28
その日の夜は僕は……シリウスのベッドで、今、何故か仰向けで、しかもシリウスに手首を掴まれ、僕自身はベッドに沈み、彼は僕を覗き込む感じになっている。
どうしてこうなった。
なんで僕は彼に組み敷かれるみたいになってるの?
何かあった?
少し前に遡る。
彼とはベッドに腰掛けながら、明日の歌の撮影に向けて話していた。
「明日のラストサビ、『la la la』のとこ、もう一回確認しとく?」
「うん、そうしよっか」
二人でメロディを小さく口ずさんで、タイミングを確認して。
いつも通りの、練習のやり取り。
でも、その時。
なんとなく、つい、口から出てしまった。
「ねえ、シリウス」
「ん?」
「最近さ……まだ、たまに、胸のドキドキ、あるんだけど」
声が、ちょっとだけ、小さくなった。
「あの夜みたいなやつじゃなくて……もっと、静かな感じの。でも、なんかこう……ふっと、くる感じの」
「……それ、いつ来る?」
「シリウスを見た時、とか」
言ってから、気付く。
あ、言ってしまった。
でも、もう、遅い。
そして彼は、僕の手首を掴み取ると、僕をベッドに縫いつける。
(え?)
あっという間のことで、気付いたら仰向けで、シリウスが僕を覗き込む形になっていた。
ベッドが、ぎし、と軋む。
シリウスの顔が、すごく近い。
呼吸が、止まりそうになる。
心臓が、ドクン、と一回、大きく跳ねた。
耳元で、
「俺は……お前が好き」
静かな声だった。
でも、はっきりと聞こえた。
部屋の中の空気が、全部、止まったみたいだった。
「……えっ」
声が、掠れる。
シリウスの顔を見ようとするけど、近すぎて、表情が上手く読み取れない。
でも、シリウスの耳が、真っ赤なのは、分かる。
いつもより、ずっと、真っ赤。
「兄弟として、じゃ……ない?」
恐る恐る、訊く。
シリウスが、少しだけ沈黙する。
「違う」
短く、でも、はっきりと。
また、ドクン、と心臓が跳ねる。
(これが……これが、ドキドキの正体だったのかな)
急に、全部が繋がる気がした。
今朝の、にかっとした笑顔を見て感じたドキドキ。
シリウスに撫でられる度に感じた、じわっとした熱さ。
抱きしめられた夜の、ぎゅっとなる感覚。
全部、全部——
シリウスのせいだったんだ。
シリウスが、手首を握る力を、ちょっとだけ緩めた。
「……嫌か?」
その声が、いつものぶっきらぼうなシリウスじゃなくて。
ちょっとだけ、怖がってるような、声だった。
シリウスが、怖がってる。
この人が。
いつも僕を守ってくれて、頼もしくて、どっしりしてて、そのシリウスが。
今、僕の返事を、怖がってる。
「……っ」
喉の奥が、ぎゅっとなる。
目が、じわっと潤む。
なんで、泣きそうになってるんだろう。
嬉しいのかな。
たぶん、嬉しいんだ。
「……嫌じゃ、ない」
掠れた声で、言う。
「嫌じゃ……ないけど……僕、まだ……よく、分からなくて」
シリウスが、少しだけ、体を離してくれた。
掴まれていた手首が、そっと、解放される。
でも、シリウスはまだ、ちゃんと、そこにいる。
覗き込む距離で、僕を見ている。
「分からなくて、いい」
「え?」
「今、分からなくていい。俺が待つ」
シリウスの目が、まっすぐ、僕を見ていた。
怖がってた表情は、もうない。
いつものシリウスの目。
でも、いつもよりずっと、真剣な目。
「シリウス……」
「ん」
「……ありがとう」
それしか、言えなかった。
でも、シリウスは、分かってくれたみたいで。
ふっと、息を吐いて、僕の隣に寝転んだ。
さっきの緊張が、ちょっとだけ、ほどけていく。
二人で、天井を見上げる。
しばらく、無言。
「シリウス」
「ん?」
「僕さ、シリウスのこと、考えると、胸がドキドキするのは、本当なんだ」
「……うん」
「それが何なのかは、まだ分からないけど」
「うん」
「でも……嫌な感じじゃない。むしろ、好きな感じ」
シリウスが、天井を見たまま、ちょっとだけ、笑った。
「それで、十分だ」
「シリウス……」
「俺は待てる。お前が分かるまで」
その言葉が、すごく、シリウスらしかった。
不器用で、ぶっきらぼうで、でも、ちゃんと、僕のことを一番に考えてくれてる。
「ねえ、シリウス」
「ん?」
「今夜、ここにいてもいい?」
「……ここ、俺のベッドだぞ」
「分かってる」
「……まあ、いいか」
シリウスが、ふっと、小さく笑う。
その笑い声が、天井に、ふわっと溶けた。
二人で、ベッドに並んで、天井を見上げる。
シリウスの手が、僕の手の上に、そっと重なった。
手首を掴む感じじゃなくて、ただ、そっと。
触れるか触れないかの、でも、ちゃんと温度の伝わる、重なり方。
「……シリウス」
「ん?」
「明日の撮影、ちゃんと一緒に歌おうね」
「ああ、一緒に歌おう」
いつかの歌詞を、思い出す。
『君と一緒にどこまでも行こう』。
その言葉が、今夜の二人に、ぴったり重なる。
(これが……好き、なのかな)
まだ、はっきりとは、分からない。
でも、シリウスの手の温度が、ここにある。
シリウスが、待ってくれると言った。
それだけで、今は、十分。
いつか、ちゃんと分かる日が来たら、その時に、ちゃんと、シリウスに伝えよう。
目を閉じる。
シリウスの手の温度を感じながら。
甲斐多町の夜が、また、静かに更けていく。
明日は、最後の撮影日。
でも、今夜の僕には、もっと、大事なことが起きた。
ちゃんと、覚えておこう。
この夜のこと、シリウスの声のこと、手の温度のこと。
胸に深く、刻み込んで——
ゆっくりと、眠りに落ちていった。




