儀式⑥
「なんだ、私が来る前に逃げられてしまったか。燎子の奴、まさか椅子ごと引き抜いて行くとはなー」
鉛の獄の中、椅子が固定されていた場所に目を向けつつ、観月は言った。彼女軽く背後を振り返りつつ、
「にしても葉月。どうしてお前は、あいつを止めなかったんだ?」
それは、自宅で見せていた物と少しも変わらぬ笑顔のはずだった。しかし、どことなく昏い影が見え隠れしているように映るのは、先ほどこの部屋で繰り広げられたやり取りのせいか。
壁にもたれて座った葉月は、俯いたまま答えない。
「どうしたんだ、葉月。やけに静かじゃないか」
「…………観月姉」
「ん? なんだー?」
「……昨日、私に言ったよな。……もう、隠しごとはしないって。……宰が傷付くようなこと、もうしないって……」
「うむ、そうだな。それがどうかしたのか?」
「……なら、なんで──なんで黙ってたんだよ! 朔さんのこと!」
悲愴な叫び声が、冷たい壁と床に大きく反響した。
観月はわずかに困ったような顔をして、体の向きを変える。
「……いったい何の話だ? 私は何も隠してなんか」
「惚けんな! あの人が、燎子さんが言ってたんだ! あの日、朔さんに宰のフリをさせてバイトに向かわせ、頭蓋館で殺した! それが本当の目的だったって!
……観月姉は全部知ってたんだろ? なのに、どうしてそんな酷えことしたんだよ!」
「葉月……」呟いた彼女は一旦目を伏せた後、「……すまない。仕方なかったんだ。朔には、我々一族の為にどうしても死んでもらう必要があった。──それに、本当のことを話していたら、お前は反対しただろ?」
「あ──当たり前だろ!」
彼女はそこで勢いよく立ち上がり、姉の姿を睨み付けた。赤く腫れ、充血した怒りの瞳で。
その視線を、黒巫女はまともに受け止める。
「……怒っているのか?」
「違えよ。──これ以上ないってくらいキレてんだ」
「そうかそうか……お前は気が短いからなー。特に、宰のこととなるとすぐ頭に血が上る。やっぱり葉月はブラコンだなぁ」
彼女が普段の調子でそう言った瞬間、眦を決した葉月は、床を蹴り付けた。彼女は振りかぶった右の拳を、姉の顔面めがけて突き出す。
するとその手の甲の上を滑るように、仕込み刀らしい鈍い色の刃が展開された。それは、単なる「喧嘩」の範疇に収まらないほど、殺意に満ちた一撃だった。
──が、しかし。
刃は観月に着く前に、空中で動きを停止してしまう。
よく見てみると、いつの間にか切っ先に極細の糸が絡み付いており、その侵攻を阻んでいるではないか。
「……酷いじゃないか、実の姉に刃を向けるなんて。これは少し、お仕置きが必要なようだなー」
「上等だ糞ったれ。──久しぶりに姉妹喧嘩してやらァ」
長く余った着物の袖から糸を出し、少女のような表情で笑う姉。
対して、妹は青筋を浮かびあがらせた妙齢の女性らしからぬ形相で、その姿を睨み付けた。
※
燎子は相変わらずキョンシー状態のまま、暗ぼったい館の廊下を進んでいた。彼女が閉じ込められていたのは二階だったようだ。
すると、角を曲がったところで、通路の先にある人物が立ち塞がる。
「おやおや、これはまたスゴイ格好で来ましたねぇ。いったい、何をどうしたらそんな状態になるのか」
ポマードを塗ったくった頭を整えつつ、北郷は苦笑混じりに言った。
足を止めた燎子が答えずにいると、彼は「まあ、いいでしょう」と言葉を継ぐ。
「むしろ楽に始末できて好都合。さっさと始めさせてもらいましょうか……探偵狩りを、ね」スーツの胸ポケットからお札を取り出し、額に当てがう。「蟲魅様、蝕みください!」
──直後、超高濃度の霧を纏うようにして、変身ヒーローらしきマジュウは弾き出された。
彼は蝗の翅で羽ばたき、天井スレスレから燎子に飛びかかる。
肘を前に向けるように顔の前で構えられた右腕には、鋭利な鎌状のブレードが伸びており、間もなく豪快な斬撃が放たれた。
彼女はとっさにその場でターンし、背中の椅子でこれを受け止める。
「はっ、そんな物、いつまで保つでしょうねぇ!」
着地と同時にさらに左右の腕を振るい、攻め込むマジュウ。燎子はその刃の軌道に合わせてクルクルと体を回す。
鎌と鉄のカタマリがかち合う度に、金属音と共に火花が散った。
それからわずかに距離を取ったマジュウは、腰から生えた巨大な蝗の後ろ節足を床に着ける。その二本で体を支えた彼は、瞬時に曲げた膝を伸ばし、革靴の裏を鉾のように突き出した。
体を捻り紙一重でこれを躱した燎子は、そのまま床を蹴り、空中で半回転しつつ背中からタックルを食らわせる。
「舐めるなぁ!」
吐き捨てると共に、両腕を振り下ろして応戦。鎌は燎子の髪の先を掠めつつ、椅子と体とを固定していたベルトを、いっぺんに斬り裂いてしまった。
これより「慣性の法則」に従って投げ出された鉄塊を、グラスホッパーマンは跳び退いて避け、尚且つ真横に払い飛ばした。椅子はガラスを粉砕して窓に突き刺さり、引っかかったままグラグラと揺れる。
「……相変わらず、人間離れした動作をしてくれますねぇ。……しかし、完全には避けきれていないようだ」
その言葉どおり、燎子の頬や拘束着のところどころに、鎌による裂傷が刻まれていた。
彼女は素早く自分の体を一瞥すると、
「……北郷さん、私の服とブーツはどこにありますか?」
「何ですか急に。──あれなら、とっくに朱美さんが処分しているはずですよ」
「……そうですか。……ならば、あなたは気付かなかったでしょうね。私のジャケットと、ブーツの重さに……」
「重さ? ……もしかして、またいつもの『推理』とやらですか? 本っ当にワンパターンですねぇ。
しかし、今回はいつものようにはいきません。あなたがマジュウ狩りの際に活用する携帯電話は、すでに封じました。検索ることができなければ、あなたは相手の弱点や勝利の糸口を見出せない──つまり、普段と同じ方法で、蟲魅様のお力を断つのは難しくなる。
……また、これも事前に調べておいたのですが……あなたは普段から全くテレビを観ず、世事にも疎いようですね。さらに、幼少の頃にはテレビすらない極貧な家庭環境の中で育った。──つまり、『グラスホッパーマンシリーズ』のような超メジャー作品でも、あなたは話を知らないと言うわけです!」
「……………………で?」
「知れたこと。……大事なライターを奪われ、さらに情報を得る手段も断たれた。今のあなたに、勝ち目なんてカケラもないんですよぉ!」
叫ぶと共に飛び出したヒーローマジュウは、あっと言う間に獲物との距離を詰めた。
対して、燎子は迫り来るの凶鎌を避ける気配がない。それどころか、興味さえなさそうに俯き加減で突っ立っていた。
「もらったぁ!」
「グラスホッパーマン」とやらは小悪党然とした歓声を上げ、二筋の連撃が繰り出した。それは確かに拘束着の一部を斬り裂き、ビリビリと布が破れる音が廊下に響く。
──と、同時に。
二つの素裸足が、「変身ヒーロー」のお面にめり込んでいた。
「がっ──は⁉︎」
プロレス並みに流麗なドロップキックを食らい、怪物は廊下の先へ吹き飛ばされた。背中から倒れかけた彼だったが、直前で蝗の節足を突き立て、「空気椅子」に深くもたれような体勢で堪える。
「くっ……⁉︎ な、なんだ今のスピードは⁉︎ いったい何をした!」
「……探偵の推理は、最後まで聞くことをオススメします」着地した彼女は、悠然と言い放つ。「……私のジャケットとブーツには、発火装置の他に、重りが仕込んであったのですよ」
「はぁ? そ、それは……。──まさか、よくあるアレなのか⁉︎」
「……イカニモ。……つまり、この神速さこそが私の本来の状態。私は常日頃から鍛錬の為に、重りにより敢えて力を制限して来たのです。──ですので、ブーツの底がやたら厚いのもその為であって、断じて身長や脚の長さを気にしているとか、そんなのじゃありません。……断じて」




