第四十二話:雨上がりの相合い傘と、交錯する境界線
旧校舎を叩きつけていた雨脚が、ようやく弱まりを見せ始めていた。
「……ん……っ……」
薄暗い旧第一資料室の中。ソファーの上で重ね合わされていた体温が、名残惜しそうに、けれどゆっくりと離れていく。
涼風瑠愛は萌え袖の手で自分の乱れた制服の襟元を整えると、琥珀色の瞳を潤ませたまま俺を見つめてきた。その耳たぶは、まだ熱を帯びて朱色に染まっている。
距離にして、わずか**三センチ**。
「……黒木くん。……雨、止みそう……」
「……そうだな。そろそろ出ないと、本当に妹たちが校内をしらみつぶしに探し始めそうだ」
俺は解かれていた学ランの第一ボタンを留め直し、首元のホックをガチガチに固定した。瑠愛が先ほどの上書きによって残した痕跡は、間違いなく今朝よりも色濃く、俺の肌に刻まれている。
瑠愛はソファーから立ち上がると、トントンとスカートのシワを払い、萌え袖の手で俺の学ランの裾をキュッと引っ張った。
「……約束通り……相合い傘で、帰ろ……?」
「ああ、もちろんだよ。一本しか持ってきてないしな」
俺が折りたたみ傘を鞄から取り出すと、瑠愛は嬉しそうに口元を緩め、萌え袖の先端で俺の手に触れてきた。
◇◇◇
静まり返った旧校舎の階段を下り、昇降口へと向かう。
雨上がりの校庭には、夕暮れの澄んだ朱色の光と水たまりが反射し、幻想的な光景が広がっていた。雨の匂いが残る生ぬるい風が、二人の頬を撫でていく。
俺はパサッと折りたたみ傘を開き、瑠愛の頭上へと差し伸べた。
「入れよ。まだ小雨がパラついているから」
「……うん」
瑠愛はすっと俺の傘の下へと滑り込んできた。
小さな折りたたみ傘の領域。雨滴を避けるため、必然的にふたりの肩と肩が密着する。
距離にして、ゼロ**センチ**。
「……黒木くんの肩……濡れちゃう……」
「俺は平気だよ。瑠愛が濡れないようにすればいいから」
「……だめ。……もっと、こっち寄って……」
瑠愛は萌え袖の手で俺の腕を強引に引き寄せ、自分の華奢な体を俺の側腹部へと完全に押し当ててきた。服越しに伝わる彼女の柔らかい体温と、甘いシャンプーの香り。
歩くたびに、水たまりを弾くふたつの足音が重なり合っていく。
誰にも見られない、放課後の相合い傘。
学校の門をくぐり、住宅街の通学路へと差し掛かったその時――。
「あー!! 見つけた!! お兄ちゃん!!」
「やっぱり! 傘を持ってないからって、誰かと相合い傘で帰ってるんじゃないかと思ってたんだよ!!」
前方の曲がり角から、猛スピードで駆け出してきた影。
長女の愛陸と、次女の愛空、そして濡れた折りたたみ傘を大事そうに抱えた三女の愛海だ。
「っ……! 妹たち……!」
俺は思わず足を止めた。だが、瑠愛は逃げるどころか、むしろ俺の腕を握る萌え袖の力にギュッと強さを込めた。
「……お兄ちゃん……! その隣にいるのは……涼風さん……!?」
愛陸が驚愕で目を見開く。
愛空は「お兄ちゃんレーダー」を全力で稼働させ、俺と瑠愛の密着具合を鋭く睨みつけた。
「ちょっとお兄ちゃん! なんで学園の『氷の姫君』と一緒に傘に入ってるのさ!? しかも距離が近すぎるんだけど!?」
「お、お兄様……! 私……お兄様のために、予備の大きめの傘を持ってきたのに……!」
愛海が今にも泣き出しそうな目で俺を見つめてくる。
極限の緊張感が漂う通学路。しかし、瑠愛は氷のように冷徹な、けれどどこか勝ち誇ったような微笑を浮かべ、三つ子の妹たちに向かって静かに一礼した。
「……あら、黒木くんの妹さんたち。……彼、傘を持っていなくて困っていたから……私が親切で、送ってあげていたのだけれど……」
「親切!? 嘘だ! 涼風さんの顔、すっごく嬉しそうだし、お兄ちゃんにぴったりくっついてるもん!」
愛空が指を指して抗議する。
瑠愛は萌え袖の手で口元を覆うと、妹たちには見えない角度で、俺のポケットの中に自分の指先をそっと滑り込ませてきた。
「……そうかしら。……でも、黒木くんは私の親切を喜んでくれたわよ……ね、黒木くん?」
「っ……!!」
ポケットの中で、瑠愛の指が俺の指と熱く固く絡み合う。
目の前には怒りと困惑に震える妹たち。そして隣には、誰にも渡さないと言わんばかりに秘密の指先を絡めてくる瑠愛。
雨上がりの通学路で交錯する、妹たちの包囲網と瑠愛の過剰な執着。俺の青春の熱量は、夕暮れの街並みを溶かすほどに過熱していくのだった。
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