第二十六話:重なる影と、あふれる温度
放課後特有の静寂が包み込む旧第一資料室。西日に染まった室内で、俺と涼風瑠愛の二人は、いつもの古びた木製机を挟んで向かい合っていた。
ガタリ、と小さな音を立てて脚梯子が揺れる。瑠愛は資料棚の上段にある古い文献に手を伸ばそうと、背伸びをしていた。長袖の制服から覗く華奢な手首と、ダボついた萌え袖が、夕方の光を浴びて淡く透けている。
「……っ、あと、少し……」
「無理すんなって。俺が取るから貸せ」
「だい、じょうぶ……っ。これくらい、一人で……」
強がりを口にしながら、彼女はさらにつま先立ちになる。だが、指先が本に触れた瞬間、バランスを崩して体が大きく傾いた。
「あっ――」
「危険い!」
俺は咄嗟に身を乗り出し、倒れかけてきた瑠愛の腰元を咄嗟に抱きとめた。
ドサリ、と脚梯子が床に倒れる重い音が響く。だが、それ以上に俺の胸腔を支配したのは、腕の中にすっぽりと収まった小さくて柔らかい体温だった。
「……あ」
息をのむ音が、驚くほど近くで聞こえた。
資料室の片隅、倒れた棚の影。二人の距離は、文字通り**あと三センチ**もなかった。
吐息が互いの唇をかすめるほどの近さ。瑠愛の密やかな甘味を帯びたシャンプーの香りが、一気に鼻腔を満たす。長い睫毛が小さく震え、彼女の琥珀色の瞳が、至近距離で俺の眼光をしっかりと捉えていた。
「……黒木、くん……」
耳元で囁かれた低く甘い声。その響きだけで、心拍数が跳ね上がる。
「……怪我、ないか?」
「うん……。でも……離して、くれないの……?」
そう言われ、自分が彼女の腰を強く抱きしめたままであることに気づいた。しかし、腕の力を緩めようとした瞬間、瑠愛の細い手が俺の制服の胸元をギュッと掴んできたのだ。
「……瑠愛?」
「……うそ。離さないで」
「え……?」
「離れたら……だめ。今、誰か……廊下を、通ってる……」
静まり返った校舎に、確かに遠くから足音が聞こえてきた。カツン、カツンと響くその足音は、この資料室のすぐ前で一度ピタリと止まる。
(……まずい、見つかったら面倒なことになる……!)
我が家には、俺に対して異常なまでの過保護ぶりを見せる三つ子の妹たちがいる。もし彼女たちや、学園の風紀に厳しい生徒会に見つかれば、二人だけの秘密の放課後は一瞬で壊れてしまう。
俺は息を殺し、瑠愛の体をさらに自分の方へと引き寄せた。
隙間のない密着。彼女の小柄な体が、俺の胸板にすっぽりと埋まる。薄い制服の生地越しに、彼女の急速に打つ鼓動が、俺の心臓の脈動と重なり合っていく。
「っ……」
瑠愛が息を呑み、俺の首元に額を押しあててきた。萌え袖に包まれた小さな拳が、俺の服をきつく握りしめている。
(近い……近すぎる……!)
互いの体温が混ざり合い、夕暮れの空気が熱を帯びていく。3センチという言葉すら生ぬるいほどのゼロ距離。彼女の柔らかい髪が俺の頬を撫でるたび、頭が痺れるような感覚に襲われた。
足音は……やがて、ゆっくりと離れていき、再び静寂が戻ってきた。
「……行った、みたいだな」
俺が低く囁くと、瑠愛は首元に額をうずめたまま、小さく頷いた。だが、一向に離れようとしない。
「瑠愛……? もう大丈夫だぞ」
「……もう少し、だけ」
「……え?」
瑠愛は上目遣いで、潤んだ瞳を俺に向けた。耳たぶまで真っ赤に染まった彼女の顔が、目と鼻の先にある。
「……黒木くんの心臓の音、すごく……速い。私と、おそろい……」
「それは……こんな状況になれば、誰だって速くなる」
「ふふ、言い訳……」
瑠愛は微かに口元を緩めると、上体をほんの少しだけ起こした。その距離、わずか一センチ。
「ねぇ……冬休みが終わる頃には、私たちの距離……あと3センチじゃなくて、ゼロになってるのかな……?」
「っ……」
試すような、けれど切実な言葉。学園一の美少女と呼ばれ、誰とも距離を置いていたはずの彼女が、俺だけに魅せる無防備な表情。
「……それは、瑠愛次第だろ」
「……意地悪。黒木くんが……もっと近づいてきてくれないと、嫌……」
そう言って、彼女は萌え袖の先端で俺の指先をキュッと握りしめた。
窓から差し込む朱色の光が、二人の重なる影を長く引き伸ばしていく。誰にも言えない秘密の放課後は、またひとつ、甘く深い熱を帯びていくのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
「面白かった」「続きが気になる!」と思っていただけたら、
下にある評価(★★★★★)やブックマーク登録をしていただけると、執筆の大きな励みになります!
感想や一言コメントもお待ちしております。
最後までお読みいただきありがとうございました!
「面白かった」「続きが気になる!」と思っていただけたら、
下にある評価(★★★★★)やブックマーク登録をしていただけると、執筆の大きな励みになります!
感想や一言コメントもお待ちしております。




