第五話:隠れ家の訪問者?
僕と涼風瑠愛の「放課後の不干渉条約」が始まってから、二週間が過ぎた。
特別棟の二階、突き当たりにある『旧・第一資料室』。
ここは誰にも邪魔されない僕たちだけの秘密基地……のはずだった。
「……ねえ、黒木くん」
カリカリとノートに文字を走らせていた僕に、瑠愛が低く緊張した声をかけてきた。
顔を上げると、瑠愛は本を閉じ、すりガラスの付いた木製の扉をじっと見つめている。
廊下から、バタバタという足音が近づいてきていた。
それも、一人や二人じゃない。運動部か何かのアホみたいな大声まで聞こえてくる。
「おい、ここ開いてんぞ!」
「マジ? サボり場所にちょうどよくね?」
「……っ」
瑠愛の顔からサッと血の気が引くのが分かった。
クラスで「高嶺の花」として孤立している彼女だ。もし男子生徒たちに踏み込まれ、僕と二人きりでこんな場所にいるところを見られたら、明日からの学校生活でどんな噂を立てられるか分からない。
何より——この静かな居場所を、荒らされたくなかった。
足音が扉のすぐ手前で止まる。ガチャリ、と真鍮のドアノブが倒れる音が響いた。
「(こっち!)」
僕は咄嗟に瑠愛の手首を掴み、部屋の隅にある大きな木製本棚の陰へと引きずり込んだ。
「ん……っ!?」
瑠愛の小さな悲鳴を殺すように、もう片方の手で彼女の口元を優しく覆う。
直後、キーッと嫌な音を立てて扉が開いた。
「うわ、ホコリ凄っ! なんだここ、ただの物置じゃん」
「なんだよー、期待させんなって。戻ろうぜ、ジュース買ってさ」
二人の男子生徒が雑に室内を覗き込み、すぐに扉を閉めて足音は遠ざかっていった。
「…………ふぅ」
安堵の息を吐き、僕は手元に意識を戻した。
そして、自分が仕でかした状況のヤバさに気づいて凍りついた。
(……やばい、近すぎる……!)
本棚と壁の狭い隙間。
僕は瑠愛を庇うように押し押しにする形で、彼女を抱きすくめる格好になっていた。
僕の腕の中に、すっぽりと収まっている瑠愛。
見上げれば、息が触れ合いそうな距離に彼女の顔があった。大きな瞳が驚きで揺れていて、長い睫毛が細かく震えている。僕の手はいまだに彼女の柔らかい唇を覆っていた。
「……あ、ご、ごめんっ!」
慌てて手を離し、弾かれたように距離を取ろうとしたが、背後は壁だった。
逃げ場のない狭い空間で、僕の顔は火が出そうなほど熱くなる。
「ごめん涼風さん! 咄嗟だったから……怪我とか、してない!?」
必死で謝罪する僕を、瑠愛はじっと見つめていた。
彼女の顔は、僕以上に真っ赤に染まっている。胸元に添えられた彼女の指先が、制服の生地をキュッと強く握りしめていた。
「……怪我は、してない……けど」
瑠愛は震える声で呟き、ぺたんとその場にしゃがみ込んでしまった。
膝に顔をうずめ、赤くなった耳だけを覗かせている。
「……心臓、壊れるかと思った……」
「っ……本当にごめん!」
「そうじゃない……っ」
膝の間から、消え入りそうな声が漏れる。
「黒木くんが……急に引っ張るから……」
瑠愛はちらりと上目遣いで僕を見つめると、恨めしそうに、でも少しだけ泣きそうな瞳で小さく口を尖らせた。
「……手、すっごく温かかった……」
その言葉の破壊力に、今度は僕の心臓が破裂しそうになった。
侵入者は去り、部屋には再び静寂が戻ってきた。
けれど、狭い本棚の隙間に残った二人の熱気と、高鳴るふたつの鼓動は、いつまでも鳴り止まなかった。




