儀式①
幽かに呻いた後、燎子は目を覚ました。
彼女がいる場所は、床も壁も天井も、何もかも薄汚れた鉛色の、独房のような部屋だった。燎子はその中で、白い拘束着に身を包み、鉄製の椅子に縛り付けられているのだ。
拘束着には袖口がなく、体は強固そうなベルトによって固定されている為、たいして身動きが取れないのだろう。さながら、巨大な蚕蛾の幼虫のような状態である。
「…………」
彼女は澄んだ瞳を素早く走らせ、周囲の様子を観察した。
するとそこで、前方にある鉄扉──趣味の悪い髑髏の装飾が施されている──が開き、ある人物が入って来る。
「あら、お目覚めになりましたか、探偵さん」
そう言って微笑んだのは、「緋沼碧花」だった。彼女はあの日依頼に来た時とは違い、漆黒の巫女装束に身を包んでいた。
また、そのすぐ後ろには「緋沼紅江」の姿も。
碧花の言葉に、探偵は答えない──と言うか、拘束着の襟元が鼻の辺りまでを覆っている為、まともに喋れないのだろう。
にもかかわらず、かつての依頼者は話しかけるのをやめない。
「申し訳ございません、騙してしまって。──でも、みな迫真の演技でしたでしょう? 我々“古神の一族”にも、それだけ止むに止まれぬ事情があるのです」
言いながら、碧花は悪びれもせずに微笑んだ。
「ですから、探偵さんは『儀式』が完了するまで、こちらでおとなしくしていてくださいね。──その間退屈でしょうが、彼女が話し相手になりますから」
彼女が振り返った先、紅江のさらに後ろに佇んでいたのは、葉月だった。普段のラフな格好とは打って変わり、こちらも黒い装束を纏った彼女は、神妙な面持ちで中に入った。その手には簡素なパイプ椅子を携えており、燎子と向き合うようにそれを置くと、そこに腰下ろす。
「では、私たちはこれで。──葉月、後は任せるわよ」
「おうよ」と、葉月は捕虜と視線を合わせたまま、短く答えた。
二人が退出し、再び扉で髑髏が笑う。
葉月は、その紋章のように片頬を吊り上げ、
「どうっすか気分は──って、サイアクでしょうけど。……まあ、碧姉が言ってたとおりこっちにも事情があるんで、悪く思わないくださいね」
「……フガフガフガ」
「いやいや、無理矢理喋ってもわかんねえって。──仕方ねえなぁ」
立ち上がった彼女は、乱暴に燎子の口を塞いでいた部分を下ろす。口許が擦れて痛かったのか、燎子は顔をしかめた。
「特別サビースっすからね」座り直した葉月が言う。「騙してたぶんこれでチャラってことで」
「……そんなことドウでもいいから、拘束解いて。あと、服を返シナサイ」
「いやそんな要求通るわけねーだろ」
「…………?」
「『なんで?』みたいな顔されても……つうか、あんた状況わかってます?」
「……ちゃんと理解しているよ。──おそらく、君よりかは、ね」
「あ?」
黒巫女は一瞬笑顔のまま固まった──が、単なるハッタリにすぎないと判断したのだろう。余裕が揺らぐことはなかった。
「はあ、なんすかそれ。もしかして、いつものトンデモ推理って奴? どーせまた、テッキトーなこと吐かして、無理くり解決に持ってくつもりなんだろ? これでも、一応あんたのやり方は知ってるんすよ」
「……なら、過程はどうあれいつも真実に辿り着いていることも、わかるでしょ」
「確かにそうみたいっすね。──でも、ここでのことはわからなかった。一昨日の『事件』その物が罠だってことは、見抜けなかったクセに」
「……ナルホド」探偵は一度目を伏せてから、「……つまり、この部屋は頭蓋館のどこかで、すでに夜が明けている、と……」
どこまでも平常運転な彼女に対し、葉月はウンザリしたように眼を細めた。
「……で? それがわかったところでなんだっつうんすか? 何か解決しました?」
「……葉月。……観月センパイは、君に隠しごとをしている」
「話逸らしてんじゃねえよ」一転、恫喝するような低い声音に変わった。「あんたに何がわかんだ? いいかげんなことホザいてんじゃねえ。……観月姉は、『もう隠しごとはしない』って誓ってくれたんだよ」
「……『もう』ってことは、すでに一度していたんでしょ? 違う?」
葉月の顔からは完全に笑みが消え、何の感情も顕れなくなった。身を乗り出した彼女は、しばし答えずに、無機的な眼差しで相手の姿を見据えた後、
「……そうっすよ。観月姉は確かに私に隠しごとをしてました。けど、その話はもう終わって」
「──ないとしたら? まだ、『続き』があるとしたら、どうする……?」
「どうもこうもないっすよ」突っ撥ねるように言って、背もたれにもたれた。「つうか、もうあんたの戯言なんか聞きたくねーっす。口戻しちゃおっかなぁ」
「……聞いて、葉月。センパイは確実に、君に伝えてないことがある。……それも、意図的に隠している事実が」
「うーし、わかった。やっぱりフガフガ言っててもらうわ」
立ち上がった葉月は燎子に歩み寄ると、襟元を掴む為に手を伸ばした。
すると──
「……君は何も聞かされていなかったんでしょ? 頭蓋館での事件のことを。それどころか、『儀式』とやらを行うことすら知らなかった。──それが、センパイの第一の隠しごと」
「あー、はいはいそうっすよー。じゃ、煩いお口塞ぎましょうねー」
「……ねえ、知ってる? 宰くん──私の探偵事務所に来る前に、一度マジュウに襲われているんだよ?」
「──は?」
手が、止まった。
今度こそ表情を凍り付かせた彼女は、得体の知れない物でも見るような目を、探偵に向ける。
「……やっぱり、知らなかった? 彼、初日から遅刻して来て、その時霧海に巻き込まれてしまったの。……ほら、頬に絆創膏を貼っていたでしよ? あれ、マジュウに襲われてできた傷」
「なに、言って──あ、あり得ねえだろ! だって宰は大事な弟で、一族のたった一人の」
「跡取り? ──でも、実際に私は彼を助けた。……どうしてだと思う? 何故、彼は襲われたのか──そもそも、どうしてあんなにタイミングよく、マジュウ事件が起きたのか」
燎子の言葉は、確実に葉月を動揺させているようだった。中途半端に襟元を掴みかけたまま、彼女は立ち尽す。逸らした視線の焦点が、少しずつ揺れて行いった。
「い、いや、まさか……そんなわけ」否定しようと足掻く声は、口に出した途端に萎んでしまう。
「……もう一つ、最大級の矛盾がある。……知ってのとおり、私のところを彼に紹介したのは観月センパイ。一週間ほど前に突然電話をもらって、『弟を働かせてやってくれ』と頼まれた。──で、一昨日宰くんがやって来た」
「そ──それくらい、私だって聞いてるよ! ……『儀式』のことも含め、事後報告だったけど……」
「……ところが、この話が一番オカシイ。……だって、あの時私が助け、探偵事務所に運んだ宰くんは──」
曇りのない鳶色の瞳が、まっすぐに黒巫女の姿を映し出す。
彼女は瞬き一つせず、こう続けた。
「女の子だったから」
──女の子。
たった三文字のそれは、全く予想だにしない単語だったのだろう。
見事に虚を突かれた様子の葉月は、暫時鼓動が停止ったかのように固まっていた。呆然と目と口を開け、眼前の存在に釘付けとなる。
──やがて永い数秒が経過し、呪縛から解放された彼女は──笑った。
「何かと思えば、そんなことっすか。アレでしょう? 宰が女の子みたいに見えるって言う奴っすよね? 一応あんな感じでも気にしてるみてえだから、本人の前ではあまり言わな」
「違う。……そう言うのじゃなくて、本当に、確実に、絶対に、あの時の彼は女の子──いや、正確に言えば女性だった」
「女、性……?」
「……さすがに驚いた? ──でも、私だってビックリしたよ。『弟が来る』って聞いていたのに、蓋を開けてみれば女の人なんだから。……しかも、彼女は意図的に、宰くんに変装していたみたいだし」
「な──なんだってそんなこと! ──つうか、誰なんだよそいつは! どうして知らねえ女が宰のフリして、観月姉の斡旋したバイト先に行くんだよ!」
「……私の推理によれば──君が馬鹿にしたトンデモ推理によれば──考えられる答えはただ一つ。……彼女の正体は、七年前に死んだとされる、宰くんの実のお姉さん──皇木朔さんに他ならない」
探偵は、例により曇りない眼でそう断言した。




