第三十七話:宵闇の痕跡と、秘密の帰路
資料室の窓の外は、すでに濃紺の宵闇に包まれていた。
窓硝子を透かして差し込む街灯の頼りない光だけが、二人の重なり合う影を薄暗い床の上に浮かび上がらせている。
「……ん……っ……」
何度目かの口づけが離れた瞬間、涼風瑠愛の口元から甘い吐息が漏れた。
俺の膝の上に跨がるように腰掛けたまま、彼女は萌え袖に包まれた両手を俺の胸元にギュッと押し当て、肩を小さく上下させて息を整えている。琥珀色の瞳はとろりと潤み、耳たぶどころか首筋までが熱い朱に染まっていた。
「……瑠愛……。もう、こんな時間だ……」
俺が低く囁くと、瑠愛は萌え袖の先端で俺の下唇をちょんちょんと優しく撫でてきた。指先を通して伝わる彼女の体温は、驚くほど熱い。
「……嫌。……もう少し……このままで、いたい……」
「気持ちは嬉しいけどな……本気で夜になっちまう。妹たちも……心配してまた捜索隊を出すかもしれないし」
「……妹さんたちの話……今は、しないで」
瑠愛は少し拗ねたように眉根を寄せると、俺の首元に額をごしごしと擦り付けた。
距離にして、ゼロ**センチ**。
「……黒木くんの……バカ。私のこと……こんなに甘やかすから……私、どんどん我儘になっちゃうのに……」
「我儘なんて言った覚えはないぞ。俺だって……瑠愛といる時間は、特別なんだから」
そう言って俺が彼女の華奢な背中をそっと抱きしめ返すと、瑠愛の体が嬉しそうにぴくりと跳ねた。
「……ずるい。そういうこと……サラッと言うの、反則……」
瑠愛はゆっくりと顔を上げると、自分の制服の襟元を萌え袖で小さく整えた。だが、その動作の途中、彼女はふと何かを思い出したように動きを止め、俺の顔を至近距離で凝視してきた。
「……ねぇ、黒木くん」
「ん? どうした?」
「…… mirror(鏡)……ある……?」
「鏡? スマホのインカメラならあるけど……」
俺がスマホを取り出そうとすると、瑠愛は萌え袖の手で俺の手首をキュッと制した。そのまま、彼女は自分のスマホを取り出し、画面を鏡代わりに俺の首元へと向けた。
「……見て」
「え……?」
画面に映し出された自分の首元を見て、俺は息をのんだ。
制服の第一ボタンを外した俺の喉仏のすぐ下に、小さく淡い赤紫の痕跡が残っていたのだ。
「っ……!? 瑠愛、これ……!」
「……さっき。……黒木くんが……夢中になってる時に……つけちゃった……」
瑠愛は照れを隠すように上目遣いで俺を見つめながら、口元に悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「……これで、帰ったら……妹さんたちにも、わかるよ。……黒木くんが……誰のものか」
(や、ヤバすぎるだろこれ……!!)
「瑠愛お前……! これ妹たちに見られたら、本当にただじゃ済まないぞ!? 愛陸は絶叫するし、愛空は尋問を始めるし、愛海なんて本気で泣き出すぞ……!」
「……いいの。……本当のこと、だもん」
瑠愛は満足そうに小さく胸を張ると、ようやく俺の膝の上から降りて、トントンと制服のスカートを払った。
「……さ、帰ろ。……一緒に、校門まで行こ?」
「……第一ボタンしっかり留めて、学ランの襟を立てて帰るよ……」
俺が冷や汗を拭いながら立ち上がると、瑠愛は嬉しそうにくすくすと笑い、俺の萌え袖の手をしっかりと握り締めてきた。
◇◇◇
静まり返った旧校舎の階段を下り、二人は夜の帳が降りた校庭へと踏み出した。
街灯の光がぽつり、ぽつりと点在する夜の校内。昼間の喧騒が嘘のように静まり返った空間で、重なり合うふたつの足音。
誰にも見られない夜の通学路。
瑠愛は俺のポケットの中に自分手を滑り込ませ、恋人繋ぎの形で指を固く絡めてきた。
「……黒木くん」
「ん?」
「……私、明日からも……『芳香剤の匂い』の女の子で……いてあげる」
「からかうなよ……。あの言い訳を思いつくだけで寿命が三年縮んだんだからな」
「ふふ……でも、嘘じゃないでしょ? 私の匂い……黒木くんに、たくさんついてるもん」
瑠愛は俺の肩に、自分の頭をちょこんと預けてきた。
歩くたびに伝わる彼女の柔らかい熱と、夜風に乗って漂う甘いシャンプーの香り。
首元の痕跡という爆弾を抱えながらも、俺の心は彼女への愛おしさで満たされていた。
◇◇◇
我が家の玄関の前。
「……じゃあ、ここでお別れだね」
瑠愛が名残惜しそうに指を解いた。距離にして、**あと三センチ**。
「ああ。瑠愛、気をつけて帰れよ」
「うん。……あ、黒木くん」
瑠愛は去り際、つま先立ちになると、俺の頬にチュッと素早い口づけを贈った。
「……お家に入ったら、LINEしてね。……おやすみ、私の黒木くん」
朱色に染まった顔を隠すように萌え袖で口元を覆い、彼女は夜の住宅街へと駆け去っていった。
その後ろ姿を見送り、俺は深く深呼吸をしてから、覚悟を決めて我が家の扉を開けた。
ガチャリ。
「……ただいま」
「おかえりなさい、お兄ちゃん!!!!」
扉を開けた瞬間、居間から猛スピードで飛び出してきた愛陸、愛空、愛海の三つ子たち。
「遅いよ! 芳香剤の掃除にどんだけかかってんのさ!」
「お兄ちゃん! 愛空ちゃんが首元を検分してあげるから、ちょっと上着脱ぎなさい!」
「お、お兄様……おかえりなさいませ……!」
首元のボタンを一番上まで固く留め、学ランの襟を立てた俺を、過保護な妹たちの鋭い視線が包み込んでいく。
瑠愛との甘く危険な「秘密の放課後」と、過保護な妹たちとの過熱する日常。俺の第二部は、ますます激しい熱量を帯びて加速していくのだった。




