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放課後、空き教室の3センチ  作者: 三日月
第一部 三章:③秘密の隙間と、冬の予感

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第二十七話:過保護な三銃士と、静寂の残響

旧第一資料室《きゅうだいいちしりょうしつ》の扉(とびら)が、静かに閉まる。


さっきまでの濃厚(のうこう)な熱気が嘘のように、放課後の校舎(こうしゃ)は再び静寂(せいじゃく)を取り戻していた。西日はさらに角度を下げ、朱色のグラデーションが床一面に長く、長く伸びている。


「……行っちゃった、ね」


萌え袖(そで)の先端で、涼風瑠愛(すずかぜるあ)がちょんちょんと俺の袖口を引いた。密着(みっちゃく)していた体を少しだけ離し、微(かす)かに息を吐き出す。その吐息(といき)すらも、どこか甘く熱(ねつ)を帯びているように感じられた。


「……ああ。誰も入ってこなくて助かったよ」


「ん……。でも、黒木くんの心臓(しんぞう)、さっきまで鼓膜(こまく)に響くくらい……激(はげ)しかった」


「それは……急に人が近づいてきたからだろ」


「ふふ、また言い訳(いいわけ)……」


瑠愛は琥珀色(こはくいろ)の瞳を細(こま)めて、くすりと小さく笑った。その無防備(むぼうび)で愛らしい表情は、学園の誰もが知る高嶺(たかね)の花としての彼女からは想像もつかない素顔(すがお)だった。


だが、安堵したのも束の間。俺たちの平穏(へいおん)は、スマホの激しい振動(しんどう)によって打ち砕かれた。


ブブブ、ブブブ――。


ポケットの中で鳴動(めいどう)する端末を取り出す。画面に表示されたのは、我が家(わがや)が誇る過保護な三つ子(みつご)の長女、愛陸(あいり)からの通知だった。しかも、家族専用メッセージアプリの通知数が、信じられない速度でカウントアップしていく。


『お兄ちゃん! 今どこ!? もう放課後になってから1時間も経ってるよ!』

『愛空が「お兄ちゃんが校内の変な女子に捕まってるかもしれない」ってパニックになってるの!』

『愛海なんてお兄ちゃんのお弁当箱を握りしめたままフリーズしちゃってるんだからね! 早刻に帰還しなさい!』


「……うわぁ」


思わず眉根(まゆね)を寄せると、瑠愛が不審(ふしん)そうに首を傾げた。


「黒木くん……? どうしたの……?」


「いや……妹たちから、早く帰ってこいって矢(や)のような催促が……」


画面を見せるわけにもいかず、苦笑いを浮かべて濁す。しかし、瑠愛は「妹」という言葉を聞いた瞬間、ぴくりと長い睫毛(まつげ)を揺らした。


「……三つ子(みつご)の、妹さんたち……?」


「ああ。長女(ちょうじょ)の愛陸、次女(じじょ)の愛空、三女(さんじょ)の愛海。……とにかく俺に対する距離感(きょりかん)がバグってて、ちょっと目を離すとすぐ俺を甘やかす(あまやかす)か、過保護(かほご)に束縛しようとしてくるんだ」


「……へえ」


瑠愛の瞳(ひとみ)から、すっと温度が引いていく。


「……お兄ちゃん、大好きなんだね」


「大好きというか、もはや執着(しゅうちゃく)に近いよ。帰りが遅いと、校内を捜索し兼ねない勢いで……」


「……ふーん」


瑠愛は素っ気無(そっけな)く返事をすると、くるりと背を向けて、倒れていた脚梯子(きゃくばしこ)を立ち上げようとした。だが、その動きはどこか不機嫌(ふきげん)そうに見える。


「瑠愛? どうかしたか?」


「別に……。ただ、黒木くんには……家(うち)でも、可愛い(かわいい)女の子たちが待ってるんだなって……思っただけ」


「っ……」


まさか、妹(いもうと)たちに対して嫉妬(しっと)しているのだろうか。


「愛陸たちとは別に、そういう甘い(あまい)雰囲気じゃないぞ? 本当に世話(せわ)が焼けるというか、俺がしっかりしないと壊滅的(かいめつてき)なんだ」


「……でも、私といる時間より……ずっと長く、黒木くんと一緒にいるんでしょ……?」


瑠愛は脚梯子の段差(だんさ)に手を置いたまま、ぽつりと呟いた。萌え袖(そで)に隠された手が、ぎゅっと木製(もくせい)の枠を握(にぎ)りしめている。


「……私の前では、不機嫌(ふきげん)で……無愛想(ぶあいそう)にするのに。妹さんたちの前では、優しい(やさしい)お兄ちゃんなんだ……」


「そんなこと――」


ない、と言いかけて言葉(ことば)が詰まった。


確かに、俺と瑠愛の関係は『お互いに干渉しない』という不干渉条約から始まった。最初はお互いに壁を作り、不愛想な態度で接していたのは事実だ。だが、今の俺たちが「不愛想」なだけではないことなんて、彼女自身が一番よく分かっているはずだった。


「……瑠愛」


俺は彼女の背中に近づき、僅(わず)か**3センチ**の距離まで顔を寄せた。


「俺が放課後、誰にも邪魔されたくない場所(ばしょ)は……ここだけだ。瑠愛と一緒にいる時間以上に、優先(ゆうせん)したいことなんてない」


「っ……」


瑠愛の肩が、跳ねるように震(ふる)えた。


ゆっくりと振り返った彼女の頬は、夕焼け(ゆうやけ)の赤よりも濃い朱(あか)に染まっている。


「……ホントに……?」


「本当だ。愛陸や愛空、愛海は大切な家族だが……瑠愛と過ごすこの時間(じかん)は、俺にとって特別(とくべつ)なんだよ」


「……ずるい。そんな言い方……されたら、引き留められなくなる……」


瑠愛は両手(りょうて)で顔を覆い、小さな(ちいさな)呻き声を漏らした。指(ゆび)の隙間から覗く琥珀色の瞳が、湿(しめ)り気を帯びて輝いている。


「……今日は、帰ってあげて。妹さんたち……心配してるんでしょ」


「ああ。……明日も、ここで会えるか?」


「……当たり前でしょ。私が……ここに来ない日なんて、ないんだから」


瑠愛は照れくさそうに視線(しせん)を泳がせながら、小さな声でそう答えた。


◇◇◇


校門を出て、住宅街(じゅうたくがい)の道順(みちじゅん)を急ぐ。


我が家の玄関扉を開けた瞬間、突風のような勢いで三つの影(かげ)が押し寄せてきた。


「おかえりなさい、お兄ちゃん!! 遅いよ!!」


ババッと前に立ちはだかったのは、長女の愛陸(あいり)だ。短め(みじかめ)の黒髪を揺らし、ぷくっと頬を膨らませて俺を見上げる(みあげる)。


「連絡もなしに1時間遅刻なんて、お兄ちゃん(おにいちゃん)失格だよ! 私がどんだけ心配したと思ってんの!?」


「わるいわるい。ちょっと資料室の片付け(かたづけ)に手間取って――」


「言ったでしょ愛陸姉ぇ! お兄ちゃんは絶対、校内の悪女(あくじょ)に捕まってたんだって!」


間髪いれずに飛び出してきたのは、次女の愛空(あいら)だ。ウェーブ(うぇーぶ)のかかった長い髪をなびかせ、俺の制服の裾(すそ)をギュッと掴んでくる。


「お兄ちゃん、変な匂いしない!? なんか……女の子の甘いシャンプーの香りがする気がする!!」


(っ……! 鋭すぎるだろ……!)


冷や汗が背中を伝う。瑠愛とゼロ距離で抱き合っていたのだから、香りが移っていてもおかしくはない。


「き、気のせいだろ。資料室の古い(ふるい)紙の匂いだ」


「んー……? 怪しい……。私がお兄ちゃんをクンクンして検分(けんぶん)してあげるから、じっとしてて!」


「やめろ、近すぎる!」


愛空を押し留めようとしていると、奥からトコトコと控えめ(ひかえめ)な足音が近づいてきた。三女の愛海(まなみ)だ。大人しい(おとなしい)性格の彼女は、両手で大事そうに温かい(あたたかい)お茶の入った湯呑みを抱えている。


「あ、あの……お兄様……。お疲れ様です……。お茶、淹れましたので……」


「ありがとう、愛海。助かるよ」


「えへへ……。お兄様がが無事にお帰りになって……私、安心しました……」


愛海はほっと胸を撫で下ろし、天使(てんし)のような笑顔を浮かべる。しかし、その瞳の奥にはしっかりと「お兄ちゃんを誰にも渡さない」という強い意志(いし)が宿っていた。


「ちょっと愛海! 一人で点数稼ぎしないでよ!」


「そうだよ愛海! お兄ちゃんの上着(うわぎ)を脱がせるのは私の役目なんだから!」


「あ……ずるいです愛陸姉ぇ、愛空姉ぇ! 私だってお兄様のお世話を……!」


玄関先で勃発(ぼっぱつ)する、いつもの不毛(ふもう)な争い(あらそい)。


俺は妹たちの騒がしい(さわがしい)やり取りを宥めながら、ふと自分の指先(ゆびさき)を見つめた。


そこにはまだ、瑠愛の萌え袖(そで)の柔らかい感触と、あと3センチ(さんせんち)の熱が、くっきりと残っていた。

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