第二十八話:過熱する視線と、密かな包囲網
「……ちょっと、お兄ちゃん。さっきから様子がおかしくない?」
夕食の食卓。三つ子の長女・愛陸が、箸をピタリと止めて俺の顔を覗き込んできた。
我が家のダイニングテーブルは、今日も今日とて賑やか……というよりは、俺を中心とした過剰な護衛体制が敷かれていた。
「なにがだよ。普通にハンバーグ食ってるだけだろ」
「ウソだね! お兄ちゃん、さっきからハンバーグを一口運ぶたびに、時計チラチラ見たり、スマホの画面に視線送ったりしてるもん!」
鋭い指摘を飛ばしながら、愛陸は自分の皿にあった大きなエビフライを俺の皿へポンと移してきた。
「ほら、お兄ちゃんの大好物あげるから。……だから、隠し事はナシ! 今日の放課後、本当に資料室の片付けだけだったの?」
「だーかーら、そう言ってるだろ。棚の整理が長引いただけだって」
「怪しいなぁ……」
向かい側に座っていた次女の愛空が、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら身を乗り出してくる。彼女の波打つロングヘアがふわリと揺れた。
「お兄ちゃん、誤魔化そうとしても無駄だよ? 愛空ちゃんの『お兄ちゃんレーダー』は誤魔化せないんだから。さっき上着から香ったあの匂い……絶対に女子高生の人気ブランドの香水か、フローラル系のシャンプーの香りだったもん」
(……鋭すぎるだろ、愛空……!)
俺は心の中で冷や汗をかいた。瑠愛が使っている甘いシャンプーの香りが、まさかそこまで残っていたとは。
「お、お前たちの過保護ぶりには参るよ。俺ももう高校生なんだから、友達と放課後に残ることくらい――」
「友達、ねぇ……?」
愛空は瞳を細め、フォークで自分のハンバーグを突いた。
「男子生徒なら別にいいんだよ? でも、もしお兄ちゃんに悪い虫……ううん、お兄ちゃんを誘惑しようとする狐みたいな女が寄ってきてたら、私たち妹として放置できないもん」
「狐って……お前、言葉を選べ」
「だって本当だもん! お兄ちゃんは無防備で優しすぎるから、すぐ変な女子に騙されちゃうんだよ! ねー、愛海もそう思うでしょ!?」
愛空に振られた三女の愛海は、俺の隣で大人しくお味噌汁を飲んでいたが、名前を呼ばれるとびくっと肩を揺らした。
「あ……えっと……。私、は……」
愛海は大きなお碗を両手で持ち抱えたまま、上目遣いで俺をそっと見つめてくる。その瞳には、心細さと……言葉にできない強い執着が滲んでいた。
「……私は……お兄様が、遠くに行ってしまわなければ……それで……。でも……もしお兄様に特別な人ができたら……私、すごく……悲しいです……」
「愛海……」
「ほーら見なよお兄ちゃん! 愛海を泣かせたら許さないんだからね!」
愛陸がバンとテーブルを叩く。
「明日の放課後は、私たちが校門の前で待ってるから! 一緒に帰るよ!」
「はぁ!? お前ら部活とか委員会は……」
「そんなの速攻で終わらせるに決まってんでしょ! お兄ちゃんの防衛の方が何百倍も大事なんだから!」
(まずい……完全に包囲網が狭まっている……)
もし明日、本当に妹たちが校門で待ち伏せしてきたら、旧第一資料室で瑠愛と会う時間が作れなくなってしまう。何より、妹たちが資料室まで探しに来たら、瑠愛との「秘密の放課後」が一瞬で崩壊する。
俺は焦りを必死で押し殺しながら、早々に夕食を平らげ、自分の部屋へと退避した。
◇◇◇
ベッドに倒れ込み、スマホを取り出す。
なろうとカクヨムの画面を開くと、閲覧数や評価の数字が着実に伸びていた。画面の向こうで俺たちの物語を追ってくれている読者たちの存在が、今は唯一の癒やしだった。
しかし、画面を閉じようとしたその時、メッセージアプリに一通の通知が入った。
差出人は――涼風瑠愛。
『……起きてる?』
簡潔すぎる一言。だが、あの無表情な彼女が、家からわざわざメッセージを送ってきたという事実だけで、胸が速く打ち始める。
『ああ、起きてるぞ。どうした?』
送信すると、すぐに「既読」がついた。画面の向こうで彼女がスマホを握りしめている姿が目に浮かぶ。
『……なんでもない。ただ……明日のこと、念押ししようと思って』
『明日のこと?』
『……放課後。ちゃんと、資料室に来てねってこと。……妹さんたちに捕まって、来ないなんて……嫌だから』
「っ……」
画面に躍る文字から、彼女の照れと必死さがひしひしと伝わってくる。
夕方、資料室で交わした会話。妹たちへの嫉妬を隠しきれず、萌え袖で俺の服を掴んでいた彼女の姿が脳裏に蘇った。
俺は指先を動かし、返信を打ち込む。
『大丈夫だ。何があっても、必ず行く。瑠愛との約束を破ったこと、ないだろ?』
数十秒の間があった。画面の端で「入力中」のアイコンが明滅している。
やがて送られてきたのは、短いメッセージと……一枚の画像だった。
『……うん。信じてる。……これ、今日の復習』
送られてきた画像を開いた瞬間、俺は息を飲んだ。
それは、瑠愛が自分の部屋で撮影したと思われる自撮り写真だった。
薄暗い部屋の中、ベッドの上で膝を抱える瑠愛。制服の萌え袖から覗く細い指先が、自分の唇にちょこんと触れている。そして、カメラを見つめる琥珀色の瞳は、夕方の資料室で見せたのと全く同じ、熱を帯びた上目遣いだった。
写真の下に、ぽつりと添えられた一文。
『あとの’’3センチ’’……明日、埋めてね』
「……っ、瑠愛のやつ……!」
熱が頭殻へと一気に駆け上がる。
学校では誰も近づかせない冷酷な氷の姫君。それが、俺にだけ見せるこの無防備な挑発。
妹たちの猛烈な束縛と、瑠愛からの甘く危険な誘惑。
俺の高校生活は、静かな放課後どころか、とんでもない熱量で加速し始めていた。
「……絶対に、明日も資料室に行く」
画面の中の瑠愛の写真を見つめながら、俺は強く心に誓った。
あと’’3センチ’’の距離がゼロになるその時まで、俺たちの秘密の条約は、誰にも破らせない。
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