儀式③
……………………ボォ──ン。
…………ボォ──ン。
……ボォ──ン。
振り子時計の鳴るくぐもった音が、ドアを隔てた廊下から聞こえた。耳から入り込んだその響きが頭蓋の中身を揺らしたのか、部屋の中にいた少年は、食虫植物の瞼を開く──
(……………………あれ? ……ここは……?)
宰が座らされていたのは、書斎兼応接間のような部屋だった。ドアに背を向けて置かれた籐椅子にもたれ、眠っていたのだ。
彼の目の前には四角いテーブルが無愛想に鎮座しており、さらにその向こうにレースのカーテンの敷かれた窓が見えた。左右の壁は書架で埋まっており、膨大な量の書籍や標本、人骨の模型、様々な骨董品などが、ところ狭しと並んでいた。
宰は目を瞬かせながら、室内の様子を順々に眺め回す。
そして、その視線が反時計回りに一周し、またテーブルの先に帰って来た──その時。
「──ヤア、気が付いたか?」
声の主は、いつの間にかそこに立っていた。
一人の男が窓の方を向いて、テーブルの先に佇んでいるのだ。
その背中を目にした宰は、驚いたようにアッと声を上げた。
「……こうして直接会うのは初めてだったな。まずは自己紹介をしよう」
そう言うと、彼は振り返る。
窓から差し込むシラジラとした光を背に立っていたのは、フィリップ・K・ディックを連想させる顔貌の、老人──
「初めまして、古神宰。私は古神敬紫。──お前のお祖父ちゃんだよ」
敬紫は上等そうな葉巻を咥えたまま、ガイコツじみた笑顔を浮かべた。
「お──祖父、ちゃん……?」
「そうだとも。私はお前の母親──古神鶫の実の父だ。当然、お前や朔の祖父と言うことになる。……それとも、黒幕が親族では、少々ベタすぎたかな?」
「じ、じゃあ、あなたが今回のことを……⁉︎」
「ああ。全て私の指示だ。……それも、今日だけではない。──七年前、お前の家族が死んだのも、私が元凶だったのだ」
「なっ──⁉︎」
「……ふっ、驚いた表情もソックリだな。本当に、お前たち三人はよく似ている。──どれ、いい物を見せてやろう」
彼は入り口から見て右手の書架に近付くと、分厚いアルバムらしき物を引っ張り出して戻って来た。重そうなそれを一度テーブルに置いてからページを捲り、宰にも見えるように向きを変えた。
身を乗り出した少年は、恐る恐るその中身を覗き込む。
そして、そこに貼られていた写真たちを見て、ハッと息を呑んだ。
「こ、これって」被写体は全て、セーラー服を着た白髪の少女。「──朔姉⁉︎」
「いや、違う。それは鶫の中学時代の写真だ。……まあ、間違えるのも無理はないがな」
「か、母さんの……?」
「ドウダ、自分たち姉弟が、どれだけ母親似かわかっただろう? つまり、どちらも古神の巫女の血を、色濃く受け継いでいるわけだ」
「…………」
「…………可愛いだろ?」
「──へ?」
完全に意識の外から放たれた言葉だったのか、宰は驚いたように視線を上げた。
すると、敬紫はウットリとした表情でアルバムを見下ろしており、
「可愛いだろう、私の鶫ちゃんはぁ。我が娘ながら、マジ天使だわぁ〜」
なんか言い始めた。
(き、キャラ変わってる⁉︎)
唖然とするしかない様子の孫をほったらかしにして、「お祖父ちゃん」の親バカ発言は続く。
「特に、この頃から祖母さんの若い頃に似て来てなぁ。学校の成績も優秀で品行方正、家族想いの本ッ当にいい娘だった!」
「そ、そうですか……」
「……だが、問題はこの後だ」
腑抜けた笑顔を引っ込めた彼は、テーブルの灰皿に灰を落とした後、アルバムのページを五枚ほど飛ばして捲った。
新たな写真の鶫は、制服がブレザーに変わっていた。ここからは高校入学以降の物なのだろう。
──そして、それらの中には、時折同じ男子生徒が写り込んでいた。
「あ、もしかしてこの人……昔の父さん?」
「そうだ! お前の父親の皇木栄治さ! ──私から鶫ちゃんを奪った、あのニクタラシイ探偵野郎だ!」
突如感情を爆発させ、口角泡飛ばす敬紫。その拍子に葉巻がテーブルに落ちたが、全く気にしていない。
「実に忌々しい! 奴のせいで、私たち親娘の絆は引き裂かれたのだからな! ……まったく、よりにもよって一族の敵に娘を奪われるなんて!」
「一族の敵……?」
「だが、たった一つだけ! あの小僧にも感謝すべきことがある」宰の問いを遮り、敬紫は笑った。「お前だ、宰。お前を残したことだけは、賞賛してやってもいい!」
まっすぐに宰の顔を覗き込みながらそう言うと、彼は葉巻を拾い上げ、アルバムを閉じた。それを元の場所にしまった敬紫は、すでに怒りなど忘れた様子で、
「お前と言う存在は実に興味深い。それだけ姉や母に似ていながら──つまり古神の女の形質が強く現れていながら──、実際の性は男。お前はどうやら気にしているようだが、これはある種奇跡のような物だ」
「はあ……」
「……理解できないか。まあ、そうだろう。──心配せずとも、今から説明してやる。
そもそも、我々古神家は女系の一族でね。これまずっと女しか生まれて来なかったのだ。だから、まあ、実を言うと私も単なる婿養子に過ぎないのだが……。
とにかく、古神の女たちは、母から娘へと、代々闇の巫覡となる呪力を、受け継いで来た。そして、それと同時に、特有の病気も伝わっていたのだ。──要するに、遺伝病と言う奴だな」
「遺伝、病……。──それじゃあ、母さんや朔姉がずっと病気がちだったのも!」
「そう、まさにこれが原因だ」
我が意を得たりと言った風に、敬紫は満足げに頷く。
知られざる事実に触れた少年の顔は、徐々に青褪めて行った。
「……時に宰よ……お前は、“血友病”と言う言葉を聞いたことがあるか?」
「え──えっと、あります。小説か何かで読みました……確か、先天性の病気で、傷から流れ出た血が、固まり難くなるんですよね……?」
「そのとおり。血液を固める因子が欠乏することで起きる疾患だ。
そして、最大の特徴として、この病は遺伝する。それも男の子供──つまり、保因者の息子のみが発症するのだ。十九世紀イギリスのヴィクトリア女王とその王子たちなぞ、有名な例だな。
では、何故男だけかと言うと、その理由は遺伝子の組み合わせの違いにある。──遺伝の仕組みは、もう学校で習ったな?」
「は、はい」
「ならわかるだろうが……女はXの染色体を二つ持っているのに対し、男はXとY一つずつの組み合わせだ。そして、血液の凝固に関わる因子はX染色体の中にある。──よって、女の場合片方のX染色体に異常を来したとしても、残りの物でカバーできるのさ。つまり、病気自体は遺伝したとしても、発症は免れる。──そして、保因者となった母親が男の子供を産むと、二分の一の確率で発症する。これを“X連鎖性劣性遺伝”と呼ぶ」
「は、はあ……。──あのぅ、それで……?」
「……我が一族の病は、謂わば血友病とは真逆。要するに、女のみが発症するのだ。
では、これは何故なのか……。答えは明白だ。──彼女たちが、Y染色体を持っていないからさ」
宰は青白い喉を蠢かせ、生唾を呑み込む。
言葉を切った敬紫は、その様子を──特に喉仏にピントを合わせているらしい──、観察するような眼差しで見つめた。
「……古神の巫女は、力と共に病をも受け継ぐ。そして、その病はY染色体があれば発症を抑え込むことができる」
「な、何を──いったい、何を言って」
「本当は、もうわかっているんだろう? お前は特別だ。巫女の力を宿した男! 古神の巫女でありながら、病を発症する心配のない存在! ──まさしく、私の後継者に相応しい!」
「ぼ、僕が……後継者……⁉︎」
「そうとも。お前はうまくすれば最強の黒巫女になることができる! その素質を持っているのだ!」
敬紫は異常とも思えるほど興奮した口調で叫んだ。そして、ガイコツのように落ち窪んだ瞳の奥に妖しい光を宿し、少年に歩み寄る。




