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放課後、空き教室の3センチ  作者: 三日月
第一部 三章:③秘密の隙間と、冬の予感

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第二十六話:重なる影と、あふれる温度

放課後特有(とくゆう)の静寂が包み込む旧第一資料室《きゅうだいいちしりょうしつ》。西日に染まった室内で、俺と涼風瑠愛(すずかぜるあ)の二人は、いつもの古びた木製机(もくせいつくえ)を挟んで向かい合っていた。


ガタリ、と小さな音を立てて脚梯子(きゃくばしこ)が揺れる。瑠愛は資料棚の上段にある古い文献(ぶんけん)に手を伸ばそうと、背伸び(せのび)をしていた。長袖の制服から覗く華奢な手首(てくび)と、ダボついた萌え袖(そで)が、夕方の光を浴びて淡く透けている。


「……っ、あと、少し……」


「無理すんなって。俺が取るから貸せ」


「だい、じょうぶ……っ。これくらい、一人で……」


強がりを口にしながら、彼女はさらにつま先立ち(さきだち)になる。だが、指先が本に触れた瞬間、バランスを崩して体が大きく傾いた。


「あっ――」


「危険《あぶな》い!」


俺は咄嗟に身を乗り出し、倒れかけてきた瑠愛の腰元(こしもと)を咄嗟に抱きとめた。


ドサリ、と脚梯子(きゃくばしこ)が床に倒れる重い音が響く。だが、それ以上に俺の胸腔(きょうくう)を支配したのは、腕の中にすっぽりと収まった小さくて柔らかい体温(たいおん)だった。


「……あ」


息をのむ音(ね)が、驚くほど近くで聞こえた。


資料室の片隅、倒れた棚の影。二人の距離(きょり)は、文字通り**あと三センチ**もなかった。


吐息が互いの唇(くちびる)をかすめるほどの近さ。瑠愛の密(ひそ)やかな甘味(かんみ)を帯びたシャンプー(香気)の香りが、一気に鼻腔を満たす。長い睫毛(まつげ)が小さく震(ふる)え、彼女の琥珀色(こはくいろ)の瞳が、至近距離で俺の眼光(まなざし)をしっかりと捉えていた。


「……黒木、くん……」


耳元で囁かれた低く甘い声。その響(ひび)きだけで、心拍数(しんぱくすう)が跳ね上がる。


「……怪我、ないか?」


「うん……。でも……離して、くれないの……?」


そう言われ、自分が彼女の腰(こし)を強く抱きしめたままであることに気づいた。しかし、腕の力を緩めようとした瞬間、瑠愛の細い手が俺の制服の胸元(むなもと)をギュッと掴(つか)んできたのだ。


「……瑠愛?」


「……うそ。離さないで」


「え……?」


「離れたら……だめ。今、誰か……廊下を、通ってる……」


静まり返った校舎に、確かに遠く(とおく)から足音(あしおと)が聞こえてきた。カツン、カツンと響くその足音は、この資料室のすぐ前で一度ピタリと止まる。


(……まずい、見つかったら面倒なことになる……!)


我が家には、俺に対して異常(いじょう)なまでの過保護(かほご)ぶりを見せる三つ子(みつご)の妹たちがいる。もし彼女たちや、学園の風紀(ふうき)に厳しい生徒会に見つかれば、二人だけの秘密(ひみつ)の放課後は一瞬で壊れてしまう。


俺は息を殺し、瑠愛の体をさらに自分の方へと引き寄せた。


隙間(すきま)のない密着。彼女の小柄な体が、俺の胸板(むねいた)にすっぽりと埋まる。薄い(うすい)制服の生地越しに、彼女の急速(きゅうそく)に打つ鼓動(こどう)が、俺の心臓の脈動(みゃくどう)と重なり合っていく。


「っ……」


瑠愛が息(いき)を呑み、俺の首元に額(ひたい)を押しあててきた。萌え袖(そで)に包まれた小さな拳(こぶし)が、俺の服をきつく握りしめている。


(近い……近すぎる……!)


互いの体温(たいおん)が混ざり合い、夕暮れの空気(くうき)が熱を帯びていく。3センチという言葉すら生ぬるい(なまぬるい)ほどのゼロ距離。彼女の柔らかい(やわらかい)髪が俺の頬(ほほ)を撫でるたび、頭が痺れる(しびれる)ような感覚に襲われた。


足音は……やがて、ゆっくりと離れていき、再び静寂が戻ってきた。


「……行った、みたいだな」


俺が低く囁くと、瑠愛は首元に額(ひたい)をうずめたまま、小さく頷(うなず)いた。だが、一向に離れようとしない。


「瑠愛……? もう大丈夫だぞ」


「……もう少し、だけ」


「……え?」


瑠愛は上目遣い(うえめづかい)で、潤んだ瞳を俺に向けた。耳たぶ(みみたぶ)まで真っ赤に染まった彼女の顔が、目と鼻の先にある。


「……黒木くんの心臓(しんぞう)の音、すごく……速い。私と、おそろい……」


「それは……こんな状況になれば、誰だって速くなる」


「ふふ、言い訳……」


瑠愛は微(かす)かに口元を緩めると、上体(じょうたい)をほんの少しだけ起こした。その距離、わずか一センチ(いちせんち)。


「ねぇ……冬休み(ふゆやすみ)が終わる頃には、私たちの距離……あと3センチ(さんせんち)じゃなくて、ゼロになってるのかな……?」


「っ……」


試すような、けれど切実な言葉(ことば)。学園一の美少女と呼ばれ、誰とも距離(きょり)を置いていたはずの彼女が、俺だけに魅せる無防備(むぼうび)な表情(ひょうじょう)。


「……それは、瑠愛次第だろ」


「……意地悪。黒木くんが……もっと近づいてきてくれないと、嫌……」


そう言って、彼女は萌え袖(そで)の先端で俺の指先(ゆびさき)をキュッと握りしめた。


窓から差し込む朱色(しゅいろ)の光が、二人の重なる影を長く引き伸ばしていく。誰にも言えない秘密(ひみつ)の放課後は、またひとつ、甘く深い熱(ねつ)を帯びていくのだった。

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