訪問①
その日の夕方。
宰は酷く疲れきった様子で、自宅の玄関のドアを開けた。
「た、ただいまぁ……」
弱々しい声で彼が家の中に声をかけると、例により右手の扉が開き、ポニーテールの次女が現れる。
葉月はやはりタンクトップとホットパンツと言った涼しげな格好だった。そして、昨日に比べてだいぶ上機嫌な様子である。
「よお、宰。今日はそんなに遅くならなかったじゃんか」
と、満足げに言った彼女だったが、すぐに彼の姿に違和感を覚えたらしく、サッと笑顔が引っ込んだ。
「って、あれ? お前なんか服変わってね? そんなダセえの持ってたっけ?」
怪訝そうに葉月が指摘したとおり、宰の服装は家を出た際──少なくとも探偵事務所にやって来た時点──とは、全く別の物になっていた。ジーンズは黒いスウェットに変わり、その上には何故かデカデカと「名探偵」とプリントされた、白いTシャツを着ている。「ダサい」と称されても到底文句を言えないようなセンスだ。
「う、うん、ちょっと……いろいろあってね」
「いやだから何があったんだよ。──てか、昨日もこんな会話しなかった?」
もちろん、デジャビュでも何でもない。
宰はモジモジと両手を合わせて動かしたまま、なかなか靴を脱ごうとしなかった。
「ん? どうかしたのか?」
「実はその……お客さんを連れて来てて」
彼が横目で振り返ると、同時にドアが開く。
そこに現れたのは、酷く季節感のない格好をした一人の若い女。
「……コンバンハ」
気安げにヒラリと、新しい包帯を巻いた方の手を挙げた彼女を見て、葉月は喫驚した様子だった。
それからすぐに、何故かとても嫌そうな顔をして、
「げっ──燎子さん⁉︎」
「……久しぶり」
相変わらず抑揚も感情も乏しい声で答える燎子。二人のやり取りを見ていた宰が、意外そうに尋ねる。
「あれ、知り合いなの? 観月姉だけじゃなくて?」
「……ああ。私ら三人、高校が同じだったんだよ。この人は私のイッコ上──だから、今年二十三になる。ちなみに、我が家のアホ長女は燎子さんの一つ上、私が一年の時の三年だ」
「なるほど……」
人差し指を立てて弟に説明してやった彼女は、それから腕組みをして、
「つうか、観月姉が斡旋したバイト先って燎子さんのところかよ。まあ、あんな引きニートに紹介できる仕事なんて、他にねーだろーけど」
「……センパイは?」
「居間でゴロゴロしてるっす。まあ、とにかく上がってくださいよ。なんなら、メシ食って来ます?」
「……オ構イナク。……センパイのアホヅラ拝んだらすぐ帰るから」
そう言った彼女はブーツを脱いで床に上がると、携えていたトートバッグの中からもう一組の「屋内用」を取り出した。
が、しかし、燎子がしゃがみかけた途端に、咎めるような声が飛んで来る。
「ちょっと待った。……何すかそれ」
「……家の中用のブーツ」
「いやなんでだよ。普通に上がって来いよ」
「……でも、いつ敵に襲撃されても戦えるように」
「人ン家なんだと思ってんの? 誰も襲って来ねえっすよ。……つうか、そんなもん持ち歩くなよな」
至極もっともな指摘である。
彼女はしばし動きを止め、真顔で相手を見上げていた。何事か視線で訴えかけているつもりのようだが、いっかな許可は下りそうにない。
燎子は同じ顔のまま唇だけをわずかに曲げ、不承不承と言った風にブーツをしまった。
そこでようやく宰も家の中に上がる。
そして、燎子の隣りに並んだ彼は、「あれ?」と小さく声を上げた。
「……何?」
「いや、あの……背が……」
相手の顔を見下ろしつつ、少年はオズオズと答えた。そう、外にいる時は宰よりも五、六センチほど高い──百七十くらいか──はずだった彼女の身長が、今はせいぜい百六十にも満たないほどにまで低くなっているのだ。
狐にツマまれたように不思議がっている彼に対し、燎子は「そんなことか」とばかりに、
「……私のブーツ、超厚底だから。……十センチ以上サバ読んでる」
「そ、そうだったんですね。──あ、じゃあ、思いの外脚が長いと言うわけではな」
不用意なことを口走った途端、凍て付くような無言の視線を受け、彼はとっさに機能停止った。
「……すみません、なんでもないです」
取り敢えず謝るしかない様子の少年を残し、二人はリビングに繋がるらしいドアへ向かう。
肩を落とした宰も、すぐにトボトボとその後を追った。
中に入ると、やはりそこはリビングだった。ドアの方から見て右手の壁に大きめの窓がある為、取り敢えず日当たりは良好そうだ。主な家具は中央に置かれた四角いテーブルと、それをコの字に囲む揃いの白いソファーが三つ、テレビラックとその上に鎮座する薄型テレビに、雑多な物が納められた棚と、壁にかかった時計である。
それなりに大きなテレビ画面の中では、今はひとふた昔前の格闘ゲームのキャラクターたちが、アクロバティックなアクションを披露していた。
「おおっ、燎子じゃないかー。この間電話したぶりだな。元気にやってるかー?」
その声の主は、テレビの真正面に置かれた横長のソファーに、仰向けに寝そべっていた。昨日と同じマスカット色のパジャマを着た長女──観月は、ゲーム機のコントローラーを握ったまま、起き上がろうともせずに挨拶する。
なんともダラケきった姿であったが、燎子も承知の上だったのか、特に気にする風もなく、
「……それなりには。……センパイも、相変わらずのアホヅラで何よりです」
「なんか藪から棒に失礼じゃないか?」
「……気ノセイデスヨ」
普段以上の棒読みで返す燎子。彼女の背中側には磨りガラスの嵌め込まれた戸が閉め切られており、その向こうがダイニングになっているのだろう。
「……まあ、いいだろう。せっかく来たんだからユックリして行きなさい。そうだ、一戦交えようじゃないか。──なんなら、ご飯食べてくかー?」
次女と同じような誘いを受け、燎子は逡巡していたようだったが、最終的には「……では、お言葉に甘えて」と、入り口に近い方のソファーに腰を下ろした。
※
それから約二時間後。
夕食の片付けも終わり、四人はリビングで寛いでいた。隣り合って座った観月と燎子が格闘ゲームで対戦しており、宰たちはそれぞれ両側のソファーの上から、その様子を観戦する。
やがて、筋骨隆々な以下にも「猛者」と言ったキャラクターが、一見して非力そうな少女に蹴り飛ばされ、「K.O.」の文字が大きく表示された。
「よしっ! また私の勝ちだな!」
「…………」納得がいかないのか、燎子は未練がましくコントローラーを見つめ、「……センパイ、次はリアルファイトで決着付けませんか?」
「いやそれ絶対私死ぬだろ」
と、恐ろしい提案を一蹴した彼女は「コンテニュー」を選択する。
それから、ふと思い出したように、
「ところで燎子、お前は結局何しに来たんだ? ただの挨拶だけじゃなかったんだろ?」
「……ええ、まあ。……実は、二人に訊きたいことがありまして」
燎子はそこで手を止め、右隣りの観月と、それから廊下側の席に膝を組んで座っていた葉月に目を向けた。
「……彼には、いつまであのことを黙っているつもりですか?」
燎子の言葉に、彼女たちは暫時顔を見合わせた。
しかし、すぐに質問の意図を汲み取ったらしく、
「いつまでっつわれても……てか、それを訊いて来るってことは、宰はもうあんたの『副業』を知ってんのかよ」
「……まあ、成り行きで。──そんなわけだから、こっちも隠したままだとやり辛い。……二人さえよければ、彼に教えてあげてほしいと思って」
燎子たちの会話を聞きながら、宰はキョトンとした風に一人首を傾げた。
「だからっていきなり打ち明けるっつうのもな……」と言い淀んだ葉月は、迷うような不安げな視線を、弟に投げかけた。
──ほどなくして、先に意思を固めたのは長女のようだった。彼女は手に持っていた物を膝の上に置きつつ、落ち着いた声で言う。
「こうなってしまっては仕方ないだろう。……むしろ、ちょうどいい機会かも知れない。宰も、真実を知る時期が来たんだ」
「観月姉……。……確かにそうかもな。ずっと隠しておけるわけでもねーし」
どうやら案外スンナリと話がまとまったらしい。
いったい何が語られようとしているのかわからない様子の宰に、観月はやや真剣な面持ちになってこう告げた。
「宰。実は、お前にずっと言っていなかったことがあるんだ」
「な、何……?」
居住まいを正した少年は、心なしか怖々とした眼差しで相手を見返した。まるで、今まで知らずにいた恐ろしい真実が明きらかとなる前触れを、感じ取ったかのように。
「うむ、お前のお父さん──栄治さんについてなんだがな」
そう前置きした長女は、もったい付けるように間を置いた。身を乗り出した宰は、ゴクリと生唾を飲み込む。
「……栄治さんは、実はそこにいる燎子の師匠であり、彼女のように特殊な犯罪者たちと戦っていたんだ……」
「父さんが……マジュウと……⁉︎」




