第三十四話:解けぬ拘束と、放課後の包囲網
「……ん……っ……」
屋上へと続く階段の踊り場。
眩しい昼の陽光が窓から差し込む閉ざされた空間で、俺と涼風瑠愛の二人の体は、隙間なく重なり合っていた。
俺の胸板にぴったりと体を押し当て、萌え袖に包まれた細い腕を俺の首元に回したまま、瑠愛は微かな息を吐き出している。彼女の小柄な体躯から発せられる熱気が、俺の制服の生地を通して直接肌へと伝わってきた。
「……瑠愛、そろそろ昼休みが終わるぞ……。チャイムが鳴る」
「……嫌。……まだ、離さない……」
耳元で囁くように漏らされた可憐な声。
瑠愛は萌え袖の先で俺の後頭部をぎゅっと引き寄せ、自分の額を俺の首元に擦り付けてきた。彼女の黄金色の髪が揺れるたび、シャンプーの甘い香りが鼻腔を直接刺激し、俺の思考回路を痺れさせていく。
「……言わないと、離さないって……言ったでしょ……?」
「っ……」
「『瑠愛が一番好きだ』って……言ってくれないと……私、このまま授業ボイコットする……」
「おいおい、学園一の優等生が何を言ってるんだ……」
「優等生なんか……どうでもいい。……黒木くんが……私だけのものにならないなら……何もいらない……」
琥珀色の瞳を湿らせ、上目遣いで射抜いてくる彼女の視線。
かつて誰も寄せ付けず「氷の姫君」と呼ばれていた頃の冷酷な面影はどこにもない。そこにあるのは、俺という存在に深く、深く溺れ、甘い執着に身を焦がす一人の少女の素顔だった。
(駄目だ……この顔に抗える男なんて、この世に存在しない……!)
俺は諦めたように溜息を吐き出すと、彼女の華奢な腰に手を回し、さらに力強くその体を抱き寄せた。
「……わかったよ。……瑠愛が一番好きだ。……だから、もう不安になるな」
「っ……!」
言葉を口にした瞬間、瑠愛の肩が跳ねるように震えた。
彼女の耳たぶどころか、真っ白なうなじまでが瞬く間に朱く染まっていく。瑠愛は俺の胸元に顔をごしごしと擦り付け、嬉しさを噛み殺すように小さな呻き声を漏らした。
「……ん。……言わせた……。ふふ……言わせちゃった……」
「満足したか……?」
「……ううん。全然後悔してない。……むしろ、毎日言わせたい……」
キーンコーンカーンコーン――。
予鈴のチャイムが校内に響き渡る。
瑠愛は名残惜しそうに、けれど満足気な笑みを口元に浮かべながら、ゆっくりと俺の首元から手をほどいた。距離にして、あと三センチ。
「……放課後。……絶対、旧第一資料室に来てね」
「ああ、約束する」
「……遅れたら、また……おしおきだから」
瑠愛は制服の萌え袖を口元にあて、妖しく甘い微笑を残して、足音もなく階段を下りて行ったのだった。
◇◇◇
だが、放課後を迎えた俺を待っていたのは、想像を遥かに超える非常事態だった。
キーンコーンカーンコーン――。
5時間目の終業チャイムが鳴り響いた瞬間。
「逃がさないわよ、お兄ちゃん!!」
「今日こそは絶対に誤魔化されないんだから!」
バァン!!と勢いよく2年B組の前扉と後扉が同時に開け放たれた。
前扉には短めの黒髪をなびかせ、仁王立ちで威嚇する長女の愛陸。
後扉には波打つロングヘアを揺らし、妖しい笑みを浮かべた次女の愛空。
完全なる挟み撃ち。クラスメイトたちは「またか……」と慣れた手つきで速やかに教室から退出していく。
「待て待て、お前たち! 部活や委員会はどうしたんだよ!」
「そんなの全部、副部長と後輩に押し付けてきたに決まってんでしょ!」
愛陸がずかずかと踏み込んできて、俺の机を両手でバシッと叩いた。
「昼休みに『お腹が痛い』とか言って逃げ出した時点でアウトよ! 愛空の嗅覚によると、お兄ちゃんが戻ってきた時の匂い……さらに甘いシャンプーの香りが濃くなってたんだから!」
「そうだよお兄ちゃん!」
愛空が後ろから忍び寄り、俺の肩を両手でがっしりと掴んできた。
「お兄ちゃん、昼休みの間にあの『氷の姫君』と屋上の階段で何やってたの!? 愛空ちゃんの『お兄ちゃん追跡ネットワーク』を舐めないでよね!」
(ネットワークってなんだよ! どこから漏れてんだ!?)
背中に冷や汗が噴き出す。
その時、教室の廊下側からトコトコと控えめな足音が近づいてきた。三女の愛海だ。彼女は両手で大事そうに、大きな折りたたみ式の紐付き袋を抱えている。
「あ、あの……お兄様……。お兄様が二度とどこかへ行かれてしまわないように……私、お家から……縄を持ってまいりました……」
「縄を持ってくるな!!」
思わず叫んでしまったが、状況は絶体絶命だった。
(まずい……このままだと、愛陸たちに挟まれたまま強制連行される! そうなったら、資料室で待っている瑠愛との約束を破ることになる……!)
約束を破れば、瑠愛がどんな暴走を起こすか分からない。何より、あの甘く一途な彼女を裏切ることだけは、俺のプライドが許さなかった。
ポケットの中で、スマホが「ブブッ」と揺れる。
画面を盗み見ると、瑠愛からのメッセージ。
『……資料室で、鍵を閉めて待ってる。早く、来て……』
「……っ!」
俺は一瞬の隙を突き、愛空の手を払いのけると、机を飛び越えて窓際の通路へと着地した!
「なっ!? お兄ちゃん!?」
「逃げた! 愛陸姉ぇ、追って!」
「愛海も行きます……お兄様を縛るために……!」
「誰が縛られるか!!」
俺は鞄を掴むと、脱兎のごとく教室を飛び出し、旧校舎の資料室へと向かって猛ダッシュを開始したのだった!




