19
その深夜。
僕は、寝苦しいのか興奮なのか分からないけど、なかなか寝付けなかった。
体は疲れてるのに、頭の中だけがずっと忙しい。
みなとさんの濡れた目、シリウスの低音、指先の温度、白い衣装、撮影スタジオの照明——
いろんなものが、ぐるぐる回っていた。
寝返りを打って、また打って。
布団がもさもさと音を立てる。
布団をもぞもぞとしているのがシリウスにバレて、
「寝れないのか?」
と言われ、どきりとする。
(うわ、起こしちゃった)
暗闇の中、隣の布団のほうから、シリウスの声。
寝ぼけてる感じはなくて、たぶん、まだ起きてたんだろう。
僕はシリウスに、
「……うん」
という。
短い返事。
でも、それだけで全部伝わったらしい。
すると、彼は僕のベッドに来ると、すぐ横に座り、僕の頭を優しく撫でてくれる。
(シリウス……)
いつもの「リルド分補給」とは違う、ゆっくりした、丁寧な撫で方。
大事なものを扱うみたいな、慎重な手つき。
頭のてっぺんから、後ろのほうへ、ゆっくりと。
何度も、何度も。
「眠れない時はな、誰かが近くにいるだけで違うんだ」
シリウスがぽつりと言う。
声を落として、僕を起こさないようにしてくれてる優しい声で。
「俺も、昔そうだった」
「……シリウスも?」
「ああ。誰もいない時、なかなか寝付けなかった」
ちょっとだけ、シリウスの過去が垣間見えた気がする。
あっちの世界での話だろうか。
でも、深掘りはしない。
今は、ただ、シリウスの手の温度に、身を委ねていたかった。
しばらく、無言で頭を撫でられる。
シリウスの手が、僕の頭を通って、ちょっとだけ頬にも触れる。
くすぐったくて、でも、嫌じゃない。
なんだか、安心する。
「シリウス」
「ん?」
「あったかい」
「……そうか」
「うん」
目を閉じる。
頭の中のぐるぐるが、少しずつ静かになっていく。
みなとさんの濡れた目も、白い衣装も、スタジオの照明も。
全部、シリウスの手の温度に溶けていく。
「リルド」
「ん?」
「お前さ、撮影、楽しみか?」
「……うん」
「俺もだ」
「ほんと?」
「ああ。緊張はするけど、楽しみのほうがちょっと多い」
シリウスの声が、ふっと優しくなる。
「お前と二人で、あの曲歌うんだもんな」
「……うん」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
恥ずかしいけど、嬉しい。
シリウスがこういうこと言ってくれる夜は、特別だ。
「シリウス、ありがとう」
「何が」
「いっぱい」
「……いっぱい、ってなんだよ」
「いっぱい、いっぱい」
くすくす笑うと、シリウスもふっと笑った。
「お前、変な奴だな」
「シリウスもだよ」
「うるさい」
でも、撫でる手は止まらない。
優しいまま、ずっと。
しばらくして、僕の瞼が重くなってきた。
シリウスの手の感触に、意識がふわふわと溶けていく。
「シリウス……」
「ん?」
「ここで寝ていい?」
「……俺の布団で?」
「ううん、シリウスが、ここで」
ちょっと甘えた声になってしまう。
でも、もう、抑えられなかった。
シリウスは少し黙ってから、
「……わかった」
って、低く答えた。
シリウスが、僕のベッドに、そっと潜り込んでくる。
狭いベッド。
でも、別に問題はなかった。
シリウスは僕の隣で、横向きに寝そべる。
手はまだ、僕の頭を撫でていた。
「眠くなるまで撫でててやる」
「うん……」
「だから、安心して寝ろ」
その低い声が、子守唄みたいに響く。
僕は目を閉じて、シリウスの存在を、ただ感じていた。
あったかい体温、ゆっくりした呼吸、優しい手の動き。
全部が、僕を眠りへと連れて行ってくれる。
(シリウスがいてくれて、よかった)
最後にそう思った時にはもう、僕の意識は半分溶けていた。
(明日も、一緒に……)
言葉にならないままに、シリウスの隣で、僕はゆっくりと眠りに落ちていった。
翌朝、目を覚ました時、シリウスはもういなかった。
たぶん、僕が寝てから自分のベッドに戻ったんだろう。
でも、枕の隣にはまだ、シリウスの匂いがほんのり残っていた。
なんだか、それだけで、ふっと笑えた。
窓の外、朝の光が差し込んでくる。
雀の鳴き声が、ちゅんちゅんと聞こえる。
甲斐多町の朝。
今日も、シリウスと一緒に練習しよう。
あと2日。
ううん、もう撮影は明後日。
心の準備、ちゃんとしておこう。
起きて、隣のベッドを見る。
シリウスは、まだぐっすり寝ていた。
寝顔が、いつもよりちょっとだけ、幼く見える。
(昨日、僕のために起きててくれたんだもんね)
ありがとう、と心の中で呟いて。
僕は、シリウスを起こさないように、そっと布団を出た。
階段を下りる音をできるだけ立てないようにして、一階へ。
みなとさんが、もう台所で朝ご飯の準備をしていた。
「お、リルド、早いな」
「うん、なんとなく目が覚めた」
みなとさんがにこっと笑って、僕にエプロンを渡してくれた。
「手伝うか?」
「うん、手伝う」
朝の台所。
みなとさんと並んで、卵を割ったり、お味噌汁の鍋をかき混ぜたり。
なんでもない朝の時間。
でも、こういう時間が、僕は好きだ。
しばらくして、二階からどたばたと音が。
「リルドー!俺だけ寝坊させやがって!」
階段を駆け下りてくるシリウスの声。
みなとさんと顔を見合わせて、僕はくすっと笑う。
「今日のシリウス、ちょっと寝坊シリウスだね」
「お前のせいだろ!?」
「えっ、なんで僕のせい!?」
みなとさんが、笑いをこらえながら、
「お前ら、朝から元気だな」
二階での秘密の夜のことは、たぶん、みなとさんは何も知らない。
でも、僕とシリウスの間では、ちゃんと、特別な夜として残っていく。
甲斐多町の朝が、また、賑やかに始まった。




