第三十五話:放課後の逃走劇と、重なる密約
「待ちなさいってお兄ちゃん!!」
「逃がさないよ! 愛空ちゃんの特製お兄ちゃんレーダーからは逃げられないんだから!」
旧校舎へと続く長廊下。
夕暮れの朱色の光が斜めに差し込む廊下を、俺は鞄を抱えて猛ダッシュで駆け抜けていた。背頭からは、愛陸の叫び声と愛空のけたたましい足音、そして「お、お兄様ぁ……!」という愛海の悲痛な悲鳴が追いかけてくる。
(マジで縄を持って追いかけてきてんのかよ!? 我が家の妹たちの過保護ぶり、完全に歯止めが効かなくなってきてるぞ……!)
曲がり角を曲がるたびに足音を殺し、壁の影に隠れて息を潜める。だが、愛空の恐ろしいまでの「お兄ちゃん察知能力」により、居場所がすぐに特定されてしまう。
(まずい……このままじゃ旧第一資料室まで辿り着く前に捕まる。そうなったら、部屋の鍵を閉めて待っている瑠愛と……!)
ポケットの中でスマホが激しく震えた。
画面を盗み見ると、涼風瑠愛からの連続メッセージ。
『……黒木くん、まだ?』
『……外、なんだかすさまじい足音が聞こえるけど……まさか妹さんたち?』
『……早く入ってきて。鍵、開けておくから……飛び込んできて!』
「よし……一発勝負だ!」
俺は意を決すると、追っ手を引きつけるようにあえて大きな足音を立てて廊下の角を曲がり、旧第一資料室の重厚な木製扉の前へと滑り込んだ。
「あ! いた! お兄ちゃん捕ま――」
角から愛陸が飛び出してきた瞬間、俺は扉のノブを押し込み、一気に室内へと飛び込んだ!
「瑠愛、閉めろ!!」
「っ……うん!」
待ち構えていた瑠愛が、俊敏な動作で扉をバタンと叩きつけ、真鍮の鍵をカチャリと回転させた。
ガチャン!!
「えっ!? ちょっと、鍵かかったんだけど!?」
「お兄ちゃん!? 中に誰かいるの!? 開けなさいよー!!」
ドアの向こうからバンバンと激しく扉を叩く音と、妹たちの叫び声が響き渡る。だが、旧校舎の分厚い木製扉は、外からの力ではびくともしない。
「ハァ……ハァ……っ! た、助かった……」
俺は扉に背中を預けたまま地べたに座り込み、大きく息を吐き出した。
「……ふふ。大騒ぎだね」
頭上から聞こえた可憐な音。
見上げると、そこには萌え袖の手を前で組み、琥珀色の瞳を悪戯っぽく輝かせた瑠愛が立っていた。
夕暮れの朱光が彼女の繊細な黄金色の髪を透かし、神秘的なシルエットを描き出している。彼女はゆっくりと屈み込み、座り込んでいる俺の顔面へと顔を近づけてきた。
距離にして、わずか三センチ。
「……無事に、私のところへ逃げてきてくれたね……黒木くん」
「瑠愛……鍵、ナイス判断だった……」
「ん……当然だよ。……だって、今日の放課後は……誰にも邪魔されたくなかったんだもん」
瑠愛は微かに口元を緩めると、萌え袖の先端で俺の頬に触れ、そのまま優しく撫でた。
「おい、お兄ちゃん!! 中にいるの誰なの!? まさか本当に女子なんじゃないでしょうね!?」
ドアの向こうから愛陸の激しい詰問が飛んでくる。
「愛空ちゃんの鼻は誤魔化せないよ! ドアの隙間から、あの甘いシャンプーの香りがプンプン漂ってきてるもん!」
「お、お兄様……! なかで何をお召し上がりになられているのですか……! 私の卵焼きを……!」
愛海の泣きそうな声まで聞こえてくる。冷や汗が止まらない俺に対し、瑠愛は至って冷静……いや、むしろどこか楽しげですらあった。
「……ねぇ、黒木くん」
瑠愛は耳たぶをぽっと朱色に染めながら、俺の耳元へと顔を寄せた。湿り気を帯びた熱い吐息が肌をかすめる。
「……外に、妹さんたちがいるのに……ここで密会してるの、すごく……ドキドキする……」
「おいおい……聞こえたらどうするんだよ」
「聞こえないよ……声を小さくすれば」
瑠愛は膝立ちになると、俺の太ももの上にちょこんと腰を下ろしてきた。
「っ……!? 瑠愛、重なってる……!」
「いいの。……これが、遅れてきた『おしおき』だから」
彼女の華奢な体が、俺の胸板にすっぽりと収まる。
密着する体温。服越しに伝わる彼女の急速に打つ鼓動。
ドアのすぐ向こうには、俺を探し回る過保護な三つ子の妹たちがいる。見つかれば一発アウトという極限の緊張感の中、俺と瑠愛の「秘密の放課後」は、かつてないほど濃密な熱を帯びていくのだった。
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