アンノウンⅡ③
蚕は、家畜化された昆虫である。野生に帰る能力を完全に失っており、立派な翅を持つものの飛ぶことはできない。人間の管理なくては生きて行けず、野外に放てば一日と保たず死んでしまうと言う。
──だから、なのだろうか。
古神家を後にした彼も飛翔して逃げるようなことはせず、這いずるよに夜道を彷徨っていた。
しかも著しく体力を消耗しているらしく、塀に手を着いてヨロヨロ歩くのが精一杯のようだ。背中の翅も少しずつ縮まって来ており、顔のお面も半分ほど消えかけていた。
(……ドウ、スる……? オレは、どコへ行けバイい……?)
狭い通りの途中、弱々しく暗がりを照らす街灯の下で、彼は立ち止まった。その頭上では、クリーム色の光に誘われた夏の虫たちが、思い思いの狂態を演じている。
「……オレハ、ドウスレバ……ド──ウ、やっ、て……………………。──あれ?」不思議そうに呟いたその顔は、今やほとんど少年の物に戻っていた。「僕、なんで外にいるんだろう?」
彼が一人首を傾げていると、前方から車の走る音と強烈な光が近付いて来た。
怯えたように体を震わせた少年は、眩しそうに目を細めつつ、恐々とそちらを窺う。
その車──古い型のスカイラインは、彼の真横まで来て停車した。
運転席側の窓が下がり、
「古神くん! よかった、無事だったようだね」
安堵の表情を浮かべてそう言ったのは、高村だった。
少年──お面も翅も消えてなくなり、完全に古神宰の姿をしている──は、驚いた顔で尋ねる。
「高村警部? どうして、こんな時間に……」
「篝くんからメールを受けたんだよ。『至急古神家に来てください』と。──彼女とは一緒ではないのかい?」
「は、はい……たぶん」
「……ふむ、そうか」彼は少年の答えが腑に落ちない様子だったが、「まあ、とにかく乗りなさい。一緒にお家へ戻ろう」
宰は言われるがままに反対側へ回り、助手席に乗り込む。シートベルトを着けた彼は、言い知れぬ不安を感じているのか、浮かない表情をしていた。
(……また、だ。また記憶が曖昧に……確か、リビングであのぬいぐるみを見付けて、それで……)
スカイラインは発車し、深夜の住宅地を、少年がやって来た方へと進み出した。
ステアリングを握る高村は宰の気を楽にさせるつもりか、世間話のように、
「篝くんは基本的に機械が苦手なタイプなんだが、やたら携帯電話──謂わゆる「ガラケー」か──の扱いだけは熟練していてね。簡単なメールくらいなら、ノールックでパパッと送ることができるんだ。だから、マジュウとの戦いの最中にも、ちょっとした間隙を突いて元ネタを検索している」
「はあ……そう言えば、昨日も」
「マジュウの元ネタを知っていれば、当然有利に戦える。弱点であったり、歪みを掴みやすくなるんだよ。しかし、彼女の場合かなりアニメや漫画に疎いようでね。だから、どんな作品だろうと毎回携帯で検索っているわけだ」
彼が話す言葉を、少年は心ここにあらずと言った風に聞いていた。高村もやはりその様子が気になったのか、チラリと視線を助手席に向ける。
そうしているうちに、車は狭い交差点へと差しかかった。
(……そう言えば、あのぬいぐるみって、昔のアニメのキャラクターだよね? ……朔姉が好きで、よく一緒にDVD観たっけ)
運転手はキッチリ停止線を守ってから、左右を確認した後にアクセルを踏んだ。
──にも、かかわらず。
(確か、虫歯菌の怪物みたいなのと戦う、パティシエっぽい女の子が主人公で……名前は──)
それは起きた。
スカイラインが交差点に進入した瞬間、怪物の瞳のような強烈な光が、すぐ右手から迫って来たのだ。
「──くっ⁉︎」
高村はとっさにステアリングを切ったが、到底回避できる余裕はなく──
宰がハッと顔を上げた瞬間、光の向こうから鋼鉄の体躯を持つ獣が猛然と飛びかかって来た。
スサマジイ衝撃と轟音が、車内の彼らを襲う。刹那のうちにエアバッグが膨張し、二人を受け止めて萎んで行った。車体の右側が大破。ヘッドライトやサイドミラーの破片が路面に飛び散り、キラキラと煌めいていた。
仮に交差点の上空から撮影していたならば、その惨状がよく見えただろう。黒塗りのワンボックスカーに突進され、斜めに引き摺られたスカイラインの、無残な姿を。
「い、いったい、何が……」
呟いた宰は隣りの座席を見て悲鳴を上げかけた。頭部を血に染めた高村が、グッタリとシートベルトに体を預けているのだ。
「高村警部!」少年が呼びかけると、彼は低く呻き声を漏らした。
「……だ、大丈夫だ。これくらいどうと言うことはない。──それより、君は早く逃げなさい」
「で、でも」
「急ぐんだ。おそらく、奴らの狙いは──」
高村が言い終えるよりも先に、ワンボックスカーのドアが開き、中から濃密な霧と共に、一人の人間が現れた。
彼は、概ねはキチッとスーツを着た痩身の男で、わずかにヒビの走ったフロントガラスの向こうから少年のことを一瞥した。
そして、そのまま助手席側へと回り込み、ドアの取っ手を掴む。
かと思うと、ミシミシと金属が軋むような音が聞こえ──
彼はあろうことか、力任せにドアを取り払ってしまったのだ!
襲撃者は軽々しと手にした物を放り投げる。
ガコン! ──と鉄のドアが落ちた音に被せて、
「どうも、夜分遅くに失礼します。お二人とも、一昨日ぶりですねぇ」
ポマード塗れの髪や、丁寧だが人を小馬鹿にするようなところのある。──それらは、頭蓋館での事件の際「北郷」と名乗っていた男の物だった。しかしながら、その顔にはチャチなお面が貼り付いており、また、体のところどころに昆虫のパーツが見て取れる。
──つまり、マジュウ化しているのだ。
交差するヘッドライトの光に浮かび上がったそのキャラクターの顔──見るからに「蝗を模した変身ヒーロー」であり、丸く大きな赤い複眼が妙にリアルだ──を見上げ、宰は呆然と呟く。
「……“グラスホッパーマン”……?」
「おや、ご存知ですか。やっぱり男の子なんですねぇ。──しかし、正確にはグラスホッパーマン四号(後期バージョン)ですよ、宰さん」
「な──なんで……」
「あなたをお迎えに上がったのです。──と言うわけで、大変急で申し訳ないのですが、私と来てください。我々の首領がお待ちかねですので」
「ボス……?」
「はい。我が一族を統べる現在の当主です」
そう言って、ヒーローマジュウは右手を──先ほどドアをこじ開けた手を──差し出す。
宰はその掌を見下ろし、ゴクリと唾を呑んだ。
「……だ、めだ、古神くん。その男の言うことを聞いては」
「おや、これはこれは高村警部。そう言えば、あなたもいらしたんでした。……我々の敵の一人で、霧海被害対応課課長。いやぁ、ここで潰すしておくことができて、何よりです」
「ふざ、けるな!」彼はハンドルに手を着いて体を起こし、修羅の如きの形相で相手を睨む。
「おお、怖い怖い。さすが、“女子力の高い鬼”との異名を取ることはある。──あなたのことも、いろいろと調べさせてもらいましたよ。
なんでも、奥さんには先立たれ、男手一つで娘さんを養って来たのだとか。──が、しかし、彼女も十五年前に他界してしまったそうですね。以降、一人残されたあなたは、市内の児童養護施設へ寄付を生き甲斐にして来た。……そう言えば、二代目の探偵──篝燎子も、あなたの密かな援助によって、学生生活を送ることができたんでしょう? もしかして、彼女に死んだ娘さんの面影を重ねていたのですか?」
まるで原稿を読み上げるようにスラスラと語ったマジュウに対し、高村は血が出そうなほど歯を食い縛る。彼は額に幾つも青筋を立て、激憤を露わにした。
「……シラジラしいこをホザくな……! 娘は──霧海の中で死んだんだぞ!」
「そのようですねぇ。可哀想に……」
仮面のお面はせせら笑った。
あまりの怒りに、高村は言葉が浮かばないらしく、赤黒い顔をしてひたすら黙す。
──二人の間にいた宰は、複雑そうな表情で彼を見つめていた。
「とにかく、古神宰様。我々と共に参りましょう。そうすれば、全ての真相が明らかになります」
「全ての、真相……?」
「ええ。……七年前あなた様がご家族を失った、本当の理由も含めてね」
「僕の──じゃあ、もしかして七年前のことも、あなたたちが⁉︎」
「ええ、まあ。──我々黒幕ですから」
実にアッサリと、悪魔のように巫山戯た口調で怪物は答えた。
オゾマシイ事実を告げられた少年は、瞬間青褪める。
しかし静かに俯いた宰は、意外にも落ち着いた声で、
「……わかり、ました。あなたに着いて行きます。──ただし、これ以上高村警部には手を出さないでください!」
毅然と言い放たれた言葉に、高村は声を上げる。
「古神くん!」
「大丈夫です」少年はシートベルトを外し、振り返る。「僕も、本当のことを知りたいですし。昨日からの違和感も含めて……。だから、どうか気にしないでください」
「ま、待ってくれ! 彼らは君のお父さんを」
「わかってます。──父が篝さんの師匠だと聞かされた時から……ううん、本当は警部に『もっと前から無関係じゃない』って言われた時から、なんとなくそんな予感がしていたんです」
そう言って微笑む宰に、高村は言葉を失った。「お菓子、ありがとうございました。本当に美味しかったです」と、最後に礼を述べ、彼は車外に出る。
「助かりますよ、スンナリ従ってくださって。──それでは、さっそく向かいましょうか」
彼はそう言うと、徐にに宰の二の腕を掴み、自分の方へと引き寄せた。
「えっ──」
少年が喫驚の声を発した直後、彼の体を抱きかかえたマジュウは、腰の辺りから生えた二本の節足──特大の蝗の後ろ節足で、アスファルトを蹴飛ばした。
スーツの背中で黒い翅がバサバサと広がり、夜風を震わせて羽ばたく。
彼らは一瞬にして地上を離れ、周囲にある民家の屋根の上ほどの高さまで、弧を描きつつ急上昇した。
宰は唖然とした様子で首を捻り、先ほどまで自分たちがいた場所に視線を向けた。
ちょうど、その時──
轟音と共に、ワンボックスカーから爆炎が上がった。
「──たっ」
彼の瞳の先で、爆発はさらなる被害を誘発する。古い型のスカイラインは、見る間に業火の中に消えた。
「た、かむら……警部──⁉︎」
宰が呟いたところで短い空中浮遊は終わり、彼らは数十メートルほど離れたの路面に着地した。
愕然と目を見開く少年の耳許で、歪んだヒーローは囁く。
「いやぁ、やはり特撮ヒーローに火薬は付き物ですからねぇ。──もちろん、本当の移動手段はこちらにご用意していますので、ご安心ください」
力なく項垂れ、抜け殻のようになった宰を引き摺りながら、マジュウは路肩に止めてあった黒塗りの車輌へと向かった。




