アンノウンⅡ②
「………………ハッ⁉︎ やっぱりバイトが! まだ着ぐるみ直ってないのに!」
再び寝惚けたことを吐かしながら──まさかのテンドンである──、燎子は飛び起きた。女座りするような体勢になった彼女は、暫時肩を揺らした後、
「…………また夢。──ん?」
どうやら、今度は割と頭も起きているようで、すぐに気が付いたらしい。
背を向けて佇立する、彼の存在に。
「……宰くん? どうしたの?」と、目元を擦りつつ小首を傾げる。
少年はそれには答えぬまま、徐に燎子の方を振り返り──
かと思うと、異様なほどの身軽さで彼女に飛びかかったではないか。
「──なっ」
燎子が小さく声を漏らした時、少年の手が彼女の肩を強く押した。彼女は背中から倒れ込み、背中を打ち付けた為か一瞬わずかに顔をしかめた。
それから、鳶色の瞳の中に映し出された彼は、悠々と首をもたげ──その顔にはやさりチャチなお面が貼り付いており、白髪の少女が、ウインクしながら舌を出しているのだった。
「…………やっぱり」
半ばこの事態を予感していたかのように、燎子は醒めた声で呟いた。いつもどおり、至って無機的な能面ヅラで。
「……鵺ノ、声……鵺ノ声、ガ…………!」
目を醒ましたアンノウンは前回同様、苦しげにそのキーワードを繰り返す。探偵はその姿を見上げながら、さりげなく右手をジャケットの内側に入れた。
するとそこで、廊下に面したドアが開き、眠そうな顔の姉妹が現れる。
「お前ら、こんな時間に何バタバタやってんだよ? 目え覚めちまったじゃねーか」
と文句を言った葉月は、二人の姿を見て一瞬絶句した。──かと思うと、急にポニーテールが飛び上がるような勢いで叫ぶ。
「って、さっきと逆んなってる! マジで何やってんの⁉︎」
「……いや、コレは彼が」
「なに⁉︎ ──やっぱりアレか、Gカップの誘惑に負けたのか⁉︎ くっ、確かに私はそこまでじゃねえし、観月姉に至っては同級生以下だろうけどよぉ」そこですかさず「おいこら」抗議が入る。「だからって、そんな天然鉄仮面に走らなくたっていいじゃねえか!」
何気に燎子も酷い言われようだが、それどころではないのだろう。
「……一応先に謝っておくよ。ゴメンナサイ」
そう言うが早いか、彼女はやにわに少年の急所を蹴り上げた。いろいろな意味で容赦のない攻撃だったが、彼は超人的な反射で後方に跳び、これを躱す。
少年がテーブルを超え窓の前に着地するのと、燎子が首跳ね起きの要領でカーペットに立ったのとは、ほぼ同時だった。
「つ、宰があんなアクロバティックな動きを……! まさか──あいつグレたんじゃ……」
「お前は少しは落ち着け。明らかにそんなレベルの話ではないだろ」
相変わらず漫才を続けるデコボコ姉妹はさて置き──探偵とマジュウはしばし睨み合う。
ほどなくして、ジャケットの内側から現れた彼女の手は空っぽだった。前回の反省を活かし、ライターを使わずに戦うことにしたのだろう。
「……二人とも、取り敢えず避難していてください。……アレは宰くんではありません」
「それでは──ま、まさか、お前の『副業』の?」
観月がそう尋ねた時、少年が獣地味た声で吼えた。姉妹はギョッとした様子でそちらに目を向ける。
彼はやにわに、目の前にあったテーブルの縁を掴んだ。
長方形のそれは、天板と脚の着いた部分にわかれたのだが、少年はその二つを左右の片手で持ち上げてしまった。いや、ただ持ち上げただけではさほど驚くべきことではないのだろうが、あまりにも軽そうと言うか、全く重量を感じさせないのだ。
「……鵺ノ、声──ガァァァァ!」
号叫した彼は癇癪でも起こしたように、右手の天板を投げ付けた。燎子はこれを腕を払って受け流し、代わりに背後の引き戸が犠牲となった。ガラスの割れるケタタマシイ音が、深夜のリビングに響く。
探偵はカーペットを蹴り付け、握り締めた拳を突き出した──謂わゆる「スーパーマンパンチ」だ。
この大技を、マジュウは左手に持っていた物を盾にして防ぐ。
テーブルだった物のど真ん中──炬燵用の電気装置は拳の形に潰れ、大破してしまった。包帯を巻いた手に血を滲ませた彼女はそれでも止まらず、カーペットに着いた右足を軸にして、体を大きく回転させた。
相手に一瞬背中を見せながら左脚を上げ、そのまま流れるような動作で踵を振り下ろし──美しく、それでいて強力無比な後ろ回し蹴りが、少年の頭上からスルドく叩き込まれた。
「グウッ⁉︎」と呻き声を上げた彼は盾を手放し、その場に片膝を着いた。
左肩を庇うマジュウの顔面を、燎子は容赦なく蹴り飛ばす。
少年はそこに崩折れかけたが、すぐに苦しそうに体を起こした。
(……まだ完全にはマジュウ化できていない……。今なら素手でも倒せる──いや、倒す)
彼女はテーブルの残骸を踏み付けつつ、悠然と彼に歩み寄った。冷徹たい鳶色の瞳が、マジュウの姿を見下ろす。
(今度こそ、誰も……)
再び拳を握り締める燎子に、戸口に立った葉月はどこか哀しげな目線を向けた。
「燎子さん……」
これまでとは打って変わって、静かな声音で呟いた彼女は、自らのリボンの端に手を触れる。
その視線の先で、探偵は少年の胸ぐらを掴み、立ち上がらせた。
「……痛いと思うけど、我慢して。治療のような物だから」
無機的な声でそう言うと、彼女は拳を振り上げる。マジュウはなす術なく、お面の顔でそれを見つめていた。
瞬間、時が停止まったかのような静寂が訪れ──
シュンッ。
「…………⁉︎」
その風切り音は、実に幽かな物だった。しかしながら、二人の耳にもシッカリと届いたことだろう。
そして、それが鳴ったと同時に──
燎子の白い首筋を、オレンジ色の何かが掠めた。
──瞬間、針の先で引っ搔いたような傷跡が、そこに刻まれた。血が滲むことで辛うじてそれとわかるほどの、極めて小さな傷だ。
燎子は元の体勢のまま、肩越しに振り返る。
「……………………何、を……?」
驚愕に揺れる瞳の先には、無言で佇む姉妹の姿が。
「……何をしたの? ──葉月」
名指しされた彼女は、いつの間にか髪を下ろしており、その右手にはオレンジ色のリボンが垂れ下がっていた。目許に影を作るように俯いている為表情は読み取れないが、明らかにこれまでとは様子が違う。
「……燎子さんさぁ、おかしいと思わなかったんすか? 起きて来たばかりの私が、髪を括ってるなんて」
そう言って面を上げた彼女は──笑っていた。冷酷に口角の端を吊り上げ、白い歯をニイッと覗かせて。
そしてその瞬間、葉月のリボンの端で、何かがキラリと光を反射する。どうやら、極小の針が突き出ているようだ。
「…………ナルホド。──いつから?」
「初めっから。……私ら姉妹は、ずうっっっっっっっぅと前から、あんたの敵──黒巫女だったんすよ」
次女が答えると、観月もニッコリと微笑んだ。
「そう言うわけなんだ、燎子。騙していてすまなかったなー。……まあ、今日日この程度の『裏切り』くらい、よくある展開だろ?」
「……センパ──⁉︎」
呟いた途端、燎子は目を見開いた。
まるで、ようやく身体の中の「異常」に気付いたかのように──
いや、実際そうなのだろう。
彼女は、少年のTシャツから手を離し、わずかに蹌踉めいた。
事態が呑み込めない様子のマジュウは、フラフラと数歩後退る。
「やっと効いて来たみたいっすね、麻酔薬。つうか、一応猛獣用の奴だから、普通は即お寝んねのはずなんすけど」
「……そんな物、リボンに仕込んだら危ないんじゃ……」
と、この期に及んでズレたツッコミを入れる燎子。しかし、言葉ほどの余裕はないらしく、すぐさま崩折れてしまう。
両手を着き、唇を噛み締めてなんとか耐えている様子だが、すでに限界は近いのだろう。
そんな彼女の姿を呆然と見下ろしていたマジュウに、黒巫女の一人が声をかける。
「お前は私たちと一緒に来い。そうすれば、知りたいことを全て教えてやるぞー?」
「……知リ、タイ、コト……オ、オレノ、正体……」
「そうだ。お前が本当は何者なのかも、これで全てわかる」
少年は、逡巡しているらしかった。どうにか彼のことを見上げた燎子は、「……ダメ、従っては!」と苦しげに叫けぶ。
──ほどなくして、マジュウの体が小刻みに震え始めた。
「ソ、ソウ、カ……オ前タチダッタンダナ……。──昨日ノコトハ、全テオ前タチガ仕掛ケタンダナ!」
彼が怒鳴った時、その体に変化が現れた。
背中が不気味に盛り上がったかと思うと、内側から殻を破るように、白い二つの突起生えて来たのだ。
それらは巨大な鱗翅であり、花が開くように一瞬にして羽化した。
「オ、オレハ──オレハ、オ前タチヲ許サナイ! コレ以上、操ラレテ堪ルカ!」
「……ふむ、それが答えなんだな?」
呟いた観月は、やれやれと首を振った。
──直後、片方の翅が腕のようにしなり、マジュウの背後の窓を突き破る。カーテンがビリビリと引き裂かれ、無数のガラス片や枠の残骸が外側に飛び散った。
少年は踵返し、生温い夜風の吹き込む方へと向かう。
「……ま、待って」
燎子は最後まで彼を行かせまいとしたが、伸ばした右手の先がスウェットの裾に触れるよりも先に、彼女は動かなくなった。
翅を畳んだマジュウは振り返ることなく、歪んだ窓枠を超え、深夜の住宅地に飛び出す。
その後ろ姿を見送った観月は、続いて動かなくなった燎子の姿に視線を投じ、
「まさしく『飼猫に手を噛まれる』と言う奴だな」
「は? 何言ってんだ?」
「気にするな、ただのキャラ付けだ。──それより、私たちもさっさと動くぞ。あいつのことは、彼に任せておくとして、こっちの処分をしなくては」




