第十八話:解けた緊張と、余熱の証明
「……本当に、もう誰もいない?」
スチールロッカーの狭い暗闇の中、瑠愛が耳元で小さく囁く。
僕の胸元に預けられた彼女の頭から、さらりと揺れる黒髪の甘い香りが、密閉された空間を満たしていた。
「うん……廊下の足音も完全に遠ざかったよ。三つ子たちは体育館の裏に向かったみたいだ」
「……そっか。……よかった」
瑠愛はホッと安堵の息を漏らしたが、僕を抱きしめる両手の力は緩めようとしなかった。
僕もまた、彼女の細い腰を支えたまま、薄暗いロッカーの中で互いの体温を分かち合っている。
危機が去ったことで、一気に現実感が戻ってきた。
僕たちの身体は、これ以上ないほどぴったりと重なり合っている。
僕の胸に押し当てられた瑠愛の柔らかさ、触れ合う太ももの熱、そして暗闇の中で間近に揺れる、潤んだ大きな瞳。
「……瑠愛」
「……ん?」
「あのさ……もう外、出ても大丈夫だよ?」
僕が少し照れくさくなって声をかけると、瑠愛は上目遣いに僕を見つめたまま、むうっと小さく唇を尖らせた。
「……嫌」
「え?」
「もう少しだけ……このままでいさせて。心臓のドキドキが、まだ止まらないの」
そう言って、瑠愛は僕の胸にポスッと再びおでこを預けてきた。
トクン、トクン、と重なり合うふたつの鼓動。それが恐怖によるものなのか、それとも互いへの愛おしさによるものなのかは、もう言うまでもなかった。
「……湊」
「なに?」
「三つ子ちゃんたち……すごかったね。『あたしの直感』とか『まなの感』とか……」
「あはは……愛陸は陸上部で野生の勘が鋭いし、愛海はちゃっかり者だからね。愛空もマイペースだけど観察眼はあるし……我が家の一番の脅威だよ」
僕が苦笑すると、瑠愛は僕の制服の生地をキュッと指先で摘まんだ。
「……ちょっとだけ、羨ましいな」
「え?」
「だって……湊の周りは、いつも賑やかで、楽しそうだから。家に帰れば可愛い妹たちがいて……一人でお弁当食べるようなこと、ないでしょ?」
声のトーンが、ほんの少しだけ寂しげに落ちる。
学年一の美少女として周囲から遠巻きにされ、誰もいない静かな家で一人で夕飯を食べてきた瑠愛。
「……でもね」
瑠愛はゆっくりと顔を上げ、マフラーの隙間から、まるで宝物を見つけた子供のようにふにゃりと微笑んだ。
「……私には、ここで湊が作ってくれた二段のお弁当があるし。……こうして、誰にも邪魔されない二人だけの秘密がある。……だから、今の私、すっごく幸せだよ」
「瑠愛……」
「だからね、湊」
瑠愛は背のびをするようにして、僕の耳元にそっと唇を近づけた。
「……テストが終わったら、またあのお弁当、作ってね。三つ子ちゃんたちに絶対にバレないように……二人だけの特別なお昼、またしよう?」
「……うん。約束する。瑠愛が満足するまで、何度でも作ってくるよ」
僕がそう答えると、瑠愛は嬉しそうに目を細め、最後にもう一度だけギュッと僕の身体を抱きしめてから、名残惜しそうに腕を解いた。
ギィ……と、古びたロッカーの扉を開ける。
夕暮れ時の赤橙色の光が資料室に差し込み、僕たちの姿を柔らかく照らし出した。
ロッカーから抜け出した僕たちは、乱れた制服を整えながら、照れくさそうに視線を交わす。
三つ子の追撃を切り抜けた達成感と、暗闇の中でさらに深く結ばれた二人だけの絆。
放課後のチャイムが遠くで鳴り響く中、僕たちは明日からのテスト勉強と、その先にある甘い約束に向けて、そっと手を繋ぎ直すのだった。
かわぃぃ




