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その日の夜も、歌う練習をした。
そう……続きを。
お風呂上がり、二階の自分たちの部屋。
窓を少しだけ開けて、夜風を入れる。
部屋の隅に置いたペットボトルを二人で並べて、ベッドに腰掛ける。
今日も僕らは歌を練習する。
『夕暮れの街路樹が揺れている
季節は巡り色変えていくけれど
語り合った未来への約束は
色褪せることなくここにあるから
躓いて汚れた膝の痛みも
君がいれば強さに変わるんだ
空が茜色に染まっていく
明日色に染まっていく』
歌い終わって、ふぅっと一息つく。
シリウスの声と、僕の声。
今日もちゃんと、ぴたりと合った。
部屋の中に、声の残響が、ふわっと残る。
『一番星が瞬き始める
終わらない物語のページを
僕らの手でめくっていくんだ
大人になっていく僕たちは
いつか別の道を歩むのかな
(Oh, 歩むのかな)
それでもこの青い季節の記憶が
僕らの絆を繋ぎ止めてくれる
一人じゃないと教えてくれた』
『いつか別の道を歩むのかな』
ここの歌詞、ちょっとだけ、胸が痛む。
シリウスと、いつか別の道を歩く日が来るのかな。
考えたくないけど、でも、歌詞がそう言ってる。
その後の『青い季節の記憶が 僕らの絆を繋ぎ止めてくれる』で、ちょっとだけ救われる。
そうだよね、記憶は、繋ぎ止めてくれる。
今この時間も、たぶん、ずっと残る。
歌い終わって、シリウスと顔を見合わせる。
お互い、ちょっとだけ、無言になる。
歌詞の余韻が、二人の間に漂っていた。
ここまで歌い、互いにハードルを高め合う。
「リルド、今のとこ、もうちょっと優しく」
「うん、わかった」
「『一人じゃないと教えてくれた』のとこ、もうちょっと余韻」
「シリウスのほうも、低音もうちょっと響かせて」
「了解」
お互いの指摘を、素直に受け入れる。
言い合いじゃなくて、もっと良くしようっていう感じ。
二人で、ちょっとだけ嬉しい。
シリウスが僕のベッドに来て腰掛けて、僕の頭を撫でる。
「ん……うにゃーん」
「ふふふ……なんだよそれ」
「だってぇ……気持ちいいんだもん」
今日のシリウスの撫で方は、いつもよりちょっと優しい。
なんでだろう、と思ったけど。
たぶん、昼間の店でのナンパまがいの件があったからかな。
シリウスなりに、気にしてくれてるんだ。
(ありがとう、シリウス)
心の中で、こっそり呟く。
ペットボトルを取って、ごくごく飲む。
冷たい水が、喉をすーっと通っていく。
また、歌の練習をする。
もう一度。
『夕暮れの街路樹が揺れている
季節は巡り色変えていくけれど
語り合った未来への約束は
色褪せることなくここにあるから
躓いて汚れた膝の痛みも
君がいれば強さに変わるんだ
空が茜色に染まっていく
明日色に染まっていく』
二回目は、ちょっとだけ、声が伸びやかになった。
歌い慣れてきたのと、シリウスが隣にいる安心感と。
声に余裕が出てくる。
シリウスもそう感じてるみたいで、ちらっと僕を見て、目で「いいな」って言ってくれた。
目の会話。
今日も、ちゃんと通じてる。
途中で飲み物を飲み、喉を潤す。
ペットボトルを置く音が、ことん、と部屋に響く。
夜の静けさが、その小さな音さえ、丁寧に拾ってくれる。
そして、
『一番星が瞬き始める
終わらない物語のページを
僕らの手でめくっていくんだ
大人になっていく僕たちは
いつか別の道を歩むのかな
(Oh, 歩むのかな)
それでもこの青い季節の記憶が
僕らの絆を繋ぎ止めてくれる
一人じゃないと教えてくれた』
今度は、もうちょっとうまく歌えた気がする。
『歩むのかな』の『Oh』のところで、シリウスが低くハモる。
その重なりが、なんだか胸の奥に響く。
もう一回、ふぅっと息を吐いて、歌い終わる。
部屋の中の空気が、ちょっとだけ重く、でも、優しく満ちていた。
「今日はお前は色々とあったから、ここまでにして寝付くまで頭を撫でてやる」
「シリウス……」
ちょっとだけ、目が潤む。
今日、本当はずっと、引きずってた。
あのお客さんたちのこと。
大丈夫って言ってたけど、心のどこかで、まだ気持ち悪い感じが残ってた。
でも、シリウスは、それを全部知ってた。
なにも言わずに、ちゃんと知ってた。
頼もしいなあ、こいつ。
「今日くらいは『お兄ちゃん』って呼べ」
どきん……。
心臓が跳ねる。
「う……うん……『お兄ちゃん』」
声が、ちょっとだけ震える。
でも、ちゃんと、呼んだ。
シリウスがふっと優しく笑った。
いつもの「ぶっ!」って驚くシリウスじゃなくて。
今日のシリウスは、ちゃんと「お兄ちゃん」の顔をしていた。
「ほら、寝ろ」
シリウスが布団をめくって、僕を寝かしつけてくれる。
頭を、ぽんぽんと優しく。
その手の温度に、心臓がじんわりとほぐれていく。
「お兄ちゃん」
「うん」
「今日、ありがとう」
「いいって」
「ほんとに、ありがとう」
「……うん」
シリウスが、もう一度、頭を撫でてくれた。
ゆっくりと、丁寧に。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「明日も、歌の練習一緒にしてくれる?」
「ああ、する」
「撮影、ちゃんとできるかな、僕」
「できる。お前なら」
「シリウスがいるから?」
「俺がいなくても、お前ならできる。でも、俺もいるからな」
その言葉が、なんだか胸の奥にじんわり染みた。
シリウスって、こういう時、本当に頼もしい。
目を閉じる。
頭の上のシリウスの手の感触が、子守唄みたいに僕を包む。
「お兄ちゃん……」
「ん?」
「あったかい」
「……そうか」
最後にもう一度、シリウスがぽんと頭を撫でて。
その手の感触を最後に、僕の意識は、ふっと溶けていった。
夢の中で、白い衣装の僕らが歌っていた。
マイクを向けあって、目で気持ちを伝えあって、声を重ねて。
歌詞の通り、地平線の先まで、手を繋いで歩いていく。
いつか別の道を歩む日が来るのかもしれない。
でも、この青い季節の記憶が、ちゃんと、僕らを繋ぎ止めてくれる。
絶対に。
そう、確信できた夜だった。
翌朝、目を覚ますと。
シリウスは、自分のベッドで、まだぐっすり寝ていた。
でも、僕の枕元には、シリウスが使ってる柔軟剤の匂いが、ほんのり残っていた。
たぶん、僕が寝てから、しばらくは、いてくれたんだろう。
(お兄ちゃん、ありがとう)
心の中で、もう一回、呼んでみる。
声には出さない。
でも、いつか、本番のステージでも、心の中でこう呼びながら歌うんだろうな。
そんな気がした。
窓の外、朝の光が、優しく部屋を満たしていた。
今日が、撮影前日、最後の練習日。
ちゃんと、いい一日にしよう。
心の中で、そう決めて、僕は布団から起き上がった。




