第三十三話:緊迫の昼休みと、甘い非常事態
「……ちょっとお兄ちゃん、さっきから昼食に全く手がついてないじゃない!」
昼休みの喧騒が響く2年B組の教室。
俺の机の前に仁王立ちし、バンと激しく音を立てて身を乗り出してきたのは、長女の愛陸だった。短めの黒髪を激しく揺らし、愛くるしい顔をこれでもかと歪めて俺を詰問してくる。
「今朝のあれは何だったの!? あの『氷の姫君』こと涼風瑠愛さんと、なんであんなに親密そうな雰囲気を出してわけ!?」
「だから言ったろ、朝も説明した通り偶然通学路で出会っただけだって……」
「嘘おっしゃい!」
間髪いれずに割って入ってきたのは、次女の愛空だ。波打つロングヘアをなびかせ、俺の左隣の空き席に勝手に腰を下ろすと、妖しげな瞳でじっと俺の顔面を凝視してくる。
「お兄ちゃんの顔、朝からずーっと緩みっぱなしなんだよ? 愛空ちゃんの『お兄ちゃん観測データベース』によると、これは絶対に女子と何か決定的なハプニングがあった時の表情なの!」
(どんなデータベース作ってんだよ……!)
俺は冷や汗を拭いながら、自分のお弁当箱へと視線を落とした。
その時、右側から控えめな気配が近づき、三女の愛海がそっと俺の袖口を引いた。オーバーサイズの制服に身を包んだ彼女は、湿り気を帯びた瞳で俺を見上げてくる。
「あ、あの……お兄様……。私、お兄様のために……特製の卵焼きを作ってきたんです……。だから……涼風さんのことなんて忘れて、私の卵焼き……食べてくださいますか……?」
「あ、ありがとう愛海。いただくよ……」
「ちょっと愛海! ズルいよ一人だけ点数稼ぎして! お兄ちゃん、私のおかずも食べなさい!」
「愛空ちゃんの特製ハンバーグもあげる! だから涼風さんのシャンプーの匂いを上書きするの!」
教室の中央で繰り広げられる、過保護な三つ子の妹たちによる凄まじい奪い合い。クラスメイトたちの「また始まったか」という半ば呆れた視線が刺さる。
だが、俺の心臓を本当に跳ねさせていたのは、妹たちの追及ではなかった。
ポケットの中で、スマホが「ブブッ」と小さく震えたのだ。
誰にも見えないよう、机の下で慎重に画面を点灯させる。
差出人は――涼風瑠愛。
『……お弁当、妹さんたちに食べさせられてるの?』
(っ……! なんで知ってるんだ!?)
思わず周囲を見渡すが、教室内に彼女の姿はない。彼女の教室は隣のA組だ。
すぐさま次のメッセージが届く。
『……A組の廊下側の窓から、見えてる。……私という存在がありながら、他の女子(妹でも)に囲まれて楽しそう……』
『……すごく、不機嫌』
『今すぐ、屋上への階段の踊り場に来て。……5分以内に来なかったら、教室まで乗り込むから』
「っ……!!」
背筋に猛烈な寒気と熱量が同時に駆け抜けた。
朝の通学路で、あれほど可憐に手を繋いできた彼女が、いま完全に嫉妬の炎を燃やしている。しかも「教室まで乗り込む」という言葉が、今の彼女なら冗談に見えない。
もし涼風瑠愛がB組に殴り込んできたら、三つ子との全面戦争になり、俺たちの「秘密の放課後」どころか学園生活全体が崩壊する!
「ごめんお前たち! ちょっと腹が痛くなってきたからトイレ行ってくる!」
「えっ!? お兄ちゃん待ちなさいよ!」
「愛空ちゃんもついていくー!」
「お、お兄様、お薬持ってきます……!」
「来なくていいから!!」
俺は妹たちの制止を振り切り、猛スピードで教室を飛び出した。
◇◇◇
「ハァ……ハァ……っ!」
校舎の最上階、屋上へと続く鉄製の扉の前。普段は施錠されていて誰も来ない踊り場へと駆け上がる。
朱色の西日が入る夕方とは違い、昼間の階段は眩しい陽光が差し込んでいた。
その光の中に、ポツンと佇んでいたのは――。
萌え袖の手を前で組み、不機嫌そうに爪先で床をトントンと叩いている瑠愛だった。
「……遅い。4分50秒」
「ギリギリセーフだろ……! 瑠愛、なんでこんな突然――」
言いかけた瞬間、瑠愛は足音もなく距離を詰め、俺の胸元へ飛び込んできた。
ドサリ、と踊り場の壁に背中が当たる。
「っ……瑠愛!?」
「……バカ。……黒木くんのバカ……」
瑠愛は俺の制服の生地を両手できつく握りしめ、胸に顔をうずめてきた。萌え袖越しに伝わる彼女の小さな体温と、急速に打つ鼓動。
距離にして、ゼロセンチ。
「……妹さんたちに、デレデレして……。私のこと……朝、あんなに甘やかしたくせに……」
「デレデレなんてしてない! 愛陸たちが勝手におかずを押し付けてきただけで――」
「嫌なの……!」
瑠愛が勢いよく顔を上げた。
耳たぶまで真っ赤に染まった顔。琥珀色の瞳には、今にも溢れ出しそうな湿り気が宿っていた。
「……私だけの、黒木くんでいてほしいの。……妹さんでも、私以外の女子に優しい顔、しないで……」
「瑠愛……」
学園の誰もが立ち入れない「氷の姫君」の完璧な面皮は、完全に剥がれ落ちていた。そこにあるのは、俺という存在に狂おしいほど執着し、嫉妬に震える一人の可憐な少女の素顔だった。
瑠愛はつま先立ちになると、自分の唇を俺の耳元へと近づけた。
「……おしおき。……昼休みが終わるまで、ここで……私を抱きしめてて」
「っ……」
「抱きしめて……『瑠愛が一番好きだ』って……囁いてくれないと……放してあげない……」
萌え袖の小さな手が、俺の首元に回される。
下の階からは、俺を探す愛陸たちの足音が微かに響いていた。
けれど、いま俺の腕の中にいる彼女の圧倒的な熱量と、甘い甘えに、俺の理性は静かに崩壊していくのだった。
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