24
僕は起きて、カーテンを開ける。
しゃっ、と布が滑る音。
そこには朝日が差し込む。
少しだけ眩しさを感じたが、心地よい陽射しである。
窓の外、住宅街の屋根が、朝の光できらきらと光っていた。
「ぅ……うーん……眩しい……」
と、シリウスが言う。
布団を頭まで被って、芋虫みたいにぐるんと寝返りをうつ。
僕はシリウスのその言葉に、くすくすと笑ってしまった。
「シリウス……おはよう、いい日だよ」
「わかってるぅ……それは大変に分かっているぞよ」
と、変な言い回しをするシリウスに、
「ぶっ!?……うははは!」
と笑ってしまった。
ぞよ、って何。
寝ぼけてるとシリウス、たまにこういう変な日本語になる。
あっちの世界の何かが混ざるのかな。
「ふふ……笑ったな?」
と、シリウスは起きてきて、僕の頭を拳で軽くぐりぐりする。
少しだけだけど痛みあるけど、同時にむず痒い、そんな感じだったので、
「あはは!」
と、僕は笑う。
髪の毛をくしゃくしゃとされた。
「おわ!?」
「笑った罰だ」
にかっとする。
この笑顔に、内心どきっとした。
(え?なんで?)
理由は不明だった。
一瞬の、本当に一瞬の、にかっとした笑顔。
なんだろう、これ。
胸の奥が、ちょっとだけ騒ぐ感じ。
でも、すぐに、その感覚は消えてしまった。
たぶん、寝起きで頭がぼーっとしてるからだろう。
うん、きっとそう。
一階に二人で降りて、みなとさんの手伝いをした。
みなとさんはもう、朝ご飯の準備の途中だった。
今日は、卵焼きと、焼き鮭と、ほうれん草のお浸し。
お味噌汁は、いつものわかめと豆腐。
シリウスがお皿を並べて、僕がお箸とお茶碗をセットする。
みなとさんが、最後にご飯をよそって、テーブルに置く。
「いただきます」
三人で、合わせて言う。
朝のご飯の味は、いつも通り、美味しい。
朝食を食べ、
「ようし!今日も雑貨店に、歌の練習に、頑張るぞ!」
僕が言うと、
「おうよ!」
シリウスも言う。
みなとさんが、ふっと笑って、
「お前ら、元気だな」
って、嬉しそうに頷いた。
場所はかわり、雑貨店。
シャッターを上げて、いつもの開店準備。
商品を並べて、レジを開けて、店内の照明をつける。
慣れた動き。
でも、今日はちょっとだけ、テンションが高い。
明日が撮影本番だから、なんだかそわそわする。
本日は新入荷のハーブティーがよく売れた。
モリンガティーという健康茶らしい。
みなとさんが「これが今、流行ってるらしいぞ」って言って、ちょっと多めに仕入れたやつ。
大人女子の間でかなり話題になっているらしく、女子大生等が、
「これこれ!話題のハーブティー……ここで取り扱ってるって聞いてさ、隣の市から来ちゃった」
とも言っていたのを聞いた。
(へ、へえ……そうなんだ)
モリンガティーの何がそんなにいいのか、僕にはまだピンと来ない。
でも、お客さんが嬉しそうに帰っていくのは、見ていて気持ちいい。
するとその女子大生が、僕に、
「きっと君のような娘にもいいと思うよ」
(女子ではないが……ま、いっか)
この間のナンパとは違うし。
女子大生のお姉さんは、にこっと優しく笑ってくれた。
ちょっと姉っぽい感じ。
怖さは全然ない。
でも——
シリウスはなんか、目を細めて見ていた。
(?)
いつものシリウスじゃない、ちょっと警戒した目。
なんだろう、と思いつつ、女子大生のお姉さんは商品を買って、にこにこと帰っていった。
二人で一緒にレジに立った時に、そっと耳元で、
「あれはあれでナンパだぞ?」
「え!?」
「百合系ナンパ」
(なにそれ?)
ゆりけい、なんぱ。
ゆ、り、け、い、な、ん、ぱ。
頭の中で、ゆっくりと反芻する。
なんとなく言葉の意味は分かる気がする。
女の子が女の子に対して、好意でアプローチするやつ、たぶん。
でも、僕は女の子じゃないし……。
いや、一応、女の子の要素もあるけど。
ややこしい。
「ええ……あの人、優しいだけじゃないの?」
「優しい『だけ』の人は、初対面で『君のような娘にもいい』とは言わないんだよ」
「……そういうもん?」
「そういうもん」
シリウスがちょっとだけ、ため息をついた。
「リルドはな、自覚がないからな、本当に」
「自覚……?」
「自分の顔の可愛さに対する、自覚」
「ぶっ」
吹き出してしまった。
シリウスが真顔で言うから、なおさら可笑しい。
でも、シリウスはちっとも笑ってない。
ちょっとだけ、本気で心配してる顔だ。
(……あ、シリウス、ちゃんと、いつも見ててくれてるんだ)
昨日の件もそうだけど、シリウスは、僕のことをちゃんと見ててくれてる。
ナンパされてること自体に、僕より先に気付いてくれる。
……ありがたい、本当に。
でも、なんで、シリウスにそう言われると、ちょっとだけ、嬉しいんだろう。
胸の奥が、また、ちょっとだけ騒ぐ。
今朝のあの「どきっ」とした感覚と、似てるような気がする。
(……気のせい、気のせい)
慌てて、頭を振る。
今日は撮影前日。
いろいろ考えてる場合じゃない。
夕方、家で食事を食べ、お風呂に入った後。
歌の練習開始。
シリウスと二人で、今日はリビングのソファで。
歌の練習。
みなとさんは台所で食器を洗いながら、聞き耳を立ててくれている。
ちょっとだけ、観客がいる気分。
(Wow oh oh)
(どこまでも)
『夕暮れの街路樹が揺れている
季節は巡り色を変えていくけれど
語り合った未来への約束は
色褪せることなくここにあるから
躓いて汚れた膝の痛みも
君がいれば強さに変わるんだ』
歌い出しから、ぴたりと息が合う。
もう、シリウスの声と僕の声が、自然に重なっていく。
昨日の練習の感覚が、ちゃんと身体に残ってる。
『空が茜色に染まっていく
(明日を目指して)
一番星が瞬き始める
(離さないで)
終わらない物語のページを
僕らの手でめくっていくんだ』
括弧の中の部分は、シリウスがハモる。
低音が、僕のメロディの下にすっと寄り添ってくる。
なんだか、二人で物語を紡いでいくみたいだ。
『君と一緒にどこまでも行こう
星降る夜の向こう明日を目指して
どんな険しい道のりだって
隣に君がいれば大丈夫だよ
不器用なまま進んでいこう
僕らだけの歩調を信じながら』
ここのパート、なんだか歌ってると胸が熱くなる。
『隣に君がいれば大丈夫』。
その通りだと思う。
シリウスが隣にいてくれれば、僕は、たぶん大丈夫だ。
昼間のナンパまがいのことだって、シリウスが守ってくれた。
ゆりけいナンパだって、シリウスが気付いてくれた。
いつも、ちゃんと、いてくれる。
『大人になっていく僕たちは
いつか別々の道を選ぶのかな
それでもこの青い季節の記憶が
僕らの絆を繋ぎ止めてくれる
一人じゃないと教えてくれた
君の手のひらの温もりを忘れない』
『君の手のひらの温もりを忘れない』
ここの歌詞、深夜にシリウスが頭を撫でてくれた夜のことを思い出す。
あの夜の手の温度。
ちゃんと、覚えてる。
忘れない。
歌詞通り、ちゃんと、忘れない。
ラストサビである。
『君と一緒にどこまでも行こう
地平線の先へ手を繋いで
どんな困難も二人なら
笑顔に変えていける信じてるよ
かけがえのないこの瞬間を
胸に深く刻み込んで歩こう』
ラストサビは、ふたりで力を合わせて。
僕のメロディに、シリウスの低音が重なって。
声が、リビング中に広がっていく。
みなとさんが、台所で水を止めて、こっちを見てくれてるのが分かる。
『la la la... ずっと隣で
(いつまでも)
la la la... 君と一緒に
(離れないよ)
風の中に溶けていくメロディ
終わらない歌を響かせよう
(君と一緒に)
(ずっと一緒に)』
最後の『ずっと一緒に』を歌い終わった瞬間、リビングがしんと静かになった。
二人とも、息が、ちょっとだけ上がってる。
お互いを見つめ合って、ふぅっと息を吐く。
なんだろう、これ。
歌い終わった後の、この、独特な空気。
胸の奥が、じんわりと熱い。
みなとさんが台所から、ぱちぱちと拍手をしてくれた。
「いい仕上がりだな、お前ら」
「みなとさん……ありがとう」
「うん、ばっちりじゃん?」
シリウスがふっと笑った。
その笑顔に、また、心臓が、どきんとした。
(あれ、なんで……)
今日、これで何回目だろう、シリウスの顔を見て心臓が跳ねるの。
今朝のにかっとした笑顔、レジでのちょっと真剣な顔、そして今の。
全部、なんでか分からない。
でも、嬉しい。
不思議な気持ち。
みなとさんが、お茶を三人分淹れてくれた。
いつもの湯飲み。
あったかい湯気が、ふわっと立ち上る。
「明日、頑張ってこいよ」
「うん」
「ああ」
「俺は店、しっかり見てるからな」
「ありがとう、父さ——」
言いかけて、止まる。
みなとさんが、ちょっとだけ目を見開いた。
あ、また、出かけた。
今日は、もう一押し、いけそうな気がしたのに。
でも、最後の一歩が、まだ、踏み出せなかった。
「……みなとさん」
結局、いつもの呼び方。
みなとさんは、ちょっと残念そうな、でも、優しい顔で、
「うん、ありがとう」
って、頷いてくれた。
シリウスがちらっと僕を見て、何も言わずに、ふっと笑う。
なんだか、その「何も言わない」が、優しい。
みなとさんもシリウスも、僕のペースで、待ってくれてる。
だから、いつかは、ちゃんと呼べる気がする。
今じゃないけど。
でも、いつかは、ちゃんと。
お茶を飲みながら、僕は心の中で、こっそり思った。
この歌と一緒に、僕らはいつまでも。
シリウス、みなとさんも一緒にいたい。
ずっと、ずっと、こうやって。
甲斐多町の、僕らの家で。
三人で、お茶を飲んで、ご飯を食べて、お風呂入って、歌って。
そんな日々が、続いていきますように。
明日の撮影も、その先のステージも。
全部、ちゃんと、届けたい。
この想いと一緒に、歌を。
「シリウス、みなとさん」
「ん?」
「なんだ?」
「明日、頑張るね」
「うん」
「ああ、頑張れ」
二人とも、優しい顔で頷いてくれた。
甲斐多町の夜が、ゆっくりと、優しく更けていく。
窓の外、星が一つ、二つ、瞬いていた。
歌詞の中の一番星を、なんとなく、思い出した。
明日も、きっと、いい日になる。
そう、ちゃんと、信じられた夜だった。




