第三十八話:疑惑の朝食と、覗く真実
「お兄ちゃん、今朝はなんだか頑くなに首元を隠してるよね?」
朝日が燦々と差し込む我が家のダイニングルーム。
食卓の中央で箸を止め、じーっと俺の喉元を睨みつけてきたのは、長女の愛陸だった。短めの黒髪を揺らし、ぷくーっと頬を膨らませながら、俺の着ている制服の襟へと鋭い視線を注いでいる。
今日の俺は、家の中であるにもかかわらず、学校の学ランの第一ボタンを一番上まで完璧に留め、さらにホックまでガチガチに固定していた。昨日の放課後、旧第一資料室の暗闇で涼風瑠愛につけられた、あの小さく甘い痕跡を隠すためだ。
「な、なにがだよ。今朝はちょっと風が冷えるから、風邪を引かないように襟を立ててるだけだろ」
「ウソだね!」
向かい側に座っていた次女の愛空が、波打つロングヘアをバサッと揺らしながら身を乗り出してきた。
「今の時期に風邪対策なんて滑稽すぎるよ! 愛空ちゃんの『お兄ちゃん異常検知システム』によると、そのホックの奥には絶対に……絶対に妹に見せられない『何か』が隠されてる!」
(っ……! この妹たちの勘の鋭さは本当に異常だ……!)
喉の奥に固形物が詰まったような感覚を覚えながら、俺は冷や汗を必死で押し殺して味噌汁を啜った。
その時、俺の右隣から静かに近づいてきたのは、三女の愛海だった。
「お、お兄様……。私……お兄様の首元を温めるために、温かい蒸しタオルをお持ちしました……。ですから、そのお洋服のボタンを……解いていただけますか……?」
愛海は大きな両手で、湯気の立ち上るタオルを大切そうに抱えながら、湿り気を帯びた瞳で俺を見上げてくる。その愛くるしい表情の裏には、「お兄ちゃんの不審な点をすべて剥ぎ取りたい」という強い束縛の意思が宿っていた。
「あ、ありがとう愛海……! でも本当に大丈夫だ! タオルは自分でやるから!」
「ダメ!!」
愛陸がバンとテーブルを叩いて立ち上がった。
「そこまで頑なに拒むなんて余計に怪しい! 愛空、愛海! お兄ちゃんを押さえつけなさい! 今すぐ首元のホックを解除して検分するわよ!」
「了解! お兄ちゃん、大人しく年貢の納め時だよ!」
「お、お兄様……お許しください……! 私、お兄様の秘密を知りたいんです……!」
「待て! やめろお前たち! 飯の最中に何やってんだ!!」
突如として巻き起こった、我が家の不毛な捕獲劇。
愛陸が前から俺の手首を掴み、愛空が後ろから肩を抱きすくめ、愛海が必死に俺の制服の裾を引く。三人の小柄な妹たちによる怒涛の連携プレイに、俺は絶体絶命の危機に陥っていた。
(まずい……! ホックを外されたら、瑠愛のつけたキスマークが一発でバレる……! そうなったら今度こそ妹たちが暴走して、瑠愛に危害が及ぶかもしれない……!)
俺が全身の筋肉に力を込め、必死で抵抗していたその時――。
ピコン、とポケットの中でスマホが小さく通知音を奏でた。
「……ん? お兄ちゃん、スマホ鳴ったよ?」
愛陸が眉根を寄せ、拘束する力をわずかに緩めた。その隙を逃さず、俺は手首を振りほどいてスマホを取り出した。
画面に表示されたのは、涼風瑠愛からのメッセージ。
『……黒木くん、おはよう。もう家の近くの角で待ってる。……首元の痕、妹さんたちに見つかってない……?』
「っ……!」
そのメッセージを見た瞬間、昨日の放課後の濃密な記憶が脳裏に蘇った。
俺の膝の上に乗り、萌え袖の手を首元に回し、甘い吐息を漏らしながら唇を重ねてきた彼女の姿。
「お前たち! 俺はもう学校に行く! 鍵の施錠は頼んだぞ!」
「あっ! 逃げた! お兄ちゃん待ちなさいってば!!」
「追いかけるよ愛陸姉ぇ! 愛海、靴履いて!」
俺は妹たちの制止の声を振り切り、鞄をひっつかむと、弾かれたように玄関から脱出したのだった。
◇◇◇
通学路の曲がり角。
朝の清々しい空気が漂うブロック塀の影に、彼女は立っていた。
涼風瑠愛。
朝日を浴びてキラキラと輝く細い髪。ダボついた制服の萌え袖を前でキュッと握りしめ、琥珀色の瞳を不安そうに揺らしている。
俺の姿を捉えた瞬間、彼女の表情がパッと華やかに華やいだ。
「……黒木くん!」
瑠愛は足音もなく駆け寄ってくると、そのまま俺の胸元へと飛び込んできた。
距離にして、ゼロ**センチ**。
「っ……! 瑠愛、誰かに見られる――」
「……嫌。……無事で、よかった……」
瑠愛は俺の学ランの生地を萌え袖の手できつく掴むと、首元のガチガチに留められたホックをそっと指先で撫でた。
「……ちゃんと、隠してくれたんだね……。私の……痕跡……」
「隠さないと家を出られなかったんだよ……。今朝も妹たちに囲まれて、危うく剥ぎ取られるところだったんだからな」
俺が苦笑いしながら呟くと、瑠愛は耳たぶをぽっと朱色に染め、上目遣いで俺を見つめ返した。
「……ふふ。……妹さんたちに、見られなくて……残念な気もするけど……」
「おいおい……」
「……でも、黒木くんが私のために必死で隠してくれたのは……すごく、嬉しい」
瑠愛はつま先立ちになると、俺の耳元へ唇を近づけ、甘く湿った吐息を吹きかけてきた。
「……ねぇ、黒木くん。……今日の放課後も……あの資料室で……上書き、させてね……?」
「っ……」
学園の「氷の姫君」が魅せる、あまりにも直球で甘い束縛。
角の向こうからは、俺を追いかけてくる三つ子の妹たちの騒がしい足音が聞こえ始めていた。
過保護な妹たちの密着包囲網と、一線を越えて甘さを増す瑠愛との「秘密の放課後」。二つの熱量に挟まれながら、俺の青春はどこまでも過熱していくのだった。




