第八話:マフラーと冬の匂い
十一月も半ばを過ぎると、夕方の寒さは本格的なものになっていた。
放課後、特別棟の階段を上がると、廊下の空気がすっかり冷え込んでいるのがわかる。
ギィ、と『旧・第一資料室』の扉を開けると、室内も吐く息が白くなりそうなほど冷えていた。
「……う、寒っ」
「……遅い」
部屋の隅で、瑠愛が制服の上に厚手の白いマフラーをグルグルに巻きつけ、もこもこの姿で座っていた。机の上には、先週の雨の日に使ったあのフリース膝掛けが綺麗にたたんで置かれている。
「ごめん、日直の仕事が長引いちゃって。……涼風さん、寒くない? ストーブ付けようか」
部屋の隅にある古い石油ストーブを指差すと、瑠愛はマフラーの中に顔を埋めたまま、首を横に振った。
「ううん、大丈夫。点火する時のニオイ、ちょっと苦手だから……これで足りてる」
そう言って、瑠愛は膝掛けをポンポンと叩いた。
「……こっち、来れば?」
マフラーの隙間から覗く大きな瞳が、上目遣いで僕を捉える。
『名前のない関係』であることをお互いに受け入れてから、瑠愛は時折、こうして無自覚(あるいは計算?)に境界線を踏み越えてくるようになった。
僕はドキリと胸を跳ねさせながら、自分のパイプ椅子を持って彼女の隣——作業デスクへと移動した。
「失礼します……」
「なに遠慮してるの。ほら」
瑠愛は膝掛けの端を持ち上げ、僕の膝の上にファサッと掛けた。
途端に伝わってくる、彼女の体温と、柔らかい洗剤の匂い。そして、マフラーから漂うどこか甘い冬の匂い。
「……あたたかいね」
「ん。……だから言ったでしょ」
瑠愛は満足そうに口元をマフラーに隠し、文庫本を開いた。
でも、膝掛けの下で僕たちの太ももがかすかに触れ合っている。距離は、一章の時よりも明らかに縮まり、もう「3センチ」すら危うい状態だった。
カサ、と小さな音がして、瑠愛の手が膝掛けの下で動いた。
ふいに、僕の制服の袖口がちょこんと引っ張られる。
「……黒木くん」
「な、なに?」
「手、見せて」
「手?」
首をかしげながら右手を出すと、瑠愛は自分の小さな手を重ねてきた。
冷えた僕の指先を、彼女の温かい両手がそっと包み込む。
「っ……!? 涼風さん!?」
「静かに。……黒木くんの手、冷たいから。温めてあげてるだけ」
瑠愛は真っ赤な顔をしてそっぽを向きながら、ぎゅっと僕の手を握りしめた。
彼女の手は驚くほど柔らかくて、そして驚くほど温かかった。
「……私ばっかり温めてもらってるから、お返し。……文句、ある?」
「あるわけ、ないだろ……」
僕の手を包む彼女の体温が、指先から腕へ、そして胸の奥へと一気に広がっていく。
寒いはずの空き教室が、熱を帯びて世界で一番温かい場所に思えた。
膝掛けの下で繋がれた手。
僕たちはもう、この距離に名前がつかないことなんて、どうでもよくなっていた。
短かったなぁ




