第二十七話:過保護な三銃士と、静寂の残響
旧第一資料室の扉が、静かに閉まる。
さっきまでの濃厚な熱気が嘘のように、放課後の校舎は再び静寂を取り戻していた。西日はさらに角度を下げ、朱色のグラデーションが床一面に長く、長く伸びている。
「……行っちゃった、ね」
萌え袖の先端で、涼風瑠愛がちょんちょんと俺の袖口を引いた。密着していた体を少しだけ離し、微かに息を吐き出す。その吐息すらも、どこか甘く熱を帯びているように感じられた。
「……ああ。誰も入ってこなくて助かったよ」
「ん……。でも、黒木くんの心臓、さっきまで鼓膜に響くくらい……激しかった」
「それは……急に人が近づいてきたからだろ」
「ふふ、また言い訳……」
瑠愛は琥珀色の瞳を細めて、くすりと小さく笑った。その無防備で愛らしい表情は、学園の誰もが知る高嶺の花としての彼女からは想像もつかない素顔だった。
だが、安堵したのも束の間。俺たちの平穏は、スマホの激しい振動によって打ち砕かれた。
ブブブ、ブブブ――。
ポケットの中で鳴動する端末を取り出す。画面に表示されたのは、我が家が誇る過保護な三つ子の長女、愛陸からの通知だった。しかも、家族専用メッセージアプリの通知数が、信じられない速度でカウントアップしていく。
『お兄ちゃん! 今どこ!? もう放課後になってから1時間も経ってるよ!』
『愛空が「お兄ちゃんが校内の変な女子に捕まってるかもしれない」ってパニックになってるの!』
『愛海なんてお兄ちゃんのお弁当箱を握りしめたままフリーズしちゃってるんだからね! 早刻に帰還しなさい!』
「……うわぁ」
思わず眉根を寄せると、瑠愛が不審そうに首を傾げた。
「黒木くん……? どうしたの……?」
「いや……妹たちから、早く帰ってこいって矢のような催促が……」
画面を見せるわけにもいかず、苦笑いを浮かべて濁す。しかし、瑠愛は「妹」という言葉を聞いた瞬間、ぴくりと長い睫毛を揺らした。
「……三つ子の、妹さんたち……?」
「ああ。長女の愛陸、次女の愛空、三女の愛海。……とにかく俺に対する距離感がバグってて、ちょっと目を離すとすぐ俺を甘やかすか、過保護に束縛しようとしてくるんだ」
「……へえ」
瑠愛の瞳から、すっと温度が引いていく。
「……お兄ちゃん、大好きなんだね」
「大好きというか、もはや執着に近いよ。帰りが遅いと、校内を捜索し兼ねない勢いで……」
「……ふーん」
瑠愛は素っ気無く返事をすると、くるりと背を向けて、倒れていた脚梯子を立ち上げようとした。だが、その動きはどこか不機嫌そうに見える。
「瑠愛? どうかしたか?」
「別に……。ただ、黒木くんには……家でも、可愛い女の子たちが待ってるんだなって……思っただけ」
「っ……」
まさか、妹たちに対して嫉妬しているのだろうか。
「愛陸たちとは別に、そういう甘い雰囲気じゃないぞ? 本当に世話が焼けるというか、俺がしっかりしないと壊滅的なんだ」
「……でも、私といる時間より……ずっと長く、黒木くんと一緒にいるんでしょ……?」
瑠愛は脚梯子の段差に手を置いたまま、ぽつりと呟いた。萌え袖に隠された手が、ぎゅっと木製の枠を握りしめている。
「……私の前では、不機嫌で……無愛想にするのに。妹さんたちの前では、優しいお兄ちゃんなんだ……」
「そんなこと――」
ない、と言いかけて言葉が詰まった。
確かに、俺と瑠愛の関係は『お互いに干渉しない』という不干渉条約から始まった。最初はお互いに壁を作り、不愛想な態度で接していたのは事実だ。だが、今の俺たちが「不愛想」なだけではないことなんて、彼女自身が一番よく分かっているはずだった。
「……瑠愛」
俺は彼女の背中に近づき、僅か**3センチ**の距離まで顔を寄せた。
「俺が放課後、誰にも邪魔されたくない場所は……ここだけだ。瑠愛と一緒にいる時間以上に、優先したいことなんてない」
「っ……」
瑠愛の肩が、跳ねるように震えた。
ゆっくりと振り返った彼女の頬は、夕焼けの赤よりも濃い朱に染まっている。
「……ホントに……?」
「本当だ。愛陸や愛空、愛海は大切な家族だが……瑠愛と過ごすこの時間は、俺にとって特別なんだよ」
「……ずるい。そんな言い方……されたら、引き留められなくなる……」
瑠愛は両手で顔を覆い、小さな呻き声を漏らした。指の隙間から覗く琥珀色の瞳が、湿り気を帯びて輝いている。
「……今日は、帰ってあげて。妹さんたち……心配してるんでしょ」
「ああ。……明日も、ここで会えるか?」
「……当たり前でしょ。私が……ここに来ない日なんて、ないんだから」
瑠愛は照れくさそうに視線を泳がせながら、小さな声でそう答えた。
◇◇◇
校門を出て、住宅街の道順を急ぐ。
我が家の玄関扉を開けた瞬間、突風のような勢いで三つの影が押し寄せてきた。
「おかえりなさい、お兄ちゃん!! 遅いよ!!」
ババッと前に立ちはだかったのは、長女の愛陸だ。短めの黒髪を揺らし、ぷくっと頬を膨らませて俺を見上げる。
「連絡もなしに1時間遅刻なんて、お兄ちゃん失格だよ! 私がどんだけ心配したと思ってんの!?」
「わるいわるい。ちょっと資料室の片付けに手間取って――」
「言ったでしょ愛陸姉ぇ! お兄ちゃんは絶対、校内の悪女に捕まってたんだって!」
間髪いれずに飛び出してきたのは、次女の愛空だ。ウェーブのかかった長い髪をなびかせ、俺の制服の裾をギュッと掴んでくる。
「お兄ちゃん、変な匂いしない!? なんか……女の子の甘いシャンプーの香りがする気がする!!」
(っ……! 鋭すぎるだろ……!)
冷や汗が背中を伝う。瑠愛とゼロ距離で抱き合っていたのだから、香りが移っていてもおかしくはない。
「き、気のせいだろ。資料室の古い紙の匂いだ」
「んー……? 怪しい……。私がお兄ちゃんをクンクンして検分してあげるから、じっとしてて!」
「やめろ、近すぎる!」
愛空を押し留めようとしていると、奥からトコトコと控えめな足音が近づいてきた。三女の愛海だ。大人しい性格の彼女は、両手で大事そうに温かいお茶の入った湯呑みを抱えている。
「あ、あの……お兄様……。お疲れ様です……。お茶、淹れましたので……」
「ありがとう、愛海。助かるよ」
「えへへ……。お兄様がが無事にお帰りになって……私、安心しました……」
愛海はほっと胸を撫で下ろし、天使のような笑顔を浮かべる。しかし、その瞳の奥にはしっかりと「お兄ちゃんを誰にも渡さない」という強い意志が宿っていた。
「ちょっと愛海! 一人で点数稼ぎしないでよ!」
「そうだよ愛海! お兄ちゃんの上着を脱がせるのは私の役目なんだから!」
「あ……ずるいです愛陸姉ぇ、愛空姉ぇ! 私だってお兄様のお世話を……!」
玄関先で勃発する、いつもの不毛な争い。
俺は妹たちの騒がしいやり取りを宥めながら、ふと自分の指先を見つめた。
そこにはまだ、瑠愛の萌え袖の柔らかい感触と、あと3センチの熱が、くっきりと残っていた。
最後までお読みいただきありがとうございました!
「面白かった」「続きが気になる!」と思っていただけたら、
下にある評価(★★★★★)やブックマーク登録をしていただけると、執筆の大きな励みになります!
感想や一言コメントもお待ちしております。




