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放課後、空き教室の3センチ  作者: 三日月
第一部 三章:③秘密の隙間と、冬の予感
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第二十九話:破られた平穏と、非常階段の密約

「お兄ちゃん、逃がさないよ!」


キーンコーンカーンコーン――。


終業を告げるチャイム(打鐘)が校内に響き渡った瞬間、俺の教室の前扉(まえとびら)が盛大に開け放たれた。


立っていたのは、腕を組んで仁王立ちする長女の愛陸(あいり)と、その後ろで妖しげな笑みを浮かべる次女の愛空(あいら)だ。クラスメイトたちの「またか……」という生暖かい視線(まなざし)が、一斉に俺へと注がれる。


「さあお兄ちゃん、今日は一緒に帰る約束でしょ! ほら、カバン持って!」


愛陸がずかずかと踏み込んできて、俺の手首をガシッと掴む。その力強さは、とても小柄(こがら)な女子高生のものとは思えない。


「待てって愛陸、まだ帰りのHR(ホームルーム)終わったばかりだろ。それに俺、今日は図書室で借りた本の返却が――」


「嘘だね!」


愛空がすかさず割り込んできた。波打つ(なみうち)ロングヘアをなびかせ、俺の顔を至近距離で覗き込んでくる。


「お兄ちゃん、今日のお昼休みに図書室行って本返してたでしょ? 愛空ちゃんの『お兄ちゃん観察日記』にバッチリ記録されてるんだから!」


(……監視網が完璧すぎるだろ……!)


冷や汗が背中を伝う。ポケットの中では、15分前に届いていた涼風瑠愛(すずかぜるあ)からのメッセージが重く感じられた。


『今日、放課後……10分遅れたら、おしおきだからね』


(まずい……このままだと、おしおき云々の前に瑠愛を待たせることになる。それどころか妹たちに現場を押さえられたら終わりだ……!)


その時、教室の後ろの扉から、ひょっこりと三女の愛海(まなみ)が顔を出した。両手に大きな紙袋(かみぶくろ)を抱えている。


「あ、あの……お兄様……。愛陸姉ぇ、愛空姉ぇ……。先生が、生徒会室で部活の予算申請書を出してほしいって……」


「えっ、今!? なんで私たちが……」


「愛陸姉ぇたちが、今日提出期限の書類を出し忘れてたみたいで……先生、すごく怒ってました……」


愛海が恐縮そうに首をすくめる。その隙を、俺は見逃さなかった。


「よし! 愛陸、愛空、先生を待たせるのは良くないぞ! 俺は荷物をまとめて下駄箱で待ってるから、先に行ってこい!」


「えー……本当? 逃げない?」


「逃げるわけないだろ! ほら、早く行かないと愛海が困ってるぞ」


俺は半ば強引に二人の背中を押し、生徒会室のある特別棟へと向かわせた。最後に愛海が「お兄様、お気をつけて……」と意味深(いみしん)な囁き(ささやき)を残していったが、今は深く考えている余裕はない。


「よし……今のうちに!」


俺は鞄を掴むと、旧第一資料室《きゅうだいいちしりょうしつ》へと向かって校舎の廊下を駆け出した。


◇◇◇


「ハァ……ハァ……っ!」


階段(かいだん)を駆け上がり、旧校舎の静まり返った廊下へと滑り込む。


時計の針は、放課後のチャイムからすでに12分を指していた。約束の時間を2分オーバーしている。


ギシ、と音を立てて木製(もくせい)の扉を開ける。


夕日の朱色(しゅいろ)に染まった室内。部屋の中央で、木製机(もくせいつくえ)に腰掛けた瑠愛が、じっと扉の方を見つめていた。


制服の萌え袖(そで)から覗く細い指先が、自分の膝の上で規則正しくトントンと時(とき)を刻んでいる。


「……遅い」


氷のように冷たい声。だが、その琥珀色(こはくいろ)の瞳の奥には、どこか焦燥(しょうそう)と寂しさが滲んでいた。


「すまん……! 妹たちを撒くのに手間取って……」


「ふーん……妹さんたち、ね」


瑠愛は机からゆっくりと降り(おり)、足音(あしおと)を立てずにこちらへ歩み寄ってきた。


夕暮れの光が彼女の長い髪を透かし、黄金色(こがねいろ)の輪郭を描き出す。学園一の美少女と称されるその姿は、いつ見ても息をのむほど美しい。


彼女は俺の胸元(むなもと)まで近づくと、ぴたりと足を止めた。距離にして、**あと三センチ**。


「……言い訳は、いいの」


「瑠愛……?」


「約束……破ったでしょ。2分、遅刻」


瑠愛は上目遣い(うえめづかい)で俺を見つめると、萌え袖(そで)で包まれた小さな手を伸ばし、俺の制服のネクタイをキュッと引っ張った。


グイッと体勢を崩され、俺の顔が彼女の顔へと近づく。


「……昨日の写真、見た?」


「っ……見たよ。あれは、反則だろ……」


「ふふ……反則じゃないよ。私の……本当の気持ちだもん」


瑠愛の微(かす)かな吐息(といき)が、俺の唇(くちびる)をかすめる。彼女の髪から漂う甘い香りが、一瞬で頭を麻痺(まひ)させていく。


「ねぇ、黒木くん。……ここじゃ、落ち着かない」


「え……?」


「妹さんたち……ここまで探しに来るかもしれないでしょ? だから……場所、変えよ」


瑠愛はネクタイを引いたまま、俺を廊下の奥へと引っ張っていく。


たどり着いたのは、旧校舎の最果てにある非常階段(ひじょうかいだん)の踊り場だった。普段は誰も立ち入らない、完全に死角(しかく)となった狭隘(きょうあい)な空間。


鉄製の扉(とびら)が重い音を立てて閉まり、外の雑音が完全に遮断される。


「……ここなら、誰にも邪魔されない」


瑠愛は扉に背を預けると、自分から俺の手首を掴み、その懐(ふところ)へと俺を引き込んだ。


「あっ――」


ドサリと、壁に押し付けられる感触。俺は咄嗟に彼女の頭の両脇に手を突き、かろうじて押し潰すのを防いだ。


だが、それによって二人の体は隙間(すきま)なく密着することになった。


「瑠愛、近すぎる……!」


「……いいの。これが……おしおきだから」


瑠愛は俺の胸に顔をうずめ、きゅっと服の生地を握りしめた。薄い(うすい)制服越しに、彼女の高鳴る(たかなる)鼓動(こどう)がそのまま俺の体に伝わってくる。


「……妹さんたちに、嫉妬……した」


小さな、けれどはっきりとした囁き(ささやき)。


「黒木くんが……私の知らないところで、他の女の子に囲まれてると思うと……胸が、苦しくなるの」


「瑠愛……愛陸たちは、妹だぞ……?」


「知ってる……。でも、嫌なの。……私だけに、優しくしてほしい。私だけを……見てほしいの」


無表情(むひょうじょう)だったはずの氷の姫君が、俺の胸の中で壊れそうなほど切なく(せつなく)身を震わせている。


「……黒木くん」


瑠愛が顔を上げた。耳たぶ(みみたぶ)まで真っ赤に染まった顔。潤んだ(うるんだ)瞳が、至近距離で俺の目を見つめ返す。


その距離、わずか**一センチ**。


「……あとの三センチ、埋めて……」


言葉にならない熱が、二人の隙間(すきま)を埋めていく。


外では妹たちが俺を探しているかもしれない。明日になればまた、賑やかで騒がしい(さわがしい)日常が戻ってくる。


けれど今、この閉ざされた非常階段の踊り場だけは、誰にも引き裂けない二人だけの領域(りょういき)だった。


二人の影(かげ)が夕日に溶け合い、静かに重なっていくのだった。

最後までお読みいただきありがとうございました!


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