第四十五話:早朝の急襲と、朝露の誓い
「……あ、愛海……っ! 一緒に寝るのは流石にマズいって……!」
パジャマの首元を必死で庇いながら、俺は扉の隙間から必死で訴えかけた。
大きな枕を抱え、湿り気を帯びた瞳で俺を見上げてくる三女の愛海。その可憐な立ち姿の裏には、愛陸や愛空の直情的な監視とは一味違う、静かで濃厚な執着が満ち満ちていた。
「どうしてお断りになるのですか、お兄様……? 昔は……私が悪夢を見た夜は、よくこうして一緒に寝てくださったのに……」
「それは小学生までの話だろ……! もう俺たちも高校生なんだから、家族とはいえ境界線は必要だ!」
「境界線……」
愛海はその言葉を反芻するように唇を噛みしめ、ギュッと枕を押し抱いた。
「……お兄様が、私との間に『境界線』を引こうとされるなんて……。やっぱり……あの涼風瑠愛様の影響なのですか……?」
(っ……! 名前を直接出してきた……!)
心臓が跳ね上がる。昨晩の涼風瑠愛との密やかな電話、そして放課後の相合い傘。妹たちの直感は、俺の想像を遥かに超える精度で「真相」へと迫っていた。
「ち、違う! 涼風は関係ない! ただ単に俺が年相応の男として……!」
「……でしたら」
愛海はすっと一歩、部屋の中へと足を踏み入れようとしてきた。
「……その首元のホックを解いて、私に本当のことをお話しください……。お兄様の首元に……私が知らない何かが隠されていることくらい……私、ずっと前から気づいておりました……」
愛海の手が、俺のパジャマの第一ボタンへと伸びる。
その指先が俺の肌に触れかけた――その瞬間。
バッ!!
「ちょっと愛海! 抜け駆けはズルいんじゃない!?」
廊下の闇から飛び出してきたのは、短めの黒髪を乱した長女の愛陸だった。ジャージ姿で仁王立ちし、怒りに頬を膨らませている。
「愛陸姉ぇ……!?」
「愛陸だけじゃないよ! 愛空ちゃんの『お兄ちゃん不法侵入センサー』が反応して飛び起きてきたんだから!」
続いて現れたのは、波打つロングヘアをなびかせた次女の愛空。二人とも、俺の部屋の前で繰り広げられていた「密談」をバッチリ張り込んでいたらしい。
「愛海、あんた『お兄ちゃんが不安だから一緒に寝る』とか言っておいて、どさくさに紛れてお兄ちゃんの首元を解検分しようとしてたでしょ! 抜け駆けは絶対に許さないんだから!」
「あ、愛陸姉ぇ……! 私はただ、お兄様が遠くへ行ってしまわれそうな気がして……!」
「遠くへ行くも何も、お兄ちゃんは私たちのものなんだから! ほらお兄ちゃん、観念して今すぐその首元を見せなさい!」
「そうだそうだ! 朝になる前に現行犯逮捕だよ!」
「待て待て待て! 部屋に雪崩れ込んでくるな!!」
突如として始まった、深夜……いや、もはや早朝に近い時間帯の捕獲劇。
愛陸が左腕を掴み、愛空が右腕を引っ張り、愛海が泣きそうな顔で正面から俺の胸元に抱きついてくる。三つ子の妹たちの圧倒的な密着力と過保護な熱量に、俺は部屋の床へと押し倒されそうになった。
(や、やばい……! 三人全員で来られたら防ぎきれない……! ホックを解かれたら、瑠愛のつけたあの深い痕が一発で白日の下に晒される……!)
「やめろお前たち! 近所迷惑だろ!!」
俺は全身の筋肉に力を込め、必死で妹たちを押し返した。
「俺はもう寝る! 服を脱がされたり首元を見せたりする筋合いはない! ほら、全員自分の部屋に戻った戻った!!」
「嫌だ! 絶対に怪しい! 芳香剤の匂いといい、今日の相合い傘といい、お兄ちゃんは絶対に涼風さんと『何か』あった!!」
「愛空ちゃんの直感が言ってるの! お兄ちゃんの首元には……女子につけられた最悪の『痕』があるって!!」
愛空のその言葉に、俺の背筋に冷や汗が吹き出した。
当たりすぎていて声も出ない。
「……とにかく! 俺は何も隠してない! 明日の朝、ちゃんと服を着て学校に行くから、今は全員出ていけーっ!!」
俺は火事場の馬鹿力を発揮し、三つ子の妹たちを部屋の外へと押し出すと、ガチャンッ!!と音を立ててドアを閉め、キーを二重にロックした。
ハァ……ハァ……っ!!
ドア越しに「お兄ちゃんのバカ!」「明日の朝は逃がさないからね!」「お、お兄様……っ!」と叫ぶ妹たちの声が響く。やがて、渋々といった足音が廊下の奥へと消えていった。
俺はドアに背中を預けたまま、その場に崩れ落ちた。
「……助かった……」
パジャマの首元に手をやると、昨晩瑠愛と電話越しに話していた時の熱が、まだ肌の奥に微かに残っていた。
愛空の直感は、もう真実の一歩手前まで到達している。明日の朝、普通に登校しようとすれば、間違いなく玄関で待ち伏せされて全裸解剖並みの検分を受けることになるだろう。
スマホを取り出すと、画面には涼風瑠愛からのメッセージが届いていた。
送信時刻は、たった今――午前四時四十五分。
『……黒木くん、起きてる……? ……妹さんたちの声が……遠くから聞こえた気がしたの。……大丈夫……?』
瑠愛も、俺のことを心配して眠れずにいたのだろうか。
俺は震える指で返信を打った。
『大丈夫だ。なんとか部屋から追い出した。……でも、明日の朝は本当にヤバいかもしれない』
すぐに「既読」がつき、返信が返ってきた。
『……じゃあ、今から……迎えに行くね』
「え……?」
『……朝の5時に……黒木くんのお家の近くの公園で待ってる。……裏口か窓から抜け出して……私に会いに来て』
瑠愛の、どこまでも大胆で、どこまでも一途な提案。
妹たちの密着包囲網をかい潜り、早朝の街へと飛び出す決意を、俺は固めるしかなかった。
◇◇◇
午前五時。朝もやが薄く漂う近所の小さな公園。
東の空がゆっくりと白み始め、涼やかな朝の空気が街を包み込んでいた。
俺は妹たちを起こさないよう、一階の勝手口から忍び足で脱出し、約束の公園へと駆け込んだ。
ブランコの脇、薄紫色の朝顔が咲く垣根の横に、彼女は立っていた。
涼風瑠愛。
学校の制服姿。ダボついた萌え袖の手を前で合わせ、小さな吐息を白く弾ませながら、じっとこちらを見つめていた。
俺の姿を捉えた瞬間、瑠愛の琥珀色の瞳がパッと輝いた。
「……黒木くん……!」
足音もなく駆け寄ってきた彼女は、躊躇することなく俺の胸元へと飛び込んできた。
距離にして、ゼロセンチ。
「っ……! 瑠愛、本当に来たのか……!?」
「……うん。……だって、黒木くんが……妹さんたちに奪われちゃいそうだったから……」
瑠愛は萌え袖の手で俺の学ランの第一ボタンを撫で、ガチガチに留められたホックにそっと指先を滑らせた。
「……無事で、よかった……。私の……痕跡……ちゃんと、守ってくれたんだね……」
「守るために家を脱出してきたんだよ……。今頃、俺が部屋にいないって気づいたら、妹たちが大騒ぎになる」
「……ふふ。……じゃあ、もう……お家には戻れないね」
瑠愛はつま先立ちになると、俺の耳元へ唇を近づけ、湿った甘い吐息を吹きかけてきた。
「……ねぇ、黒木くん。……このまま、学校が始まるまで……二人だけで……デートしよ……?」
「デート……!?」
「うん。……早朝の……誰もいない街で……二人だけの……相合い傘……」
瑠愛は萌え袖の手を俺のポケットへと滑り込ませ、恋人繋ぎで指を固く絡めてきた。
朝もやの中に溶けていく、学園の「氷の姫君」との甘く危険な密会。
過保護な妹たちの追撃を振り切り、二人の「ゼロ距離」は、どこまでも深く、どこまでも濃厚に紡がれていくのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
「面白かった」「続きが気になる!」と思っていただけたら、
下にある評価(★★★★★)やブックマーク登録をしていただけると、執筆の大きな励みになります!
感想や一言コメントもお待ちしております。




