儀式⑤
……………………ボォ──ン。
…………ボォ──ン。
……ボォ──ン。
振り子時計の鳴るくぐもった音が、ドアを隔てた廊下から聞こえた。耳から入り込んだその響きが頭蓋の中身を揺らしたのか、部屋の中にいた少年は、食虫植物の瞼を開く──
そして、彼は青褪めた。
籐椅子に座ったまま、ガクガクと体を震わせ、虚空を凝視する。少年の服装は、いつの間にか黒い装束へと変わっていた。
(そ──そう、だ…………何もかも、思い出した! ぜ、全部、僕だったんだ……! ──あの日、緋沼紫郎と名乗っていた古神敬紫を殺し、『古神宰』によって助けられたのは──)
額に浮かんだ脂汗が流れ、輪郭を伝い落ちた。
「……………………僕だ。……僕が──古神宰自身が、アンノウンだったんだ!」
叫び声を上げた彼は右手で髪の毛を掻き回しながら、ゴクリと生唾を呑んだ。聞く者の神経を焦がすような蝉時雨が、窓の向こうから沁み込んで来る。
(あ、あの日、アルバイトに向かった僕は、探偵事務所まで来たところで、誰かに襲われた。それで、気が付いたらこの部屋にいて、僕の祖父と名乗る人から、七年前の真実を教えられて、それから、ソレカラ………………)
その時、髪を掴んでいた手がハタリと止まった。
そして、少年の物とは思えないほど掠れた低い声が、唇から零れる。
「……じ、じゃあ──じゃあ、あの時僕が食たのは──」
※
「何だよそれ! つまり、宰自身がマジュウ化して、敬紫様や朔さんを殺したっつうのかよ!」
鉛色の獄の中、葉月は声を荒げた。
酷く狼狽えた様子の彼女に対し、囚人は相変わらずの能面ヅラ──ではあるものの、幾分か切羽詰まった声音で、
「……そうとしか考えられない。彼はおそらく、バイトに向かう途中──あるいは事務所には着いていたのかも──で、センパイたちに拐われた。つまり、私のバイトを長引かせたのは、その時間を稼ぐ為だった」
「そ、そんな……!」
「……ねえ、葉月。この拘束を解いて。私は、彼を助けなければならない」
どこまでもまっすぐに見上げて来る、鳶色の瞳。視線をぶつけ合ううちに、葉月の表情の中に怯えの色が滲んで行った。
──ほどなくして、看守の方が先に目を逸らしてしまう。
「だ──だめだ! 私はあんたの言葉なんか信じねえ! 最初の事件だって本当のことわかってなかったクセに、あいつを助けるとか宣ってんじゃねえよ! ──そ、そうだ、あんたが間違ってんだ! 私を騙そうとしてんのは観月姉じゃなくて、あんたの方なんだろ⁉︎」
「……違う。私はただ」
「煩え!」
彼女はやにわに燎子の顔を殴り付けた。怒りに我を忘れてと言うよりは、何かを怖れているかのように。
葉月はさらに血を吐くように喚きながら、言葉と共に何度も何度も拳を振り下ろした。
「観月姉が私に嘘吐くはずねえんだ! 私のたった一人の家族──碧姉や紅姉とも違う、本当に血の繋がった家族が、私を裏切るわけねえ! 観月姉だけは特別なんだ! だから、私は、私は……!」
「……………………そう。……わかった」
彼女がやっと殴打をやめ、力なく手を下ろした時、顔中を赤く滲ませた燎子は、感情のない声で呟く。
「……なら、自力で出て行くしかないね」
「……は、はあ……? ……何、言ってんだ……」
否定の言葉を遮るように、ガタリと言う音が鉄の椅子から鳴った。燎子は両脚を踏ん張り、拘束着に包まれた体を無理矢理起き上がらせたのだ。
背中がわずかに背もたれから離れた──が、当然ながら丈夫そうなベルトが待ったをかける。四本の太い輪が拘束着の体に食い込み、ミシミシと音を立てて軋んだ。
「なっ──強行突破とか、馬鹿じゃねえの! いくらあんたでもそんなの無理に決まってんだろ! そもそも、そのベルトは人間が力任せに引き千切れるようなシロモノじゃねえ! 椅子だって床に固定されてんだ! 無駄なことしてないで、さっさと諦めろよ!」
「……諦めない。──この程度のこと、諦めるに値しない!」
砕けそうな勢いで歯を食いしばり、燎子は抵抗を続ける。鼻からボタボタと血が流れ落ち、拘束具がいっそう強く食い込むのにも構わず。
「……ベルトや椅子の材質、そして私自身の膂力など諸々の情報を元に、私はできると推理した。……私にならできると、探偵の私が推理した!」
「はっ、結局またそれかよ! 普通こう言う時は事前に策を巡らせとくとか、実は拘束されたフリをしていただけとか、もっとそう言う──頭を使ったやり方で打開するモンだろ! それなのになんだってそんな、馬鹿の一つ覚えみたいに」
「……探偵だからだよ。探偵の推理は──いつでもゼッタイに正しくなくてはならない!」
「んなもん知るかよ! だからって、なんでもあんたの思い、どお、り、に…………」
彼女の言葉は次第に弱まって行き、最後には宙空に溶けてしまった。気付いたのだろう。
椅子その物が、少しずつ床から浮き始めていることに。
──ベルトの方は、確かに無事だ。しかし、そちらよりも先に、椅子を床に固定していたボルトが、抜けかけているではないか!
(う──そ、だろ……⁉︎ いったい、何がどう作用したら、こんな馬鹿みてえなこと……!)
瞠若する彼女の視線の先で、さらに数本のボルトが持ち上がった。今や椅子の丸い固定部は、半分近く床を離れてしまっている。
(これじゃ、本当に……この人の言ったとおりに──)
──そして、その瞬間は訪れた。
揺れ動く葉月の瞳の中で、最後の三本が一斉に引き抜かれ──などと、視認する余裕はミジンもなかったことだろう。
固定部が外れると同時に、囚人は鉄の椅子ごと射出されたのだから。
「なっ──⁉︎」
刹那、「人間魚雷」とでも言った勢いで、痛烈な頭突きが葉月の顔面を見舞った。彼女はパイプ椅子を道連れにして床に倒れ、その右横に燎子が転がる。
攻撃を受けた箇所を苦しげに押さえる葉月を置いて、探偵は芋虫のように這って行った。
ドアの前で一旦動きを止めた彼女は、左肩が下になるように倒れ、背中にある物をつっかえさせて、一瞬体を浮かせた。そして、空中で柔道の受け身のように腰を捻り、両足から先に床に着けると、そのまま膝の力を頼りに立ち上がってしまったのだ。
軽く物理法則を無視していると言うか、非常にシュールな動作だが……もはや、気にしても無駄なのだろう。先ほどの推理もそうだが、これも「設定する力」の延長──実際に「そうなる」のだから「そう」なのだ。
ドアに向き直った燎子は、ノブを口で咥えて回すつもりなのか、顔を近付けた。
──が、その時。
彼女の横から手が伸びて来て、代わりにそれを捻る。
「……どうして? ……気が変わったの?」
「……煩え。さっさと行けよ。……これ以上、あんたの相手したくねえんだよ」
そう言ってドアを開けた葉月は、踵を返した。燎子は軽く振り返り、俯くその背中を暫時見つめる。
しかし、すぐに戸口へ向かってキョンシーのように跳びはねた。
部屋を出る間際、彼女は立ち止まり、
「……葉月。私はセンセイの家族じゃないし、一緒にいられた時間も一年ちょっとだけ。……でも、それでもあの人が教えてくれたこと、あの人が残してくれた物は、私の中にちゃんと生きている。──人と人とを結ぶのは、血の繋がりだとか遺伝子だけじゃない。もっと曖昧で、不確かで、カタチになんて残らない物なんだよ」
「…………」
答えない彼女を一人残し、燎子は去って行った。
葉月は弱々しい足取りで後退し、ドアの横の壁に背を着ける。そして、そのままズルズルと、そこに座り込んだ。
「…………糞っ……ちっ、くしょっ……!」
彼女の華奢な両肩は、小刻みに震えていた。




