしてしまったモノが、今回は六倍の量に増えているのだ。脅威としか言いようがない。
大百足の群れは、土石流や雪崩の如き勢いで蠢く。
壁側まで追い詰められた彼女は、すんでのところで横合に逃げた。
その間際、右腕を漆黒の激流が掠めて行き、二の腕から血が噴き出す。
しかし、立ち止まっている余裕などはない。燎子は傷口を庇いつつ、舞台の外周に沿って走る。早くも逃げ回るしかない彼女を、激流は大蛇のように体をクネらせて、追いかける。
「どうしたんだい? 私を焼き斬るんじゃなかったのかな?」
空鳥の嘲笑を尻目に、燎子は走り続けた。
すると必然的に、他の場所で戦っている者も巻き込むこととなる。
「センパイ、葉月、避けて!」
「え? ──って、なんかカサカサ煩いと思ったら、何だそれ! つうかこっち来てんな!」
葉月は、観月の「蜘蛛の巣」によって動きを封じたマジュウを、ちょうど仕込み刀で倒そうとしていたところのようだった。
が、当然それどころではなくなり、姉妹は燎子と一緒になってその場から離脱する。直後、取り残されたマジュウが大蛇の餌食となり、瞬く間に呑み込まれた。
「案外使えるなー、アレ」
「そうだけど、どのみちこのままじゃヤバいだろ! ──なんか策はねえのかよ、おい! いつものトンデモ推理はどうした!」
走りながら隣りに尋ねる葉月。探偵の答えは「……あるにはあるけど、まだできない」とのことだった。
そうこうしているうちに、彼女たちは奥側にいた北郷らの方に差し掛かる。
「逃げても無駄さ! 今日ここで、君たちは終わる! おとなしく、大百足の餌食になるがいい!」
悪役然とした哄笑を上げる空鳥。
彼は獲物の動きに合わせて振り返った。すると、その視線は、一度通り過ぎかけたある場所に、すぐさま戻される。
舞台の最奥の暗がりで、何かが動いていた。
──戦闘に参加していなかった古神宰が、石段をよじ登っているのだ。
※
ジメジメとした石段の上に登った宰は、続く碧花の手を差し出した。彼に手伝われつつ、ここに来た際に拾った空鳥の拳銃を咥えた彼女も、無事に這い上がる。
木乃伊が座す場所まではあと二段。少年は真上にジャンプしつつ、とっくに擦り切れ血が滲んでいるであろう手で、そこに掴まった。
目を見開き、歯を食い縛り、両の手足に力を込めているのがわかる。
(朱美さんや、あの人──お祖父ちゃんは、僕に伝えてくれたんだ! 空鳥さんを倒す方法を!)
──お前は必ず親の仇を討てる。私がその為の力を用意してやった
(あれは、自分自身のことを言っていたんじゃなかった。だって、僕の討つべき仇──父さんを殺したのは、本物の高村警部と空鳥さんなんだから!)
──あなたの血には、敬紫様から与えられた『設定』──すなわち、『曰く』が宿されているのです。
(『曰く』の力──それは、マジュウと戦う為の力! と言うことは、僕の血はあの木乃伊やマジュウ・コラージュに対しても効くはず! ──あの二人は、初めからこのことを教えてくれていたんだ!)
袖から剥き出しとなった腕はすでに傷だらけだが、宰は少しも止まらない。
ガッツを発揮して体を持ち上げると、右膝をかけて一気に登ろうとした。
──しかし、そうスンナリとはことは運ばない。
「いいところに気が付いたね。だが、少し遅すぎた」
燎子たちを追い回していた漆黒の濁流は突如二股にわかれ、片方の首が祭壇の方に飛んで行った。
このことに気付いたらしい碧花はとっさに拳銃を構え、大蛇の頭を射撃する。
が、到底その程度で止まる気配はなく、弾切れになる方が早かった。
(せめて、私が犠牲になってでも!)
武器を捨てた彼女は、少年を庇うように腕を広げた。
──直後、百足の群れはその体に食らい付いた。
「なっ──」
宰が振り返ると、一つ下の段に立ったその人物は、彼の代わりに激流を受け止めていた。
「ほ──北郷さん⁉︎」
そう、身を挺して少年を護ったのは、碧花ではなく彼だった。
犠牲になる直前で北郷に突き飛ばされた彼女は、手を着いて体を起こしつつ、唖然とした表情で彼の背中を見上げる。
北郷の全身は半分になったお面を含め、かつて燎子との戦いの際に脚に生やした刃で鎧われており、しかも一つ一つが低い音で振動──「高周波」と言っていたか──していた。その為、すぐに百足に食い尽くされるような状態ではないらしく、むしろ触れた者を斬り刻み、返り討ちにする。
「宰様、今のうちです! 私の体が保つうちに、ご自分の役目を果たしてください!」
「北郷さん……」
「こう言うの、すごくヒーローっぽいでしょう?」
「──は、はい! ありがとうございます!」
答えた彼は、急いで三段目によじ登った。
すると、それ以上行かせまいとばかりに、マジュウ──先ほどまで北郷と戦っていた個体──が、少年に飛びかかろうとする。
「行かせません!」
が、碧花がこれに体当たりをかまし、捨て身の攻撃で舞台に叩き落とした。宰が一瞬そちらに目を向けると、敵と共に地面に倒れた彼女は笑顔で振り仰ぎ、頷いてみせる。
──彼は再び前を向き、今度こそ立ち上がった。
木乃伊は、宰のいる場所の少し上、四角く削られた岩の窪みの中で禅を組んでいた。手を伸ばせば簡単に触れられる距離だ。
彼は左袖の奥に手を突っ込み、例の小瓶を取り出した。
(よし、これで!)
そして、栓を抜こうとした、その時、
「……馬鹿が」
──木乃伊の双眸が、妖しげな光を灯した。
瞬間、木乃伊の顔の表面に細かな赤い文字が浮かびあがり──かと思うと、その足元から濃密な霧が噴き出した!
「ま、まさか!」
彼が顔を腕で庇った直後、白乳色のヴェールを切り裂いて、蚕マジュウの腕が突き出される。
(ほ──本体もマジュウ化できるなんて!)
左手首を掴まれた宰は背中から倒れ込み、その拍子に小瓶を落としてしまう。彼は横目でその軌道を追ったがどうすることもできず、下に段の岩肌にぶつかった逆転の鍵は、音を立てて砕け散る。
「そ、そん、な……」
少年の白い顔イッパイに、絶望の色が広がった。
反撃の可能性は、文字どおり手の中からすり抜けて行ってしまった。
のみならず、彼は怪物に抑え込まれている。
──そして、ユックリと近寄せられたお面の口に、切れ目が入った。
「「宰様!」」「「宰!」」と古神の者たちが、それぞれの呼び名で叫ぶ。
万策は、すでに尽きた。
圧倒的なまでの逆境。
迫り来る「死」。
絶体絶命。
蠢く晦冥を見上げた彼の瞳は、もはや完全に戦意を失って──
は、いなかった。
「……そんなに、僕を食べたいの? だったら、ほら──シッカリ味わってね!」
言いながら、宰はなんと自ら腕を突き上げ、口を開けた闇の中に、右手を突っ込んでしまったのだ!
──そう。擦り切れ血だらけになった右手を。
直後、マジュウの動きがピタリと停止する。
かと思うと、怪物は少年から顔と手を離し、ギィギィと体を軋ませて苦しみ始めた。半開きになったお面の口や目穴の奥から、光の粒子が煌々と吐き出される。
──やがて、宰が見上げる先で、怪物は首を掻き毟るような状態で、再び動きを止めた。
すると、途端にその姿は、内側から破裂してしまったのである!
粉微塵に砕けたマジュウ──いや、木乃伊は、灰のようにヒラヒラと舞い散り、そのまま宙に溶けるように消滅した。
「……………………なっ」
その瞬間を目の当たりにした空鳥も、さすがに言葉を失っていた。彼が自らにコラージュしていた鱗翅や、体の前に浮かんでお面──そして、無数の大百足も、何もかもが同時に霧散してしまったのだ。
たった一人の少年の、捨て身の反撃によって。
「…………ば──馬鹿な……! ──こ、こんなこと、あっていいわけかない!」
さすがに狼狽えた様子で、彼は喚いた。
宰は傷だらけの体を起こし、ヨロヨロとその場に立ち上がる。
「……さっき、僕は朱美さんに、『犠牲になった人たちの命を無駄にしないでください』と言われて、どう答えたらいいのか、わからなくなりました」
「何、の……話を……」
「でも、今は違う。……僕は、やっぱりお祖父ちゃんの跡を継ぐことはできない。黒巫女には、なれません。……でも、それでも──死んで行った人たちの命や苦しみは、一つも無駄にはしない! 僕は、この血で、この力で、戦います! 父さんや、篝さんのように!」
少年は自らの胸に手を当てがいながら、確固たる口調で宣言した。まるで、熱く滾る意志を心の臓に刻み、血流に乗せて全身に漲らせるかのように。
その言葉を聞いた古神の者たちは、反対どころか後押しするように微笑み、あるいは頷いていた。




