副業④
マジュウはしばし唖然とした様子で立ち尽くしていた──が、やがて我に返ったように、
「な──何それ⁉︎ さっきからどうなってるのその炎! ズルくない⁉︎」
「……私のライター、『曰く』付きなのですよ。……まあ、よくある設定ですが」
「いやあってたまるか!」
「……ソンナコトヨリ、一つだけシャトルを残したおきました」
彼女の言葉とおり、ミントンマジュウの甲羅にのみ、一つだけ無事な「羽」が残っていた。
「……と言うわけで、そのご自慢の『必殺スマッシュ』とやらを、私に打ち込んで来てください。……私は一切避けませんし、このズルいライターも使いませんので」
そう言うと、燎子は本当にライターの蓋を閉じて火の消し、さっさと上着にしまい込む。
「……は?」と虚を突かれた様子の彼女のことなど歯牙にもかけず、探偵は踵を返し、数メートルほど歩いたところで立ち止まった。
「……さあ、どうぞ。遠慮なさらずに。……もっとも、あなたは私に傷一つ付けられないでしょうが」
「どこからでもどうぞ」とばかりに、軽く腕を広げてみせる燎子。その姿を見つめていた高村は何かに気付いたのか、「なるほど……」と静かに呟いた。
「それが、彼女の歪みか……」
「歪み?」と、宰がその背中に尋ねる。
「うむ。先ほど探偵事務所でも説明したと思うが、マジュウには必ず歪みが生じ、だからこそ怪物の姿になってしまう。理想と現実の差異とでも言うべきか……謂わば、キャラクターがブレるわけだね。
──そして、このブレを身を持って認めさせることにより、蟲との繋がりは断たれる。『自分のしていることは、理想とはほど遠い』のだと、理解させるんだ。……それには、圧倒的な敗北感を味あわせるのが手取り早い」
彼の解説が済んだところで、戦い──と呼ぶにはあまりにも一方的だったが──は、最終局面を迎える。
少年が改めて視線を向けた先で、マジュウはラケットを握る手に力を込めた。
「……に、するな……。──私とコーチが編み出した最強スマッシュを、馬鹿にするなぁぁぁぁ!」
彼女が叫んだ直後、甲羅に残されていた最後のシャトルがミサイルのように発射された。軽く煙を噴出しながら、猛スピードで空中を突き進むその先には、自然体で佇立する燎子の姿が。
このまま行けば衝突は免れない──と思われた矢先、シャトルは急上昇。ダイナミックに旋回し、元来た方へと引き返した。
「とくと味わえ! これが、全国を獲る為に二人三脚で編み出した、超必殺技だ!」
小さく助走を付けたマジュウは迫り来るシャトルの下に入り込むと、軽く路面を蹴って垂直に跳ぶ。
わずかに逸らした体と、高々と掲げるように伸ばした左手のラケットが、一目で理想的だとわかる美しいフォームを作った。
──刹那、青白い電光を纏ったジャンピングスマッシュが放たれた。
しかも、その軌道はどう言う仕組みなのか、光の龍の姿の姿を顕現させ──つまり、スポーツ漫画などによく見られる「過剰演出」その物ではないか!
それも、単にエフェクトが派手と言うだけではない。実際に強化ガラスをブチ抜くほどの威力を持つ、れっきとした「兵器」なのだ。
唸りを上げ空気を焦がす龍は、一瞬にして探偵との距離を縮めた。
──が、それだけではなく。
「食らえぇぇぇぇ!」
顔面を狙うように突き進んでいたスマッシュは、彼女の声に応えるように吼え、かと思うと急激に変化したのだ。
──雷光の龍は、まるでそこに血の臭いを嗅ぎ取ったかのように、包帯を巻いた右手に食らい付く。
「篝さん!」
瞬間、宰は悲鳴のような声で、彼女の名を呼んだ。
──の、だが。
しかし……。
現実は、少年の予想していたであろう惨状を、いとも容易く裏切ってみせる。
彼の視線の先で、燎子が取った行動はただ一つ。自ら迎えに行くように、右手を前に出したのみだった。
どうやら、捕球するつもりらしい。
シェルターに風穴を穿った「兵器」を、素手──それも、昨日負傷したばかりの手で。
どう考えても無謀と言うか、無策としか言いようのない試みだが、果たして、彼女は龍の鼻先を掴み──
その指を、無造作に閉じた。
瞬間、派手なエフェクトは霧散し、シャトルだけがそこに残った。それはしばし彼女の手の中で、抵抗するように暴れていたものの、ほどなく余力を使い果たし……。
最後はただ、ウッスラと煙を上げるのみとなった。
「「「「「「は?」」」」」」
この光景には、少年やマジュウは元より、小栗や高村でさえも、度肝を抜かれたらしい。誰もが口を半開きにしたまま、唖然と固まっていた。
──彼らが見つめる先で、燎子は捕らえた物を放り捨てる。
「……先ほど検索った時に知ったのですが……漫画のタイトルである『クロスファイア』とは、左利きの選手が打つカットスマッシュのことだそうですね。……シャトルの羽の向きの関係上、右手で打つのと左手で打つのとでは回転のし方が変わり、相手の手許で逃げるように変化する軌道──謂わば野球のシュートのような球筋になるのだとか。
……このことさえわかっていれば、あとは簡単です。シェルターの破損具合からおおよその『球速』を割り出し、加えて変化し始める『位置』を計算すればいい。……つまり、私はただ推理しただけなのです。──ほら、傷一つ付けらなかったでしょう?」
突然何言ってんだコイツは──と、その場にいた全員が思ったに違いない。長々と喋った割に、結局は常人離れした膂力と反射神経で乗り切っただけではないか。
よしんば「『設定』する能力」により根拠を「設定」し、不可能を可能にしたのだとしても。
「な──」
一瞬言葉を失った彼女は、膝からその場に崩れ落ちる。
「なん、じゃそりゃ……⁉︎」
マジュウが呆然と零した直後、お面の端の方からヒビが走り、見る間に全体へと広がった。
「……一つだけ言っておきたいことがあります。……コーチから教わったことを大切に思うなら、それを体現し続けなさい。誰かに押し付けるのでも、去って行った人を恨むのでもなく、あなたがひたすら教えを貫くのです。……そうすれば、コーチとの“繋がり”は、いつまでもあなたの中に残り続ける」
「で、でも、私はコーチがいないと……」
「……先ほどのスマッシュ、蟲の力に頼ったモノでしたが、フォーム自体はとても綺麗でした。素人目に見てもそうなのだから、きっとシッカリ練習を積めば、本当に『必殺技』となるはずです。──そうですね?」
彼女が水を向けると、女生徒たちは頷き返した。
「もちろん。一番張り切ってんのそいつだし。私らなんかより、何倍もうまいもん」
「そうそう。……私ガチで部外者だからわかんないけど」
半分ほどお面が剥がれかけたマジュウは、ハッとした表情でそちらを振り返る。
が、ほどなく、完全にそれが砕け散ると共に、彼女は笑った。憑き物の落ちたような、明朗らかな表情で。
女生徒たちの体に融合していた虫の甲殻や節足、安っぽいユニフォームは、跡形もなく消え去る。「蟲」は焼き斬られたのだ。
元どおり青く晴れ渡った空の下、踵を返した燎子は、少年たちの元へ歩み寄る。彼女はそのまま無愛想に、宰の横を通り過ぎて行った。
(……なんだろう、やっぱり変だ。ハッキリとは言えないけど、何か忘れちゃいけないことを忘れているような、そんな感覚……。──でも、いったい何を?)
包帯を巻いた手を目で追いながら、彼は一人表情を曇らせた。どうにもそれが気になるらしい。
すると、探偵は唐突に脚を止め、
「……このくらいの怪我、どうってことないから」
「へ?」
「……さっきから何故か気にしているようだけど、私はそこまで軟弱じゃない。……ほとんど自業自得だし」
やたらたくましいことを言いつつ、彼女は右手をヒラヒラとさせてみせた。確かに、あれだけの攻撃を受けて止めて平気なのだから、心配する方が馬鹿馬鹿しい。
この上なくブッキラ棒な燎子のセリフに、宰は少々面食らった様子だったが、すぐに彼なりに意味を察したようだった。
(……もしかして、気を遣ってくれてるのかな……?)
少年が小首を傾げていると、その隣りに並んだ高村が、呆れながらも微笑むような顔で囁いた。
「ああ見えて、彼女は昨日の失態を気に病んでいるらしい。全く呑めないクセに、ヤケ酒したくらいだからね」
宰は驚いた様子で、彼の横顔を見上げた。
「破天荒な人間に見えるだろうが、あれはあれで先代からの──つまり、探偵の師匠からの教えを、必死に体現している結果なんだ。それが、彼女にとっての“繋がり”と言うわけだね。……だから、まあ、時々ぶっ飛んだ言動もあるかとは思うが、大目に見てやってくれ」
ウインクでもしそうな口調で付け加えた彼であったが、すぐさま前方からそっけない言葉が飛んで来る。
「……警部、どうでもいいこと仰ってないで、仕事されたらドウデスカ」
「ああ、そうだね。もちろんだとも。──小栗くん、行こうか」
彼は部下を伴い、少女たちの方へ向かって行った。
「例のアンノウンですがー、警備班からの報告はありませんねー。一応、まだ待機しといてもらいましょうかー?」
「うむ、その方がいいだろう。奴の目的がわからない以上、油断はできないからね」
何やら相談し合う二人の姿を見送った宰は、改めてジャケットの背中に目を向ける。
「……さっさと帰るよ、宰くん。……マジュウ狩りを見学するのは構わないけど、君はあくまで『本業』の方のバイトだから」
「は、はい!」
言うだけ言って歩き出した彼女に応え、少年は後を追った。
──が、少しも進まぬうちに燎子は足を止め、
「…………それはそうと……何か、袋的な物を持ッテマセンカ?」
そう言って振り返った彼女の顔は、酷く青褪めていた。普段にも増して蒼白であり、ほとんど重病人のそれである。
宰は質問の意味を汲み取れなかったらしく、キョトンと瞳を瞬かせた。
「え? も、持ってませんけど……どうかしたんですか?」
「……いや、ちょっと……困ったことになったと言うか……」
そう答えた途端、彼女は慌てて左手で口許を抑える。そして、目許に涙の粒を浮かべながら、
「……ギモヂ悪い。……吐ぎぞう……」
「え」一瞬固まった彼は、直後全てを理解したらしく、「──ええっ⁉︎ もしかして、まだ二日酔いだったんですか⁉︎」
「……な、治りかけてたけど、体動かしたら悪化し──ウッ」
話しているうちに嘔吐きそうになったのか、ピクリと体を震わせた。込みあげて来る物を懸命に堰き止めているようだ。
「だ、大丈夫ですか⁉︎」
「……だい、じょうぶ──じゃない……! もう、そごまで、来でる……」
「ええっとぉ──と、取り敢えず、近くのコンビニまで我慢しましょう!」
「……でも、これは本当にヤバ」
決壊はすぐ間近なのか、燎子は口許を目一杯膨らませる。抑えている手の下からわずかにヨダレが垂れ、鼻からも汁を滴らすと言う、白皙の美女にあるまじき状態だった。
「えっ、ちよっ、あの、篝さん……⁉︎」
少年は怯えきった表情で彼女を見返す。どうすることもできずに立ち尽くす彼の顔に、すぐ目の前に立つ探偵の影が被さった。
そして、次の瞬間──
ほとんど胃液とアイスティーだけで構成されているらしいそれが、滝のように少年の体に降り注ぎ……。
蝉時雨を掻き消すように、乙女のような甲高い悲鳴が響き渡った。




